住まい探しはハトマーク

協永ソフトエンジニアリング株式会社/東京都千代田区

地域を魅力的にする取り組み

<取材:2017年10月>

 

都心の真ん中で
まちづくりを実践する

地域の歴史と文化の語り部になる

 

・豊かな暮らしや安心感を届けることが不動産の仕事

・地域の歴史や文化を学び、伝える

・都心ならではの新しいタウンマネジメントの方法を模索

 


 

豊かな暮らしや安心感を届けることが不動産の仕事

─社名に“ソフトエンジニアリング”とあります。そこに込められた思いを聞かせてください。

 父は約50年前に千代田区平河町で協永不動産を興しました。自宅が事務所でしたので、子どもの頃からお客様と気持ちで接する父の姿を見ていましたし、「たくさんの人を幸せにする仕事に就き、多くの人を背負って生きていくのが男の生き方だ」などと教わってきました。大学では都市計画という分野があることを知り、建築学科で学ぶうちに、人が生活する場所を幸せな空間にしたいと考えるようになりました。卒業後は父のもとで10年程働き、2001年に協永ソフトエンジニアリングを立ち上げました。その際、改めて不動産業とは一体何をする仕事なのだろう、自分はお客様に何を提供できるのだろうか、ということを考えました。そして出た結論が「不動産業者は目に見える物はつくっていないが、取引の全てに関わり責任を取っている」「人の心の中に安心感や幸せ、豊かさをつくりあげることが不動産の仕事だ」「そのために確かな情報をもとに物件を紹介し、不安を取り除き、お客様をサポートし続けることが私たちの商品だ」ということです。そこで、父の思いを引き継ごうと“協永”という看板をつけ、不動産業者はプロデューサー(エンジニアリング)であり不動産業はサービス業(ソフト)だと考え、今の社名にしました。

 また、サービス業に大切なものは“時間”です。人の事情には期限があるのでその期限の中で情報提供をし、入居後もお客様に寄り添い続けるためには、お客様の近くにいなくてはなりません。そこで、自分が生まれ育った番町・麹町に特化して仕事をすることにしました。

 

─千代田区という都心の真ん中で地域密着の仕事をするということは難しいのではないですか?

地元の学生と協力して発行したフリーペーパー「Bene(ベーネ)」

 まず、地域の不動産業者のことを調べようと思い、業者名簿にある約380社全てに電話をして、何をしているのかを聞きました。すると、専業でやっている不動産会社は20社程度で、しかもこの地域の物件を専門に扱っている業者はいないことがわかりました。私が求めているのはこの地域に住む人の幸せですが、そのために働いている会社はどこにもいないということになります。

 父は学校の移転や郊外の仕事もしていましたが、私は“住に関する地域のニーズを地域でかなえられる不動産会社”を目指すことにし、仲介業、つまりフィービジネスに徹することにしました。そのためにより深い情報提供を目指そうと、データベース(DB)を構築することにしました。まず、物件のDBです。このエリアには約470棟のマンションがあるので、戸数や間取り等のスペック情報や住んでいる人の情報をデータ化していきます。次が人のDBで、顧客リストです。さらに、地域のDBです。消費者からのニーズが高い学域情報をはじめ、ここに住めばどれほど楽しく過ごせて家族を幸せにできるのかという情報を、仲介の仕事の中で蓄積し、物件の紹介とともに提供していくことにしました。そこで、地域のイベントやお店の情報をホームページに載せたり、地元の専門学校の学生と協力して「Bene(ベーネ)」というフリーペーパーを発行しました。

 

 

地域の歴史や文化を学び、伝える

─まちづくりコンペにも参加されました。

 地域に特化するといっても、それまでは地域の物件を専門的に扱っている一不動産会社にすぎませんでした。地域への取り組みの考え方が大きく深化したのが、まちづくりコンペ※1への応募です。これは千代田区の「飯田橋・北の丸公園周辺地区」(約66ha)を対象にしたコンペで、日大名誉教授や大学院生たちと「東都まちづくり研究会」を結成し、参加しました。提案内容は「九段花見櫓(はなみやぐら)計画」と称したもので、現在の九段下から消防署跡地を中心にした空間に“地域の歴史・文化、名所、食等を紹介する観光の拠点「櫓(やぐら)」を整備し、櫓ネットワークを形成する”という内容でした。

 残念ながらコンペは落選しましたが、この活動を通じて地域の歴史をもっと知らなくてはいけないということを学びました。提案書にも“対象地区は歴史・文化等の物的、心的遺産の宝庫である。九段坂や中坂の果たした歴史的意味の再考から地域の現代への適合化を探るのがテーマだ”と示したように、地域の歴史の話が考え方のベースになりました。また江戸・東京の歴史に詳しい千代田区職員の小藤田正夫※2氏からは「歴史は過去と現在をつなぐことだ。過去と現在をうまくつながないと未来は描けない。地域には昔から長い間評価されているものが必ずある。過去をきちんと理解した上で、それをどうやって未来に伝えていくのかを考えることが我々の役割だ」ということを教えてもらいました。そう考えると、私のやるべきこと、そして今まで取り組んできたPTA会長の仕事などの地域活動についても、これからどう生かしていくべきかが見えてきました。

 

 

都心ならではの新しいタウンマネジメントの方法を模索

─具体的にどのように生かしていますか?

九段坂「二六夜待ち」歌川広重 作

 その頃手掛けていた仕事の1つに、8年越しで関わってきた九段病院の移転があります。歴史的な景勝地に立地する築80年のこの病院の院長は、千代田区庁舎跡地に移転を希望しており、私自身も地域に病院を残す重要性を感じていたので、地域活動を始めることにしました。区有地に移るには地域の賛同を得なくてはならないため、地元の九段二丁目町会の青年部長を引き受け、住人に対して病院があることの必要性を伝え、一方で、町会長と共に区長に直談判にも行きました。その甲斐あって移転が決まり、さらに、病院と千代田区の高齢者サポートセンターの合築という副産物までもたらしました。高齢化が進む千代田区において、福祉と医療のサービスが1つの窓口で受けられるという全国でも例のない施設になったのです。

田安門の高燈籠。明治時代は九段坂周辺のランドマークとして親しまれていた

 まちづくりコンペの対象になった九段坂の消防署も移転することになり、その跡地を千代田区が購入しました。区は地域整備計画として“北の丸公園周辺地域基本構想計画”を策定しますが、町会としてもその場所をうまく整備してもらわないと困りますし、住人にもこの場所の意味を知り、計画について当事者として考えてもらう必要があります。そこで、九段坂界隈の歴史を住人に伝えるため、「町会の大切な資産である九段坂公園をもう一度皆で考える」というテーマで勉強会を開きました。そのための資料として、昔の写真や地図、浮世絵や錦絵を集めることにしましたが、幸い九段坂は江戸・明治を代表する景勝地だったため浮世絵がたくさんありました。なかでも、真夜中に月が出るのを待ちながら酒宴をして楽しむ納涼イベント「二六夜(にじゅうろくや)待ち」の様子を題材にした絵は、“いかにここが見晴らしのいい場所として大切にされていたか。これからも景勝地であることを楽しめる場所にすべきだ”ということを理解してもらうための良い教材になりました。

 千代田区に対しては、この場所を“常時観光、非常時災害の拠点にすべきだ”という提案をしました。地域の繁栄と安全確保のために、その場所がどう使われてきたのかという歴史的な事実をふまえて土地利用のあるべき方向性を示し、地域住民主体の地区計画をたて、それを基にエリアマネジメントをしていくべきであり、青年部長として住人は私が束ねますということを伝えました。

 

─都心地域は大手デベロッパー主体の開発が進んでいます。

マンションの住人も町会に入り、地域の文化活動を積極的に盛り上げる。町会 の神輿は九段坂にあるマンションからスタートする

 大手マンションデベロッパーやマンション管理会社(PM会社)を集めた勉強会を開き、講師として「番町・麹町地域の街並みの根底にあるもの」という内容で話をしました。供給ラッシュが続くこの地域において、分譲会社や管理会社にこそ番町・麹町の文化や歴史を学んでもらう必要があると感じたからです。そこでは、ブランドを形作るのは歴史であり、物件を販売する時はその歴史に基づく地域性を上手く伝えることが効果的であるということ、また管理業者も地域のお祭りや町会活動に参加することが物件の付加価値を上げることに生かせるはずだという話をしました。

 お祭りは歴史の移り変わりの中で残ってきた地域の文化です。そのお祭りで、管理会社の人たちがお神輿を担ぐ人たちをもてなす側として活動すれば、地域からの見方が変わり、地域住民の一員になれるはずです。ピカピカの建物をつくるだけで豊かさが得られるわけではありません。そのマンションで子どもたちが育てば、そこが彼らの故郷になります。そしてお祭りの時に冷たい飲み物を出してくれたということが記憶に残ります。管理会社が率先してその役割を担い、まちのことを考え、真に豊かなマンションライフを提供してほしいと思います。

 マンションデベロッパーが物件を販売する際には、九段二丁目町会の青年部長として、当町会への加入を義務付けてもらうよう直接お願いに行きます。地域価値を上げるためにはマンション住人の町会への参加を増やすことは不可欠です。

 

─まさにタウンマネジメントの実践です。

 私はこの地域で生まれて育ってきましたのでこのまちに愛着や誇りがあります。そのため、この地域に貢献できる仕事は何だろうかということを真剣に考えてきました。それが“歴史の語り部になる”ということです。

 まちづくりやタウンマネジメントは、長屋や古民家といったそのまちのシンボルになるものがないと成り立たないと思っていましたが、都心ではそれがなくてもできるようにしなければなりません。そのためには「お祭り」は重要です。どのまちにも必ず大事にしなければいけない祭り事があるはずです。次世代のために大切な文化を残し、その歴史を継承できるような土地の生かし方を考えていけば、過去の人とも出会えるし、未来の人にもつながるのだろうと思います。

 九段二丁目町会では「集合住宅の住民と力をあわせ、行きかう者の誰もがあいさつする町」を目指しています。私が目指すのも人と人が横でつながるまちづくりです。その結果、オーナーとの関わりも増えてきました。当社の売上は、賃貸管理が2割、賃貸仲介が3割で、残りが売買仲介と開発コンサルティングですが、管理こそが中小不動産業者にとって最後の砦だと思います。賃貸管理の仕事は、どうすればオーナーの利益を確保し、資産を増やせるのかということを考える仕事ですが、まちづくりという目に見えない資産を最大化できるのは、私たち中小不動産業者だけです。

 千代田区平河町にある平河天満宮の鳥居には「町々安全、商職繁昌」と書いてあります。つまり、人々が安心安全に暮らすことができ、仕事や暮らしも繁栄しますようにという意味で、これがまちづくりの心です。そして繁栄とは、真の豊かさを地域の皆が享受することなのだと思います。

 

※1 2016年(公財)都市パブリックデザインセンター主催の第19回「まちの活性化・都市デザイン競技」

※2 小藤田正夫 氏[千代田区 環境まちづくり部]

 


 

橋本樹宜 氏

協永ソフトエンジニアリング㈱ 代表取締役。日本大学理工学部 まちづくり科及び交通システム工学科非常勤講師(科目:不動産概論)。一般社団法人HEAD研究会 理事、不動産マネージメントTF委員長。その他、千代田区立番町小学校愛育会(PTA)会長、九段二丁目
町会 青少年部部長、千代田区立番町小学校運営委員、「UP DATE UP TOKYO」実行委員 エリアディレクターを務める。

 

 

 

 

協永ソフトエンジニアリング株式会社

代表者:橋本 樹宜
所在地:東京都千代田区六番町六番地一 パレロワイヤル六番町502
電 話:03-3263-6565
H P:http://www.kyoei-realty.co.jp/
業務内容:番町・麹町・九段及びその近隣の賃貸マンション・事務所を中心に紹介する不動産会社。特に番町・麹町・九段エリアの取り扱い物件数はNo.1。その他、売買管理やコンサルティング、マンションの建替の相談にも応じる。