住まい探しはハトマーク

大京商事株式会社/大阪府大阪市

地域を魅力的にする取り組み

<取材:2018年8月>

 

地域の資源を発見し、
まちをブランディング

人という資源に着目したソフト型の地域活性化策

 

・地域のオリジナルの特性を見つけ、まちをブランディングする

・京橋の地域活性化のための組織を立ち上げる

・地域資源は人。さまざまなイベントで地域を活性化させる

・それぞれの取り組みを地域の文化として定着させる

 


 

地域のオリジナルの特性を見つけ、まちをブランディングする

─御社の事業内容について教えてください。

 昭和36年に祖父が創業し、その後60年近く大阪の京橋エリアを中心に、ビルやマンションの賃貸管理やリーシング業務を行ってきました。私は大学を卒業してから大手不動産会社で住宅の売買仲介の仕事をし、その後2006年に家業に入りましたが、その頃からすでに貸しビルのリーシングが厳しくなり、家賃を下げてもなかなか決まらない状況が続いていました。さらにリーマンショックが追い打ちをかけ、市況が厳しいなか、どうにかしなくてはならないと大変な危機感を覚えました。

 

─その状況を打破するためにどんなことを考えたのですか?

 2008年頃、京橋の隣まちの蒲生(がもう)4丁目エリアで、不動産賃貸業を営んでいる杦田(すぎた)氏を中心に、“古民家再生のまち”として地域を活性化するプロジェクト「がもよんにぎわいプロジェクト」が始まりました。その話を最初に聞いた時には「単体で考えると、壊して新築を建てたほうが収益性はいいはずなのに、本当に大丈夫なのか?」と正直思いました。しかし杦田氏は所有している築100年以上の米蔵を改修し、次の世代に良い形で継承しようとイタリアンレストランにしました。するとそこから徐々に同じような物件が増え、今では20店舗以上がオープンしています。古い町並みという特色を生かした結果、蒲生4丁目が“古民家再生のまち”として認識され、多くの人で賑わうようになりました。そこから私はまちをブランディングし、地域全体の価値を底上げしていくことの大切さを学びました。

 

─京橋エリアでも同じことにチャレンジしたのですか?

 京橋は空襲で大半が焼かれ、築100年というような建物はほぼ残っていませんし、蒲生4丁目も梅田や難波のようなかっこいいまちを目指したのではありません。蒲生が変化していく過程を見ていて、その地域でしか味わえないものやそこにしかない特色を生かし、その地域に行く価値のあるまちにしていくことが大事だということに気付かされました。だから私も京橋にしかない資源を発見し、それを生かした方法でまちの活性化をしようと思いました。

 

 

京橋の地域活性化のための組織を立ち上げる

─地域の人たちと「京橋しゃべり場」を始めました。その目的を教えてください。

「京橋しゃべり場」での議論の様子

 京橋にはすでにまちの中に多くの団体があり、当社も2つの商店街組合に参加しています。しかし、そこでは参加の多い年配の方の意見が中心となり、若い人が意見を出しにくい雰囲気がありました。そこで、若い人が自由に発言できてまちを盛り上げる場で、意見を出すだけでなく、即実践できるような話し合いの場を作りたいと思い、2015年3月に始めたのが「京橋しゃべり場」です。事業主や飲食店のオーナーなど、地域の活性化に興味のある人に私から声をかけていき、まず20名程のメンバーでスタートしました。参加条件は40歳代までということだけで、京橋のことが好きなら、ここに住んでいたり、勤めていたりしなくても構いません。毎月1回意見交換の場を開き、京橋の良いところをシェアしながら“京橋にあったらいいな、できたら面白いな”といった地域活性化のアイデアを出し、実践していくことを目標にしました。その後、活動の幅を広げるため、同年の10月に任意団体から「一般社団法人京橋地域活性化機構」(以下「機構」)に変えました。

 

─具体的にはどのような方針で企画を組み、実践されているのでしょうか?

図1/京橋地域活性化機構のモデル図

 機構では基本となる考え方に沿って議論を進めています(図1)。活動の目標は「京橋に人が来ること」としました。人が来ればまちにお金が落ち、既存の店舗が潤えば“このまちは儲かるまちだ”と新たな出店意欲が生まれます。そうなれば空室率が下がり、賃料も上がります。そのためにまず地域資源分析を行いました。内部環境として歴史資源、文化資源、人的資源など、いったいどのような資源が京橋にあるのかということと、インバウンドといった外部環境の、どの要素をこれから取り込んでいくべきかということを整理しました。そこで出た一つの方向性が、京橋は建物を資源として人を集めるのではなく“人を資源として、イベントを中心に人を集める”ということです。

 京橋駅はJR環状線と京阪電車が交差する地域で、毎日約50万人が行き来しますが、単に乗り換えするために駅を利用するだけで、わざわざまちに降りて買い物や食事を楽しむ人はあまりいません。そこで、乗り換えする人たちがこの駅で降りて、少しでも滞在したいと思ってもらえるような仕掛けを考えることにしました。

京橋地域の地域資源分析

 ただ、イベントは単発で終わってしまっては駄目で、やはり継続していくことが大事ですし、参加者以外の人たちにも、面白かったという情報を拡散していく必要があります。そのために機構では、メディアに取り上げてもらうための戦略を非常に重視しています。しゃべり場では、企画の案出しをした後、アクションプランに落とし込む際は、どうしたらメディアに受けるのかというストーリーを必ず構築するようにしています。メディアへの発信を重視する地域活性化モデルの考え方は、大学卒業後、同志社大学でMBAを取得した際に学びました。その結果、新聞、雑誌、TV、ラジオ、ネットニュースなど、機構が発足して以来すでに100回以上もメディアに取り上げてもらっています。

 

 

 

 

 

地域資源は人。さまざまなイベントで地域を活性化させる

─具体的な取り組みを教えてください。

(1)京橋流しプロジェクト

「京橋流し」の様子

 “流し”は昭和の時代には京橋にもたくさんいましたが、その当時は“流し”の伴奏に合わせてお客さんが歌うスタイルだったので、カラオケの登場で廃れてしまいました。一方、京橋には小さなライブハウスがたくさんあり、アーティストが多く集まるまちです。しかし、駆け出しのミュージシャンや若い人たちはライブハウスを借りるにはお金がないですし、ストリートで歌うのも最近は規制が厳しく、やりにくくなりました。

 京橋の地域資源はというと、商店街に下町の雰囲気を残し、立ち飲み屋が多く、人情の熱いまちで人と人との交流が残っていることです。しかも飲食店のほとんどを個人オーナーがやっているという特徴があります。そこでアーティストと飲食店を結び付け、“若いアーティストたちが音楽を披露できる場”を作り、文化として定着させようと「京橋に“流し”を復活させるプロジェクト」を立ち上げたのです。

 機構のメンバーの顔なじみの店や、お付き合いのある店に働きかけ、若いアーティストたちが店で自由に演奏できるように場所を無料で提供してくれるようにしてもらいました。その結果、徐々に定着し始め、集客効果もあることから、“うちの店にも来てよ”というお店が増え、今では東京からも若いアーティストたちがやってきます。

 立ち飲み屋や居酒屋では、音楽のことはわからないけど一生懸命頑張っている若者たちの姿に心を打たれ、“がんばれよ”と中年のおじさんたちが投げ銭をするという、人情味あふれる光景も目の当たりにするようになりました。

 

(2)京橋子どもカレー食堂

 都島区の社会福祉協議会から、貧困世帯や孤食世帯が増えてきているという相談があったことがきっかけで取り組むことにしました。当時は全国で300カ所程の子ども食堂がありましたが、都島区にはありませんでした。ただ、ほかのまちと同じようにやっても意味がないと思い、福祉の視点だけでなく、「食育」と「まち全体で子どもを育てる」ということを活動の目的にしました。

「京橋こどもカレー食堂」の様子

 そこでストーリーを考え、まず、まちの中にできるだけ多くのステークホルダー(理解協力してくれる人)を増やそうと、まちの中に“募金箱”を置く交渉をしました。その結果、今では設置箇所が100カ所以上にまでなり、協力店からは食材も提供してもらっています。メニューはカレーに絞っていますが、イタリアンの店、居酒屋、中華料理店など毎回違う店が作ってくれるので味もその都度変わります。子どもに地域のお店の存在を知ってもらい興味をもってもらうことと、大人になったときに自分たちも地域の活動をやってみたいと思ってくれるきっかけになればいいと思っています。家の事情は問わず、皆に来てもらいたいと思っていますので、食堂の利用は、まちに住む中学生以下の子どもたち全てが対象です。費用は子ども1円、付き添いの大人は300円ですが、「いただきます」と「ごちそうさま」を言うと、子どもたちに次回の無料券を渡すようにしています。

 さらにそれを発展させ、機構が「Weラブ京橋農園」という農園を借り、採れた野菜を子ども食堂で使っています。玉ねぎ一つ育てるのがどれだけ大変かという事を子どもたちが知れば、好き嫌いをなくせると思います。

 京橋と都島の子ども食堂は、資金面は募金と飲食店の協力を得て、運営は地元のボランティアにお願いしているため、機構としては持ち出しなく運営しています。このように、機構がスキームを作り、“やりたい人”“参加したい人”“資金”の3つの要素が揃えばイベントは継続できます。さらに2018年8月には地元企業から100%協賛を受け、桜ノ宮に3番目の食堂をオープンしました。このような企業協賛が増えてくれば、子ども食堂をもっと広められると思います。

 

(3)Weラブ京橋茶の間

 子ども食堂は月2回実施していますが、それ以外の時間でも子どもたちが安心して集まれるような場を作ることを目的に、空き家を地域交流スペースに変えるプロジェクトを行っています。これは東京大学主催の「チャレンジ!!オープンガバナンス2017」で入選したもので、空き家の所有者が、空き家を“地域で活用する”ことを承諾した場合、不動産会社の協力のもと、その物件と町内会、商店街組合、地域団体等の管理者をマッチングし、地域コミュニティの場として活用するものです。

 「京橋茶の間」は、建て替えが決まっていてテナントが全て退出するまでの2年間ほど空き部屋になっているスペースを、機構が無償で借上げて管理をしています。放課後の子どもの居場所や地域イベント、ママ友会など、地域の人に無料で使ってもらい、人と人との結び付きを強め、地域がよりよくなるための場になることを目的にしています。また、部屋の改修も地域の人の力を借りて作り上げることにしており、地元の工務店に材料と指導者を提供してもらい、皆でDIYを行いました。

 

(4)Weラブ京橋プロジェクト

 京橋に興味を持ってくれる人を増やすために「Weラブ京橋ストラップ」を作成しました。これを持って「Weラブ京橋ステッカー」が貼ってあるお店に行くと、何かおまけがついてくるというものです。ストラップは1個500円ですが、既に800個以上売れ、機構の重要な収入源になっています。参加店も50店近くになりました。

 

(5)地域資源を発見する企画

「大阪歴史ウォーク」の集合写真

 地域資源を新しく発見したり、生み出したりする企画も行っています。「大阪歴史ウォーク」は、歩きながら史跡を巡り、最後にそれまで見てきた史跡にまつわる落語を聞いてもらうという内容です。普段さり気なく通り過ぎてしまっている史跡の意味を理解することができれば、まちに対する思いも変わってくると思います。

 さらに、明治初期に太閤園内に建てられ、建築文化財でありながら長い間使われていなかった「松花堂」という茶室を、地域のために活用することを考えました。文化財をイベントに使うことは簡単にはできないため、元の所有者である薮内流茶道家を招き、大坂夏の陣400年天下一祭のなかで「秀吉大茶会」として開催することを太閤園に提案したところ実現しました。懇親会ではお茶にまつわる落語も演じてもらい、大阪の文化を存分に楽しんでもらう会になりました。

 

(6)他商店街や行政や大学との連携

 私たちが単独でできることは限られていますので、他商店街等との連携はとても重視しています。隣接する地域に大阪ビジネスパーク(OBP)という大きなビジネス街がありますが、最近はやや人気が低迷していることから、お互いの協議会に人を派遣することで連携を深めています。さらに京橋の南には大阪城があり、その管理会社と三者で大阪城から京橋までのエリアをブランディングしていこうと議論しています。大阪にあるキタ、ミナミ以外にもう一つの文化圏“ヒガシ”というものを作り、京橋がその玄関口になればいいと思っています。

 また、大阪府からの委託事業として「商店街サポーター創出・活動支援事業」にも参加しています。外国人観光客を誘致する目的で、京橋に残る古き良き昭和の雰囲気を楽しんでもらおうと考えています。具体的には、まちの人たちがワークショップで提灯に絵付けや書入れを行い、商店街に吊り下げることでまちを彩ります。提灯は外国人に好まれるので、Airbnbや民泊ホストと連携し外国人を商店街に誘導していこうとするものです。

 さらに「京橋学生映画祭」も行いました。京橋には映画館が一つも無くなってしまったことと、大学の映画サークルにはクオリティの高い作品があるにも関わらず、上映する機会が限られることから、地域の人たちに広く学生の映画を観て、交流をしてもらうことにしました。

 

 

それぞれの取り組みを地域の文化として定着させる

─これだけのことを行って、資金や人はどう工面しているのでしょうか?

 どのイベントも収支ができるだけ赤字にならないように組み立てています。参加費、企業の協賛、行政の補助金のうち、どのお金を柱にするのかをイベント毎に考えます。またイベントというと一過性に聞こえますがそうではなく、長期目線で行い、最終的には「地域文化として定着」させることを機構のビジョンにしています。ビジョンが明確で資金の手立てが裏打ちされていれば持続的な取り組みになります。

 いろいろなことを実行すると失敗は必ずあります。私たちは計画を決めてから実行するまでの期間がとても短く、子ども食堂の場合も準備期間は2週間しかありませんでした。そのため初回は食堂に来た一般の子どもは0でした(笑)。しかしこの取り組みを多くのメディアで記事にしてもらいましたので、2回目からたくさん来てくれるようになりました。このように、まず走ってみて次から修正していけばいいと思います。また、資金が回る仕組みさえ作っておけば、その後は、参加したい人と手伝いたい人に委ねることで機構も手離れができます。

 個々のイベントについて、集客数などの数字はあまり重視していません。それによって地域がどれだけ活性化したかという成果は見えにくいので、来場者数よりその取り組みがどれだけ多くの人に伝わったか、つまりどれだけメディアに取り上げられたかを見える評価として大事にしています。そのためにはプレスリリースの内容をいかにわかりやすく、面白いものにするかが大きなポイントです。最終的にはまちに来る人の総数を上げることが目標なので、駅の乗降客数も気にしています。

 

─このような取り組みは他のまちでもできるものでしょうか?

 私たちの取り組みは、商業施設開発のようにハードから入るものではありません。純粋に人の力を上手く利用して地域を盛り上げていく、いわばソフト型の地域活性化の方法になると思います。都市の規模はまったく関係ありません。よく“自分のまちは人を呼べるネタがまったくない”と相談に来られる人がいますが、ネタは自分たちで創造するものです。“流し”の企画も発端は若いアーティストの活躍の場がないという問題点を切り口に、新しい場を作ることから始めました。そのように切り口をしっかり考えればネタはどのまちでも創造できるはずです。

 大事なことは自分のまちにどのような資源があるかをしっかりと認識することです。その資源をどう生かすのか、または地域の課題をどういう切り口で解消していくのかということを考えて、企画に落とし込んでいくことが大切です。頭をひねればやれることはいろいろあります。

 地域の取り組みを進める上で不動産業をしていることはとても大きな強みになります。地域の不動産会社は長く地元に根付いて商売をしているので、地域の人脈や地盤を生かすことができます。また、空き家を見つけるのも容易ですし、オーナーもどこにいてどんな人かを大体知っています。地域の不動産業者は、地域の活性化のためにその中心となって行動していくべきですし、役に立つポジションにいます。そしてその活動は、最後には必ず自分たちに還ってきます。

 

 


 

鷲見慎一(わしみ しんいち) 氏

1981年生まれ。大学で経営学を学ぶかたわら、アパレル事業を起業。会社経営にのめり込む。大学卒業後は近鉄不動産株式会社に就職。優れた営業成績をおさめ、入社2年目で最優秀成績社員賞を受賞。同志社大学大学院MBA卒業。現在は大京商事株式会社 専務取締役。一般社団法人京橋地域活性化機構 理事長。大阪京橋にて不動産会社を経営する一方で、京橋地域の活性化に取り組む。
座右の銘は「即実行、とにかくやってみる!」

 

 

 

大京商事株式会社

代表者:鷲見 文子
所在地:大阪府大阪市都島区東野田町2-3-14 大京本社ビル7F
電 話:06-6353-0418
H P:http://www.daikyocorp.co.jp/
業務内容:大阪京橋駅前で自社の貸ビル、貸マンションをベースに不動産の賃貸・売買仲介、管理、企画、コンサルティング等の業務を地域密着型で行う。