石橋不動産株式会社/山形県鶴岡市

地域を魅力的にする取り組み

<取材:2017年10月>

 

不動産業の職能を生かし、
まちづくりに貢献する

大きな熱意をもって大きな波を起こす

 

・消滅可能性都市からの脱却を目指す

・専門分野を生かして駅前の賑わいを復活させる

・移住者に快適な空間を提供するために共同プロジェクトに参加

 


 

消滅可能性都市からの脱却を目指す

─事業内容について教えてください。

 36年前に父は東京都豊島区で創業し、その後出身地である鶴岡市に戻り、賃貸管理でオーナーの信頼を得ながら売買仲介や建築業に事業を広げていきました。私は大学を卒業後、東京の不動産会社で8年半ほど経験を積み、2013年に故郷に戻り父の会社を継ぎました。「不動産に関する困りごとは全て解決する」という方針を掲げ、ワンストップで対応できる体制を整えながら、破産や相続財産管理といった一筋縄ではいかない案件や安価な物件にも積極的に相談にのってきました。鶴岡は人のつながりを大切にする気質がある地域なので、古くからのオーナーの相談や紹介を父が受け、私が実働部隊として問題解決にあたるという具合に役割分担し、二人三脚で取り組んでいます。

 

─鶴岡市の状況について教えてください。

 鶴岡市に戻って、地域の活気のなさに驚きました。2005年の市町村合併によって、面積は東北の中で最大、人口は山形県で2番目に大きい市になりましたが、旧朝日村や旧藤島町などを中心に毎月約100人も人口が減少しており、このままでは消滅可能性都市が現実のものになる危機感を覚えました。しかし鶴岡市には、藩校致道館、大宝館、致道博物館などの歴史的建物や最近建て替えられた鶴岡市文化会館※1などの文化施設、「日本遺産※2」に指定された出羽三山や絹産業という素晴らしい自然や歴史的文化財、そして「ユネスコ食文化創造都市※3」や「食と農の景勝地※4」として選定された世界に誇れる食文化がある地域です。このように対外的にPRできる材料が数多くあるにもかかわらず、情報発信がうまくないために地域の魅力があまり伝わっていないこともあわせて感じました。

 地元に戻ってからは、最初は周りの不動産業者には負けたくないという気持ちで仕事に取り組みましたが、このような地域の状況に直面し、自分は地域のためにどのような役に立てるのか、子どもたちのために何が残せるのかということを考えるようになりました。不動産業は人がいなくなってしまっては商売になりません。それに自分の子どもたちには、将来は鶴岡に戻り地元で働きたいと思ってもらいたいですし、故郷を失わせたくありません。幸い鶴岡には戦う武器がたくさんあり、それを上手に使えていないだけだと感じていたので、「今からできることを見極めて、その方向性さえ間違えなければまだなんとかなる。しかし本気ですぐに始めないと間に合わない」と考えました。

 

 

専門分野を生かして駅前の賑わいを復活させる

─その1つが鶴岡駅前の商業施設のプロジェクトですね。

 1987年に鶴岡駅前地区市街地再開発計画として建てられた鶴岡駅前の大型商業施設「マリカ」は、旧ジャスコ(現イオン)が連結していました。しかし、2005年にジャスコが郊外に移転してからは専門店街のマリカ東館も2007年に閉館になり、それ以来建物の1階は、10年以上もシャッターが下りたままで廃墟のようになっていました。当社も駅前に立地していることから、まずは陸の玄関口である駅前をなんとかしなくてはいけないと考えました。まだ計画は白紙の状態でしたが、鶴岡市主催のワークショップに参加し、そこで知り合った有志と共同でまちづくり会社「㈱Fu-Do(ふうど)」を設立し、マリカ東館を魅力的な施設にするために約1年間かけて議論しました。ただ単に施設を開けるのではなく、継続的に利用される施設にしなければならないことから、本フロアにふさわしい需要がどれくらいあるか等のアンケートを実施して市民や観光客の声を集め、地域の特性の中から何を発信していくかを決めることにしました。

 そこで出た結論がこの施設を「食文化情報発信拠点」にすることでした。鶴岡は日本で唯一ユネスコから食文化創造都市の認定を受けています。農家の人々が数百年にわたり種を守り継いできた50種類以上の「在来作物」、出羽三山の羽黒山伏により伝承された「精進料理」や各家庭の「行事食・伝統食」、豊かな庄内平野でとれるお米やお酒、このように先人が大切に育んできた伝統ある食文化を守り、新たなアレンジを加えることで、より一層発展させることが期待されています。この施設は駅徒歩1分の好立地にあり、空港までのシャトルバスも出ています。そこで、鶴岡の素材にこだわった食事を味わえたり、食材を直接買えるようなセレクトショップを揃えることで、鶴岡の食文化を発信していこうと考えました。

 マリカ東館は2017年7月にリニューアルオープンし、フロアには鶴岡バルというフードコートを設け、庄内エリア18酒蔵の地酒が飲める店、地元食材を生かした蕎麦、海鮮、肉、漬物の店などの他、「食の都庄内」親善大使である奥田政行シェフ※5と土岐正富総料理長※6がプロデュースする店もそれぞれ出店してもらいました。それ以外にも、生産者が採りたての食材を直接販売できるマルシェや、外国語が堪能なスタッフが常駐する観光案内所と市民や観光客が利用できるコミュニティスペースも用意しました。場所の名前も、“フード”と“永遠”にという言葉と“出羽山脈”をかけて「FOODEVER(フーデェヴァー)」と名付けたのです。

 このプロジェクトでは、不動産業者として物件の権利関係の調整の仕事も行いました。この案件に関わったときは、個人の権利者も多数いて権利が細かく分かれていたため、この場所を将来的に有効に活用する為には権利を集約する必要がありました。個人の持分の権利を取得したり、権利調整をした結果、最終的に権利の約93%を鶴岡市に集約することができました。

 鶴岡には観光名所がたくさんありますが、その玄関口であり、ホテルが最も集まっている鶴岡駅前が衰退していてはまちなかへの期待値も下がってしまいます。また、サイエンスパークや文化会館・市役所周辺に来た人たちが、目的を果たしてそのまま帰ってしまってはもったいないと思います。目的地からまちなかへ回遊してもらうためには受け皿になるところが必要です。FOODEVERがその役割を果たし、フロアを訪れた観光客や地元客を地域全体に誘導、巡回させることで、点をつなぎ面としてエリア全体を元気にしていきたいと考えています。私が関わっているのは駅前の拠点作りですが、このビジョンはサイエンスパークや他の商店街とも共有できるのではないかと思っています。

 駅前には鶴岡駅前商店街があり、嬉しいことに最近“商売するなら駅前で”という声が聞こえるようになり、事業者も増えてきています。

 

マリカ東館

FOODEVER入口の鶴岡市観光案内所

つるおか駅前マルシェ。産地直送の新鮮野菜や果物、鮮魚が並ぶ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

移住者に快適な空間を提供するために共同プロジェクトに参加

─サイエンスパーク計画にも関わっていますね。

Park Side Villageの1階にあるシェアリビング

 「サイエンスパーク」は2001年に慶應義塾大学先端生命科学研究所が開設し、そこから生まれたSpiber㈱※7や HMT㈱※8など、世界でも注目されるベンチャー企業が多く拠点を構える約21haに及ぶ計画エリアです。この計画は山形県と鶴岡市と民間がタッグを組んで推進し、米国のシリコンバレーのように全世界から研究者やその家族が集まり滞在してもらえる環境をつくろうとしています。行政主導で進められた計画を引き継ぎ、民間主導で地域からの投資を集め、事業を進めているのが地元企業のヤマガタデザイン㈱※9です。パーク内には、庄内を訪れた方が宿泊滞在できる施設として、建築家の坂茂※10氏の設計で、田園に囲まれた「SUIDEN TERRASSE(スイデンテラス)」という木造低層のホテルをつくり、隣接した場所に、天候に関係なく子どもたちが遊び、学べる施設として、「KIDS DOME SORAI(キッズ ドーム ソライ)」を建設中です。いずれの施設も、2018年の夏から秋にかけて開業予定です。当社もその事業の進め方に共感したことから積極的に関わっており、現在は隣接する賃貸マンション「Park Side Village」の募集を担当しています。

 この物件は、24戸のファミリータイプと47戸のシングルタイプの2棟からなる物件で、シングルタイプの住棟にはシェアリビングを設けています。居住者は市外から研究や仕事に来る方が多いということから、居住者の間でコミュニケーションが生まれるように、リビングを居住者が共同で使えるようにしています。さらに、ファミリータイプの住棟には保育所とフィットネススタジオやシアタールームを設け、地方都市に移住する不安を解消することができるよう配慮されています。

 

─まちづくりをする上で大事な事は何ですか?

 マリカ東館やサイエンスパークもそうですが、まちづくりには地域の特性を生かした起爆剤が必要だと思います。そこに誰か1人「こいつは馬鹿か」と思われるぐらいの熱意をもって事業に取り組み、引っ張る人間がいれば、周りが影響されてそこに大きな波ができます。時間はかかりますが、目的に向けてその波をつくり、多くの人間や行政を巻き込んでいけば実現の可能性は高まります。

 また、大局を動かすには行政の協力は不可欠です。私も“行政とは仕事したくない、補助金などもらうものか”と思っていた時期もありましたが、今は市の職員と“鶴岡をどうしていくか”という話をする機会が増えました。このような話を繰り返していると行政も民間の発想になって考えてくれます。自分1人では何もできませんが、必死に考え、今あるものをこう変えていきたいというビジョンを持ち、発信していけば、共感してくれる人は思っている以上にすぐそばにいるものです。

 そして、マリカ東館でたずさわったように、権利関係の調整や地上げの仕事は不動産会社にしかできません。やはり自分たちの職能を生かし得意分野で役割を果たしていくことが、地域貢献や地域活性化に結び付いていくと思います。

 

※1 荘銀タクト鶴岡、2017年8月竣工。

※2 地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産」として文化庁が認定。山形県では、出羽三山と、「サムライゆかりのシルク日本近代化の原風景に出会うまち」として鶴岡が認定された。

※3 ユネスコ創造都市ネットワークとして2004年に創設。7つの創造的な産業で116都市が認定を受けているが、食文化では2014年に鶴岡市が日本では唯一認定された(2015年12月現在)。

※4 2016年に農林水産省が創設した制度。地域の食とそれを生み出す農林水産業を核に観光客の誘致を図る地域での取組を「SAVOR JAPAN(農泊 食文化海外発信地域)」として認定する。

※5 山形県鶴岡市出身。在来野菜など旬の地元産こだわり食材を使ったイタリア料理店「アル・ケッチァーノ」をオープン。

※6 山形県鶴岡市出身。1994年より「ベルナール酒田」「庄内地区アールベルグループ」総料理長を務める。

※7 Spiber株式会社。取締役兼代表執行役関山和秀氏。人工合成クモ糸繊維の開発等で知られる。

※8 ヒューマン・メタボローム・テクノロジーズ株式会社。代表取締役社長 菅野隆二氏。うつ病のバイオマーカーの開発等で知られる。

※9 ヤマガタデザイン株式会社。代表取締役山中大介氏。不動産開発・運営会社。

※10 建築家。㈱坂茂建築設計代表。NPO法人ボランタリー・アーキテクツ・ネットワーク代表を務め、阪神淡路大震災、東日本大震災の支援を行う。

 


 

石橋遼大 氏

1981年埼玉県新座市生まれ。1992年に父の故郷である山形県鶴岡市へ移住。大学卒業後、朝日リビング株式会社(東京都町田市本社)入社。不動産の基礎、マネジメントを学び、2013年帰郷し石橋不動産株式会社の代表取締役社長に就任。現在、信頼の構築を社是に不動産売買・賃貸業を中心に地域の不動産業を行う傍ら、地域の活性化のために株式会社Fu-Doを設立し同会社の代表取締役副社長を務める。

 

 

 

石橋不動産株式会社

代表者:石橋 遼大
所在地:山形県鶴岡市末広町13番1号
電 話:0235-22-5411
H P:http://espo1484.co.jp/
業務内容:山形県鶴岡市を中心に、新築戸建・土地、中古売買、賃貸物件、売却・賃貸等の売買仲介や建築業を行う。また、鶴岡市を活性化するための事業「FOODEVER」の運営などにも尽力している。