住まい探しはハトマーク

株式会社長田興産/山梨県富士吉田市

地域を魅力的にする取り組み

<取材:2018年12月>

 

若い人の熱い取り組みを
老舗の企業が支援する

人の魅力が地域の魅力。まず自分たちが楽しむ

 

・空き家の流通に向けて行政とタイアップ

・地域の活性化には“年寄り”の関与が必要

・事例紹介 ふじよしだ定住促進センター よそ者が投じた一石を受け止め、新たな動きに発展させる

 


 

空き家の流通に向けて行政とタイアップ

─山梨県宅建協会(以下「宅建協会」)の会長に就任されました。

 当社は1986年に設立し、1993年住宅の建設会社としてスタートしました。その後、宅建業の免許を取得して不動産ビジネスにも参入しましたが、先輩方に頼まれて、宅建協会に入会した次の年から協会の理事を務めています(笑)。その後、10年前に専務理事になり、今年から会長に就任しました。

 

─現在はどのような事業が中心ですか。

 昔に比べて住宅建設部門は縮小し、売上は不動産部門が6割で、新築やリフォームが4割です。

 富士山の北麓の富士五湖地域は、人口10万人と少なく、地元を対象とした住宅地等の不動産業ではスケールが限られてしまいます。富士五湖には約1万戸の別荘があり、都心に近く、世界の富士山を擁する観光地とあって、移住先としても人気があります。不動産の新しい展望として、別荘、リゾート、二地域居住等に目を向けて10年くらい活動してきました。今では、別荘やリゾート関係の不動産業務が約7割を占めています。

 不動産からリフォームまでの弊社のワンストップサービスが好評をいただいており、都心と富士五湖との二地域居住のお客様が多くなりました。高級別荘からホテルの開業までの仲介、コンサルティングもさせていただいております。

 

─山梨県宅建協会は空き家バンクに積極的に協力されています。

図1/富士吉田市空き家バンクの流れ

 別荘だけでなく、地域の空き家が課題になるなかで、宅建協会は富士吉田市と2015年に「富士吉田市空き家・空き店舗バンク事業に係る媒介に関する協定」を締結しました。現在空き家バンクは、「(一財)ふじよしだ定住促進センター」が市の委託を受けて運営しています。消費者からセンターに空き家の活用依頼があった場合は、協会側の事務連絡責任者になっている私に連絡が入り、私とセンターで物件の一次調査をし、利用が可能と思われる物件で、依頼者が宅建業者と進めることに同意した案件を、“富士吉田宅建協力会”の会員に五十音順で担当を振っていきます。協力会を作ったのは、情報が来ても真剣に対応せず、“ああ、そうですか”といってそのまま放置されてしまうと困るからです。そこで、富士吉田市の宅建業者にこの仕組みに参加したい人を募り、その中からメール環境や自社のホームページがあり、空き家の調査にすぐに行けるなどの条件をクリアした10数社にメンバーになってもらっています。

 

─一般住宅だけでなく事業用地についてもネットワークを組んでいます。

図2/富士吉田企業立地促進ネットワーク事業全体図

 富士吉田市の先進的な点は、空き家バンクだけでなく「富士吉田市企業立地推進ネットワーク事業」を作り、積極的に企業誘致や企業の不動産活用の支援をしている点です。企業から、自社有地の処分や、新たに進出する場合の工場用地の確保など事業用物件の相談があった場合には、市から宅建協会に情報が入ります。それが売却依頼の場合は、協力会の担当会員が物件調査をし、“建物を壊して更地にして分譲すると、手元にこれぐらいの資金が残る”といった内容の企画書を作り企業に提案します。逆に、“工場用地として300坪くらいの土地を探してほしい”などと連絡が入った場合は、私が協力会のメンバー全員に周知し、そこから上がってきた情報を市を介して紹介します。そして成約した場合には、仲介手数料の1割を会員から宅建協力会に納めてもらいます。今ではこのネットワークに市内の金融機関と商工会議所が加わり、情報源が広がりました。

 宅建協会は、山梨県にある27市町村のうち、20の自治体と空き家の媒介に関する協定を結んでいます。空き家や社会的弱者に対する居住支援など、行政だけでは解決できない問題に関しては、業界団体等が協力し、官民で一緒に取り組む時代になってきました。行政から相談された困りごとを、宅建協会が損得勘定抜きで積極的に受け入れることが、結果的に会員の利益につながります。山梨県では5年前から宅建協会が音頭をとり、毎年11月に各市町村の空き家バンクの事務担当者を協会の会議室に集め、意見交換会を実施しています。市町村によっては担当部署が違っていたり、取り組みに温度差があるので、悩みの相談や刺激を受けるにはとてもいい場になっているようです。

 

 

地域の活性化には“年寄り”の関与が必要

─若い人たちのまちづくりも支援されています。

 空き家バンクは空き家の流通を促進させる仕組みですが、その空き家を活用し、地域の活性化に結び付けることが必要です。富士吉田市はまちづくりや移住定住促進に関して早くから熱心に取り組んでいて、2007年には慶應義塾大学と連携協定を結び、いろいろな活動が始まりました。さらにそこからまちづくり会社の「(一財)みんなの貯金箱財団」が立ち上がり、「地域おこし協力隊」が加わることによって具体的な成果が出始めています。私も地域の仕事に目が行くようになり、そのような若い人たちの活動を後押ししています。“新世界通り復活”のプロジェクトでは、若い人たちが利用の構想を練りDIYで建物を改修する一方で、市が所有者と交渉し、賃貸借の契約にあたっては私が直接行ったり、助言をしたりしています。

 若い人たちの発想やパワーは素晴らしいものがあります。しかし彼らがいきなり所有者のところに行って、建物を使わせてほしいと頼んでもなかなか理解されません。その点、市の職員や私たちが行くと説得力があります。やはり、空き家を活用して地域を盛り上げていくためには、地元の年寄りたちを絡めていく必要があります。若い人たちの熱い志を地域の大人が受け止め、彼らの媒介となって地域の人たちに伝えていくことによって、地域の中でその活動に対する理解が深まります。

 

─観光促進にも大きく寄与されています。

 私は(一社)富士五湖観光連盟の役員もしております。その活動のなかで、ドローングラファーとして著名な渡邉さん※1をインターネットで見つけ、直接フェイスブックで友達申請をして知り合いになり、富士五湖観光連盟や、富士吉田市プロモーションの映像の作成を請け負ってもらいました。映像には、今まで境内からは見えないとされていた北口本宮冨士浅間神社から望む富士山の景色も見事に映し出され、地元の人たちにとっても初めて見る世界が広がっていました。また、彼を精進湖観光協会の会長に紹介したところすぐに気に入り、会長が所有する空き家を夫妻に提供し、二地域居住をしてもらうことになりました。その後、協会公認のドローンスクール「富士山ドローンベース」を開校し、カヌーの国際大会の開催地として有名な精進湖を、ドローンのメッカとしても盛り上げていこうという動きになっています。

 

左 クレセントエルデザイン代表 取締役/ドローングラファー 渡邉 秋男 氏                     右 ドローンパイロット/安全運 航管理者                      渡邉 さゆり 氏

忠霊塔から見た富士山

ドローンによる撮影の様子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

─長田さんご夫妻で富士吉田市のニュースをインターネット発信していると聞きました。

インターネット放送「富士山スペシャルタイム」放映の様子

明美氏 当社ビルの2階で仲間たちと手作りのスタジオを設け、「富士山スペシャルタイム」という名称で、月2回、木曜日21時からインターネット放送を流しています。内容は地域で活躍する人を応援する番組で、ゲストは私たちが仲間と一緒に見つけたり、出演してくださったゲストから紹介していただいたりしています。番組の内容は本人のインタビューや地域おこしのイベントの紹介などで、ライブで放映したものを撮影してユーチューブでも見られるようにしています。

 

満氏 番組の夢は、山梨県鳴沢村に別荘を持つ安倍首相を呼ぶことです(笑)。私も家内も昔から地域を盛り上げることが大好きなので、皆で楽しくワイワイいいながらやっています。

 

 

 

 

※1 渡邉秋男氏/渡邉さゆり氏 クレセントエルデザイン代表取締役/ドローングラファーとして全国300カ所以上を撮影し、その映像作品は世界からも評価を得ている。2015年、世界初、富士山登頂4Kドローン撮影に成功。2016年、Drone Movie Contest 2016 グランプリ・審査員特別賞 2作品同時受賞。

 

 

【事例紹介】ふじよしだ定住促進センター

よそ者が投じた一石を受け止め、
新たな動きに発展させる

一般財団法人ふじよしだ定住 促進センター                         赤松 智志 氏

一般財団法人ふじよしだ定住促進センター    渡邉 麗 氏

一般財団法人ふじよしだ定住促進センター代表理事、株式会社滝口建築 代表取締役              滝口 伸一 氏

─ふじよしだ定住促進センターの活動内容を教えてください。

渡邉氏 富士吉田では、2007年に山梨県、富士吉田市、慶應義塾大学の三者が連携協定を結び、地域活性化のためのプロジェクトがスタートしました。大学の研究チームが調査に基づき市へ提言を行い、それを受けて市がまちづくりに関する施策を決めてきました。具体的な事業の企画運営は、2013年に設立されたまちづくり会社の「(一財)富士吉田みんなの貯金箱財団(以下、財団)」が行います。その後大学の研究スタッフの中から2名が移住し、地域おこし協力隊として活動を始めました。2018年に財団は、「(一財)ふじよしだ定住促進センター」と名称変更し、現在は3名のスタッフと協力隊3名で運営しています。

 当センターは、“やりたいことができるまち”をテーマに、市民の活動をサポートすることや移住者の支援をすることがメインのミッションです。空き家に関連するものとしては、2015年に市から空き家バンクの運営の委託を受け、宅建協会の長田さんに協力をしてもらいながら市民の窓口の対応をしています。また、空き家の利活用では、地域おこし協力隊の活動が中心となりいくつか具体的な事例が生まれています。

 

ふじよしだ定住促進センターの関係図

●新世界通り復活プロジェクト

渡邉氏 下吉田西裏地区にある50m程の長さの路地を“新世界通り”と呼びます。かつて織物業が繁栄していた時代には、近隣の地区で毎週2回織物の市が開かれ、織物関係者はそこで得たお金を元に西裏地区の夜の街に繰り出したそうです。しかし、繊維産業の衰退とともに繁華街も寂れ、20軒あった飲み屋も1軒になってしまいました。そのため、夜は怖くて通れないほどでしたが、建物はボロボロでも昭和レトロの雰囲気が残っていて、映画『ALWAYS三丁目の夕日』のロケに使われたこともあります。そこで2015年3月に、この通りに魅力を感じた財団が中心となり、昔の賑わいを復活させようとするプロジェクトがスタートしました。

 

合同会社 新世界通り 小林 純 氏

小林氏 ところが実際に改修をしようにも、建物はすでに老朽化し、従前のテナントによる大量の残置物が残っていました。ここを財団だけで改修してもその後も人が寄り付く通りにはならないと考え、地域の人を巻き込むイベントとして“大掃除会”を企画しました。すると地元の高校生や商工会の青年部、婦人会など総勢60人が集まり、皆でトラック9台分のゴミを片付けることができました。ただ、改修を始めてからオープンまで半年くらいかかることから、大掃除で盛り上がった気分をそのまま維持し、市民にもこの通りが変わっていくプロセスを知ってもらいたいという想いで、「新世界通り復活祭り」という夏祭りイベントを開くことにしました。当日は地域内外のお店に参加してもらい、1日限りの屋台村ということで市民に呼びかけたところ2,000人以上が集まり、その機運が確実に高まりました。古い建物の魅力を生かすために、改修は最低限の内容にし、耐震補強などの基本的な工事は、当センターの代表理事でもある滝口さんにお願いしました。2016年2月には、通りの一角に「まる」「さんかく」「しかく」という合同会社直営の3店舗がオープンし、この通りが“乾杯!”の掛け声で賑わう飲食店街として新しく生まれ変わり始めました。

 2016年には新世界通り一帯を管理する会社として「合同会社新世界通り」を設立しました。この会社がオーナーから建物を借り上げて改修し、8軒のテナントにリーシングをします。オーナーやテナントとの賃貸借契約は長田さんに協力をお願いしました。この通りをひとつのまちと見立て、通りの雰囲気が壊れないようにしながら、通り一帯を盛り上げることを考えています。

 

新世界通り復活祭の様子

賑わいを取り戻した新世界通り

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長田氏 2018年「かぎしっぽ」というイタリアンの店がオープンしましたが、店のオーナーは埼玉県から地域おこし協力隊としてやって来た高橋さんです。オープン当初から市の職員が積極的に利用してくれていますし、このような店が経済的に自立するように支えるのが私たち年配者の役割だと思っています。

かぎしっぽオーナー/ 地域おこし協力隊 OB   高橋 亮太 氏

 

 

●ハモニカ横丁

赤松氏 ここは6軒の小料理屋が入っていた築60年以上の長屋で、私が朝の散歩をしているときに出合いました。数多くある空き家や空き店舗の中で、表通りから見えない路地にあり、建物に個性がありいい面構えをしている物件だと思いました。家主はこの物件の隣に住み、今でもユースホステルを経営していて、普段から若者や外国人と接している方だったので、抵抗なく話を聞いてくれました。用途については、空き家の活用が進んでいる尾道の事例なども参考にして“お試し居住施設”とし、まちの雰囲気を感じてもらったり、移住を検討している人の仮住まいの場としても利用してもらうことにしました。この物件は2014年春に「ハモニカ横丁」という名でオープンし、1階はキッチンなどの水回り、2階には個室が2部屋あり、2組が同時に滞在できます。資金面では総務省の助成金を利用して6軒中3軒に手を入れ、基礎の補強工事等は滝口さんにお願いし、解体や内装の作業は延べ100人に集まってもらいDIYで行いました。DIYを実施する場合は資金が足りず、必要に迫られて行う場合が多いのですが、この物件の場合は“仲間作り”を意図して行いました。元が小料理屋だったことから、建物自体に人が集まっていた歴史があるので、その歴史を生かす意味でも仲間作りには最適だと思いました。

 

皆のDIYで作った「ハモニカ横丁」

渡邉氏 私もDIYイベントに参加しましたが、空き家の改修工事を全て大工さんにお願いしていたら、完成した建物に愛着は湧かなかったと思います。場所作りに関わることで楽しさを感じ、仲間意識も生まれ、今ではこの場所をもっといいものにしていこうと思っていますし、ほかの空き家も自分たちで何かできるのではないかという気持ちになりました。

 

●hostel&salon SARUYA

赤松氏 地域おこし協力隊の取り組みとして「アキナイ」というプロジェクトを進めています。“空き家を、まちを楽しむタネにしたい”という思いから“飽きない”“商い”“空きない”の意味をかけて、移住者と空き家のマッチングを行い、地域のコミュニティ作りに生かそうとしています。

「SARUYA」の外観

 「アキナイ」では、ハモニカ横丁をはじめいくつかのリノベーションを行ったのち、2015年4月に富士吉田市内のゲストハウスをオープンさせました。物件は通りに面した商店街の一角にある、築90年の木造2階建ての元美容室です。ここをベッド数13床の男女共用のドミトリーにし、1階にはサロンを設け、宿泊者だけでなく地域の人も利用できるまちなか交流スペースにしました。宿を単に泊まるための場所にするのではなく、まちに開いた場所にしたいと思い、サロンの機能をもたせて名称を「hostel&salon SARUYA」としました。“宿がまちを面白くする、まちが宿を面白くする”そのような相互補完的な関係が、地域の人と宿泊者の間で生まれてくることを願っています。

 

─地域おこし協力隊として空き家の問題に取り組んだ理由を教えてください。

赤松氏 私は6年前に慶應大学のプロジェクトに参加し、その後地域おこし協力隊としてこのまちに移住してきました。本当は教育系の活動をしたかったのですが、外から来た若者が何かを始めるときに、パッと見てわかりやすいことでないと市民に受け入れてもらいにくいと思い、皆が納得する課題である空き家の活用に取り組みました。市民は日常的にまちに関心を持てる機会は少ないと思います。そのような状況のなかで、市役所でも私たちの活動に興味を持ち、話を聞いたり手伝ってくれる職員が出てくるようになったのは、やはり空き家の問題だからです。建物に手が入り、通りがきれいになれば変化は明らかですし、DIYは皆でやった、汗をかいたという共通の体験になります。その意味で、不動産は行政や市民の意識を集めるにはとても重要なものだと思います。ただ、私には専門知識がないので、人とは違う感性を持ち私たちの話を理解してくれる、滝口さんとの出会いがとても大きかったです。

 

─工務店として彼らの活動を応援しようと思ったきっかけは何だったのですか?

滝口氏 父が大工で、私は3兄弟の長男です。しかし高校生の頃、映画監督になりたいと思い、17歳で家を出て東京で大手広告代理店の仕事を受けて企業やドキュメンタリーの映像の仕事をしていました。その後身体をこわし、地元に戻って家業を継ぎましたが、30歳過ぎて戻っても現場では役に立たず、これからどうしようと思案していた時に、商工会議所の青年部の会合で赤松さんに出会い、意気投合しました。

 個々のプロジェクトは資金も少なく、仕事なのかボランティアなのか線引きがしにくい部分もあり、綱渡りでやっています(笑)。しかしお金では計れない人のつながりという価値がどんどん広がっていくのを感じるので、彼らの活動を支えていこうと思っています。とはいえ、いずれは彼らの事業の価値が認められて、そこにお金がしっかりついてくるようにならないといけないと思います。

 当社もSARUYAと隣接している場所を借りて「Little Robot」というコミュニティカフェを作りました。財団や協力隊の人たちと出会い、今後、工務店としてどう生きていくかということを考えるようになり、“箱を作っているだけでは駄目だ、暮らしを創ることを考えていかなくてはならない”と思ったからです。Little Robotはまちに開いたコミュニティカフェという位置づけで、子供食堂として利用したり、認知症の人たちが集える場にしています。

 

─2007年からの産官学連携の取り組みが確実に成果になっています。

赤松氏 当初は空き家があっても何から手を付けていいのかわからないという状態でしたが、誰かが何かを始めないと何も動かないという思いから、協力隊としてその第一歩を踏みだす役割を担ってきました。次第に地元出身の若者たちが参加してくれるようになり、たとえ私たちがいなくなったとしても、いろいろなチャレンジが起こるまちになってきたと思います。空き家が改修されて綺麗なまちになっても、人の血が通っていなければ地域の魅力になりませんし、いろいろな試みがちゃんと積み上げられて、継承されていかないと活動の意味がないと思います。

 空き家の問題に取り組んでわかったことは、ほとんどの大家さんは自分の物件のことしか考えておらず、まちのことなどまったく意識していないということです。大家さんと私たちでは意識レベルでスタートラインが違うので、その足並みを揃えて、未来を照らす役割が私たちであったり不動産業の皆さんだと思います。小商いの人たちを無理やり集め、空き家を埋めるようなことをしても長続きしません。危機感を持ちながらも自然体で流れを作り、結果的に選ばれるまちになっていけばいいと思っています。

 

長田氏 赤松さんはよそ者の感覚で富士吉田を見てくれます。まちに一石を投じた人がいて、それを地元愛にあふれる人が受け止め、流れを変えていこう、先駆者の意図をくんで広めていこうという流れになってきていると思います。

 

明美氏 若い人たちの動きに影響されて、私たちの年代の人たちも一緒にやろうと参加し始めています。人を応援することが好きな人たちが集まって“富士山ときめき隊”というグループができました。人を応援しながら人と人がつながる、そんな動きになりつつあります。

 

滝口氏 私が行っている取り組みを同級生に話しても、あまり響きません。世代というくくりではなく“同時代”に一緒に生きている人たちが共感し、同じ景色を見ていくことが大事だと思います。

 

長田氏 そのまちに住んでいる人が幸せだという実感を持っていれば、人は魅力を感じ、そのまちにやって来ます。子どもの遊び場と一緒で、住んでいる人が楽しんでいなければ、外から人はやって来ません。地域おこしも大切ですが、その前に私たちが楽しんでやっているということのほうが重要です。

 

─地場産業の織物を応援する取り組みも始めました。

「ハタオリマチフェスティバル」のパンフレット

赤松氏 富士吉田市で織物産業に従事している人たちが、このままではじり貧になるのは目に見えているので、何かを始めていかなければいけないと思い、数年前から動き始めました。それは織物産業そのものを盛り上げるということではなく、織物を生かしながらまちを面白くしようという視点の活動でもあるので、行政や私たちもお手伝いをしています。その一環として、他地域のものづくり産地からゲストを招き、どんな取り組みをして、どのような苦労があって、この先どうしたいと思っているのかなどについて話をしてもらいました。また、2016年からは市が主催する「ハタオリマチフェスティバル」が始まり、市内外の織物業者30店舗以上が参加して工場などで製品の展示販売をしています。

 

─高校生を対象にしたプロジェクトについて教えてください。

赤松氏 私たちの年齢になってはじめて地域に興味をもつのではやはり遅く、今から次の世代に何かを伝えていかなければと感じています。ある高校では、卒業生の半分が地元に残って就職し、半分が進学します。進学生も半分は東京に出ますが、半分は甲府に行きます。つまりこのまちは地元出身の人たちに支えられているまちなのです。そこで、卒業して地元に残る高校生たちがまちに対して興味をもち、その可能性を感じてもらうにはどうすればいいかということを考えました。そこから、まちで働いている先輩や、支えたいと思っている大人たちを介して、高校生たちがやりたいことができる環境を作れるのではないかという動きになり、3年前に「かえる舎」が立ち上がりました。

 この事業をきっかけに高校生に話を聞くと、“まちに居場所がない”と感じている人が多いことがわかりました。“もっとまちに出てくればいいじゃないか”というのはあくまで大人の論理で、彼らからすれば、行きたいところや居ていい場所がないというのが本音です。そこで「かえる舎」では、まちの中に彼らが行きたくなる場所を作れば、自然と高校生がまちに出ていく流れになるのではないかと考え、場づくりを進めています。

まちづくりに関わる皆さん

 ソーシャルビジネスのタネは地域にたくさん転がっていて、うまく事業化ができればそのタネで生きていけるし、地域で実際に活躍している面白い人がたくさんいます。東京に対して漠然とした憧れはあるかもしれないが、実際に行ってみると想像していた世界とは180度違うかもしれません。そのようなことを伝えながら、地元で夢が実現できる可能性を消してしまっている高校生に対して、逆にこのまちでもやりたいことができるかもしれないし、やりやすいかもしれないと、選択肢を増やすことによって、夢に一歩でも近づけるようにしてあげられるといいなと思っています。

 

渡邉氏 私がこのまちにいるのも結局人が好きだからで、支えてくれる仲間や人に恵まれているからです。富士山の景色の素晴らしさももちろんですが、“いい人がいる”ということを富士吉田の魅力として外に伝えていきたいですし、まちを出て行った仲間が帰ってきたときに“いいまちだな、いい仲間がいるな”と改めて感じてもらえるような居場所を作っていきたいと思います。

 

 


 

長田 満(おさだ みつる) 氏

1955年富士山のふもと山梨県忍野村に生まれる。大学時代から「富士のふもとに帰り、地域に役立つ仕事をしたい」と思い続ける。そして、ふるさとに戻り、地元ゼネコンに勤務して建築を学び、その後住宅不動産会社でハウジングと不動産を学び、1993年、株式会社長田興産の住宅・不動産業を創業。仕事のかたわら地域活性化活動に積極的に参画。富士五湖観光連盟副会長、地域の空き家空き店舗の活性化等、地域の皆さんと楽しみながら地元を盛り上げている。

 

 

 

株式会社長田興産

代表者:長田 満
所在地:山梨県富士吉田市中曽根2-4-21 コムファースト長田興産ビル
電 話:0555-22-8110
H P:http://www.e-osada.com/
業務内容:山梨県の富士五湖地域を中心に、不動産から注文住宅・リフォームまでワンストップサービスを展開する。リゾート、田舎暮らし、二地域居住、ビジネス、新しいリゾートライフのあり方など、個人にあった「富士五湖暮らし」を提案し、地元の観光促進にも寄与している。