株式会社尚建/東京都文京区

地域を魅力的にする取り組み

<取材:2017年8月>

 

「コトづくり」を増やし
地域を元気にする

不動産業を将来子どもたちが憧れる仕事に

 

・困ったときに頼られる不動産屋になる

・木賃アパートを旅館に。新たな賃貸契約への挑戦

・“小商い”で谷根千のまちづくり

・「モノづくり」から「コトづくり」へ

・不動産業を、子どもが憧れる仕事にしたい

・「原点」と「北極星」を掴んでおく

 


 

困ったときに頼られる不動産屋になる

 私は大学で建築を専攻し、大学院では地域計画のコミュニティ論を学びました。卒業後は広告宣伝やSPツールなどを作る会社で働き、そこで企業相手の営業の仕事を覚えました。父は建築会社を経営しており、主に建売住宅の建築など手掛けていましたが、新しく新規事業を立ち上げるということで私がその部門を任せてもらうことになり、父親の会社に入社しました。それから1年後、不動産事業のみを独立させ私も代表者になり、賃貸の管理を中心に事業を始めました。一般的にまちの不動産会社は個人相手の仕事が主なので、法人相手の仕事はあまり得意ではありません。その点、私は異業種で企業相手の営業をしていた経験から企業の一括借り上げの案件を何件かまとめあげることができ、事業は順調に拡大していきました。不動産業を始めるにあたり10年経てば経営が安定すると思っていましたが、6年目に入った時、まさに好事魔多しで、法人契約の大半が解約になり、それまで大事に育てた社員を全員手放す事態になってしまいました。

 とてもつらい時期でしたが、よく相談にのってもらっていた師から「人生には踊り場がある」と教えてもらい、それならこれを機に、「自分は何のためにこの仕事をするのか」「これから何をするべきか」ということをじっくり考えようと思いました。

千駄木二丁目商店街にある古民家をリノベーションして生まれたカフェ・飲食店「Okaeri(オカエリ)」

 それから1年程経った頃、いくつかの飲食店の支援に関わることになりました。最初は古民家を店舗に改修した物件です。他社が募集していた商店街の中にあるその物件は、家賃設定があまりにも高く客付けに苦戦していましたが、主婦が2人でカフェを開くために契約するという話でした。私も自分が働く千駄木二丁目商店街の活動だけは続けていたので、素人店主がビジネスを始めてすぐに潰れてしまっては商店街の悪い事例になると思い、挨拶に来た本人達の話を聞きました。2人で法人を作り、費用を折半してカフェを始めるということでしたが、「絶対に失敗するから」と計画を全て白紙にしました。そして、カフェではなく単価の高い飲食業に変更することを提案し、新たに事業を組み立て直しました。さらに、2カ月後には家賃が発生するということでしたので、フェイスブックで知り合いから設計、ロゴデザイン、飲食メニューの開発などの専門家を募集し、一方では銀行で融資を通したり、経営計画の作成や経営者としての心構えなどを指導しました。

 次に相談を受けたのは、フレンチレストランです。当時、私は商店街のリーダー塾に参加しており、都内で頑張っている商店主を集めて視察会などを行っていました。その中の1人から、立ち退き問題でもめているレストランがあるから何とかしてあげてほしいとの相談を受けました。紹介の仕事は大切ですし、地域の不動産の問題は、当然地域の不動産屋が対処しなくてはならないと考えていたので純粋な気持ちで手伝うことにしました。やってみると相当大変な案件でしたが、立ち退きのトラブルも解決し、店舗移設にあたり金融機関に借り入れの交渉をしたり、クラウドファンディングによる資金調達を行い、無事に新天地で開業することができました。

 どちらも無償で、ボランティアの仕事でした。私の中には「そもそも不動産屋は人の資産に口だけだしてお金をいただいている商売だ」という意識がありましたし、不動産の仕事を始めて間もない頃に、会社の並びにある自転車屋のおじいさんから「不動産屋なんか本当はいなくてもいいんだ。ただ町の中に1軒だけ、本当に困った時に相談に行けるような不動産屋は必要だから、そんな不動産屋になりなさい」と言われたことがありました。本当に困ったときに“あいつのところに行けば何とかしてくれる”という不動産屋がまちに1軒だけ必要だといわれて、とても励みになったのです。だからどちらの案件も不動産のトラブルで純粋に困っていたので、ボランティアでもいいと思いお手伝いをしました。

 しかしその後、何件か飲食店の相談が舞い込んでくるようになり、お店のコンセプト作りから資金調達まで、ビジネスの組み立て全体に関わるようになりました。店舗づくりには内装の造作が必要ですが、私の場合、建築の知識と経験が強みになりました。また、事業が成り立たないと不動産業としてもらうフィーが発生しないので、コンサルティングをするにあたっては、事業主自身の背景や人柄まで全て知るようにしています。そのようにして「店舗やお店を持ちたいという人をゼロから支援する開業支援」が当社の事業の柱の1つになりました。

 

 

木賃アパートを旅館に。新たな賃貸契約への挑戦

谷中のまち全体を1つの大きな宿泊施設として見立て、地域と一体になって建つホテル「HANARE」。受付は「HAGISO」の2階にある

 当社の周辺は谷根千(やねせん)といって、近年東京の新たな観光地としてインバウンド需要が大きくなっている地域です。そこには当社が管理している木造アパートがありますが、ある日、そのアパートを宿泊施設にするので1棟全部借りたいと、建築家の宮崎氏※1が相談に訪れました。宮崎氏は、谷中にある築58年の木賃アパートをカフェと自身の事務所の複合施設(HAGISO)にリノベーションした、この土地に縁のある建築家です。既に「まち全体をホテルに」というアイデアがあり、宿のコンセプトやしっかりした事業計画を作成していましたので、すぐに地方に住むアパートの所有者に了解をとりました。しかし具体的に進める段階で問題が発生しました。当初は借主がDIYで改修することにしていましたが、耐震工事や屋根の葺き替えまで行う必要があることが判明したのです。念のため国交省へ直接確認に行くと、借主が改修した部分の所有権は最終的に貸主に帰属するため、今回の案件ほどの大規模な改修だと、貸主に贈与税がかかると指摘されました。そこで、“前払い家賃制度”を導入し、前受家賃で貸主自身が発注者となり、旅館にコンバージョンしてから引き渡す契約にしました。最終的に国交省や税務署に確認し、10年の定期借家契約で5年の延長期間をつけ、資金回収も5年でできる計画をたて、貸主にとっても満足のいく内容になりました。法務上も、建築上も、税務上も全てクリーンな契約になり、手間はかかりましたが不動産のプロとしてしっかりした仕事ができました。

 

 

“小商い”で谷根千のまちづくり

 あるとき、知り合いのオーナーから、谷根千地域にある谷中銀座商店街の真ん中で、定期借家契約が切れて急きょ空き店舗になった物件があるのでなんとかしたいという相談がありました。

 物件は町家形式の建物で、土間打ちの上が純和風の作りで1階を店舗、2階は倉庫として使っていました。月25万円の家賃設定ですが、間口が1.5間、奥行き4間しかありません。しかも中に階段があるため1階は有効面積が少なく、この商店街の2階はほとんどが倉庫になっていることから、上階を店舗にすることが難しい物件でした。当然、そのまま募集しても引き合いもなく、あったとしても既に商店街にある店と競合する店ばかりでした。

 谷中銀座は観光型の商店街になってしまったイメージがあり、地元の人にはそのことを良く思わない人もいます。実際に観光地になってしまった結果、家賃が上がり、出店できるのは地元以外の大手資本の店舗ばかりで、その店にお金が落ちても地域にはお金が回りません。また、そこで働く人も地域外の人ばかりで、夜間は誰もいないまちになりつつありました。一方、商店街の運営は大変なものがあります。私は、その苦労を地元の商店街で経験していたので、この物件に入居する人には、商店街活動に参加し、地域のことも考え、地域になじんだ商売をしてほしいという気持ちがありました。さらに、谷中は江戸時代からお寺の造作に関わる大工、畳屋、板金屋などが多くいて、明治に入ってからは美術館、博物館、東京美術学校ができ、そこに関わる美術品関係者や、額縁屋、絵画修復士などがいた地域です。そのような経緯から、この物件を、地域にも馴染みの深い製造や加工、デザイン制作などの「ものづくり」のために使って欲しいと思うようになりました。オーナーもそれに賛同してくれたため、食品メーカーのサテライトショップ、民泊、バーなどの飲食店をはじめ、この商店街には全くフィットせず、地域の利益にも結びつきにくい引き合いは全て断りました。そうこうしていると、借り手の希望者が誰もいなくなってしまいました。

 この物件のネックは、面積が狭く、建物の使い勝手に対して家賃がつりあわないことでした。当初、オーナーも私も、テナントには谷中銀座で創業したいという意思がある人で、できれば若い方に使って欲しいと思っていました。しかしある日、ツイッターに「若者が家賃で25万も払えるわけないだろう」というつぶやきがあるのを見つけました。また最近は、小商いやスモールビジネス、副業・兼業やパラレルワークという言葉が徐々にキーワードになってきています。そこで私は、谷中銀座商店街の真ん中で「“小商い”をしたい人」のために小さい部屋をつくり、家賃を抑えれば貸せるかもしれないと考えました。ひとつの建物をみんなで使い、夢や希望を叶えるための「はじめの一歩」を踏みだせる場所にしようと事業を組み立て直したのです。

 まず、1階を4畳大で1部屋、2階を3畳大で2部屋に分けて3つのブースを作り、それぞれ家賃を8万円台~11万円台に設定。専有部分は小さいですが、お店以外のスペースには通路を作り、2階には商店街を上から眺められるスポットを用意してお客様が自由に行き来できるようにしました。また、谷中らしさや魅力を味わえる場所にしたいという思いから、町家建築の構造をそのまま残しながら、大工職人によるリノベーションを行うことで地域の歴史を守り、さらに、1階の壁面にはこの地域で明治から昭和にかけて使われていた木製建具を展示しました。

珪素土塗りのDIYの様子

 すると今度は、工事代金の見積りが800万円程に膨らんでしまいました。オーナーもそこまで費用をかけるつもりはなかったのですが、私の考えに同意してくれ、わざわざ借り入れまでしてくれました。私もある意味自分のわがままで始めた事業ですので、工事代金の半額を投資しました。ここでも“前払い家賃方式”を導入し、当社が10年の定期借家契約で月25万円で借り上げ、3室を合計30万円でサブリースし、6年目から両者に利益がでるスキームにしました。改修の過程では、地域の方にプロジェクトの意図を理解してもらおうと、珪素土塗りのDIYや、クラウドファンディングで工事資金の募集をしました。そのようなことも広告効果になり、物件の完成のタイミングで1階は台湾茶販売のお店、2階は刃物の研ぎ屋とハンドメイドのレザーショップの入居が決まりました。3店舗が営業を開始してまだ間がないですが、刃物の研ぎ屋は地域の方に利用され喜ばれていますし、また共同運営のため、スタートアップの起業者にとっても同じ建物に仲間がいることの安心感があるようです。

 

 

「モノづくり」から「コトづくり」へ

Things.YANAKAの外観

 今回の谷中銀座商店街のプロジェクト名の「Things.YANAKA」の「Things.」は、「コトづくり」の「コト」から来ています。私は普段から物件探しの相談があったときは、「どんなことがやりたいの?」ということを聞くようにしています。人が何かを始めるときは「やりたい」という気持ちを大事にしますし、「やりたい」は「コト」につながります。「やりたい」を叶えるための「コトづくり」応援プロジェクトが「Things.YANAKA」です。

 これまで地元の不動産会社として進むべき方向を真剣に模索してきて、ちょうど創業から10年をむかえたタイミングでこのプロジェクトに出会い、自分がやるべきことが見えてきた気がします。今までの不動産業者はまず先に「モノ」をつくりそこに人や店舗を入れてきましたが、これからは人がやりたい「コト」を考えて、それを実現するために「モノ」を提供していくという役割に変わっていくべきだと思います。空き家は社会環境の変化の中でその役割を失ってしまったから空き家になっているので、空き家に新たな役割を与えるためには、用途変更をしたり、スモールビジネスに合うような使い方の提案をしなくてはなりません。一方、スモールビジネスをしようとする人は、企画まではできても事業を継続する力がない人が多いようです。事業が頓挫しないようにするには、私が飲食店に対して行ってきたように、市場をつくり、事業計画の立案といった、ビジネスそのものを支援することも不動産業者の役割になるでしょう。これからはもう、ただ単に物件の仲介をするだけの仕事はなくなると思います。

Things.YANAKA2Fの刃物研ぎ屋「研ぎ陣」。江戸時代から伝承されてきた手研ぎを生業とする

 嬉しいことに、このプロジェクトについては谷中銀座商店街の店主のなかでも、特に年配の方に、「お前よくやった」と言ってもらえました。代替わりした若い店主よりも年配の方のほうが、商店街の空洞化や商店街活動の担い手不足を心配していました。商店街に新しい種類のお店と新しい引き出しができたことで、地域と商店街と観光の“三方良し”を実現することができたと思います。これからも既存の建物を使った「コトづくり」を多くの不動産業者が行っていけば、商店街を活性化し、地域の価値を上げることができると思います。

 いつだったか、宮崎氏から「徳山さんはまちのフィルターのような存在だ」と言われたことがあります。千駄木に住みたい、小商いを始めたいという人に対して、「その人がこのまちに向いているかどうかを判断し、駄目な人は断る」という役割をしている人だということです。その意味で不動産会社はまちの玄関のような存在だと思います。

 

 

 

不動産業を、子どもが憧れる仕事にしたい

徳山氏の名刺の裏側。自身の志が書かれている

 私は名刺の裏面に、志として「今の小さい子供が『将来不動産屋さんになりたい』と言ってくれる仕事や業界にすること」と書いています。不動産業は法律、建築、マーケティングの知識が必要な総合職ですし、人間関係の調整も必要なレベルの高い仕事です。自分が人生をかけてやっている仕事の地位が低いのは嫌ですし、志を名刺の裏に入れたのも、自分が迷ったときに立ち戻る原点を確認する意味もあります。谷中のプロジェクトもそのためにやりましたし、このような志をもつ不動産業者もいるということを地域に示したかったという思いもあります。そして、「コトづくり」を応援するような仕事を増やしていくことが消費者にとって不動産業がもっと身近な存在になることにつながると思います。

 不動産業者は昔、周旋屋といわれていました。周旋の意味を調べると、「モノとモノ、人と人との間にはさまれて、なおかつ自分が傷だらけになっても仲立ちをする」とありました。その意味で、理不尽なことやつらいことがあっても、“そうですよね”と一度全て飲み込んで、自分が傷つきながらも潤滑油となり物事を良くしていくというのが不動産業者の本来の仕事なのだと思います。

 

 

「原点」と「北極星」を掴んでおく

 私はよく、何かを始めたいと相談に来る人に対して、「原点と北極星を掴んでおくといいよ」ということを話しています。人がやりたいことには必ず原点があるはずです。別にやりたいことと現在やっていることが一致しなくてもいいのです。私もやりたいことを不動産業という手段を使ってやっているだけです。経営を始めると厳しいことが当たり前のように起こりますが、その際“自分はこうだったんだ”と戻れる原点があることが大切です。北極星は志のことです。困った時や迷った時でも向かっていける、遠い先にある明るいものを持っていればそれは勇気になります。不安や寂しさを感じたときには原点に戻ればいいですし、勇気が欲しくなれば北極星にいけばいいのです。そして、原点と北極星の間から自分がやりたいことをみつければいいと思います。

地域や職種を超えての勉強会「地域で働く不動産会社による情報交換会(ジバコー)」の様子

 2011年の東日本大震災をきっかけに、地域や職種を超えた不動産業者による勉強会「地域で働く不動産会社による情報交換会(ジバコー)」を始めました。開始以来15回も続けているのも、おせっかいかもしれませんが、自分が経験した苦しみは他人には味わってほしくないという思いがあるからです。困ったとき、すぐに相談できる人が身近にいるというのはありがたいことですし、そういう人と巡りあえる場になればいいと思っています。

 小さな子ども達の中の1人でも「大きくなったら不動産屋さんになりたい」と言ってくれたら、私の夢は成就します。その時は、「ああ不動産業界のレベルが上がったぜ」って涙流して喜ぶでしょうし、それで私は不動産業を引退するかもしれません。

 

※1 宮崎晃吉氏 HAGISO 代表 / 建築家。

 

 


 

徳山 明 氏

1976年東京都荒川区生まれ。日本工業大学大学院建築工学研究科卒業。学部で都市計画、大学院修士課程で地域計画を専攻。卒業後、営業職などを経て、建築業を自営する父親に誘われ28歳で入社。配属された不動産の仕事に魅力を感じ、不動産事業のみを引き継ぐ形で30歳で独立。地域商店街の会計理事も引き受け地域活動も行う。2011年東日本大震災をきっかけに地域や業種の垣根を越えた勉強会「地域で働く不動産屋さんによる情報交換会(通称ジバコー)」を有志と共に開始。毎年1、2回開催し、業界で活躍する人の話を参加者で共有する。

 

 

株式会社尚建

代表者:徳山 明
所在地:東京都文京区千駄木2-23-3 ラ・レジダンス・ド・千駄木1F
電 話:03-5685-2201
H P:http://www.naoken.com/
業務内容:千駄木、谷中、根津を中心に不動産仲介管理業を展開するほか、リノベーション、地域活性化、遊休不動産の再活用、開業支援などの事業を行う。また、地域や職種を超えての勉強会「地域で働く不動産会社による情報交換会(ジバコー)」も定期開催している。