特定非営利活動法人滑川宿まちなみ保存と活用の会/富山県滑川市
地域を魅力的にする取り組み
<取材:2018年7月>
30年かかって衰退したまちを
30年かけて再生していく
古い街並みと歴史的建造物を保存し、市民のために生かす
複雑な権利関係が街並みを残す
─滑川のまちの歴史について教えてください。
江戸時代以降の旧滑川町は、北陸街道の宿場町として、また加賀藩の年貢米や絹、薬、火薬などの物資の集散の港町として栄え、今でも大きな商家が残ります。1954年に旧滑川町は6市との合併を経て滑川市になりました。1960年代からは、郊外で宅地開発が進んだことに加え、大型店の誕生や自動車社会の進展によって人口が流出し、まちは30年くらいかけて徐々に衰退していきました。
─瀬羽町には旧北陸街道の滑川宿の面影がまだ残っています。
現在の滑川市の人口は約3.3万人ですが、日医工㈱や日本カーバイド工業㈱といった大手企業があり、農地を転用したミニ開発では手頃な価格で物件が供給されたため、ここ数年の人口は富山市のベッドタウンとして横ばいで推移しています。ただ、滑川市の瀬羽町周辺は土地の権利関係が非常に複雑で、全国で唯一“永代地上権”というものが登記されている地域なので、地籍調査が困難なことから、区画整理等の事業がまったくできない地域として取り残されました。そのため、狭い路地や横丁が解消されず、土地や建物も流動化せず昔の街並みがそのまま残ることになったのです。
歴史的建造物を市民のために生かす
─滑川市の副市長時代に歴史的な建造物の保存に尽力されました。
2000年に城戸家住宅主屋、小沢家住宅店蔵、廣野家住宅主屋・医院が国登録有形文化財に初めて登録されました。その後、2005年に当時東北大学准教授の永井康雄先生※1がこの辺り一帯の調査を開始。2007年には旧宮崎酒造を地元の建設会社社長の金山氏が購入し、永井先生監修のもとで外観の復元が始まり、2008年にはその主屋と土蔵3棟が国登録有形文化財に登録されました。それまでは所有者が個人的に費用を負担して修復をしていましたが、国などの補助金の受け皿として、同年にまちづくり会社「滑川宿まちなみ保存と活用の会」が発足しました。
私が滑川市の副市長になったのがちょうどその年の4月です。私の母の実家は江戸時代に高札所が置かれていた橋場にあり、昔の街並みもよく知っていましたし、保存と活用の会の皆さんが一生懸命やっておられたので、市としても支援することにしました。富山県の施策に「歴史と文化の薫るまちづくり事業」があったことから、計画を策定したところ2年後に認定され、修復工事というハードだけでなくソフト面でも補助金が活用できるようになりました。その後、補助金等を活用しながら、小沢家の屋根、城戸家、廣野家、菅田家の主屋や旧土肥家などの修復が行われ、2017年までに5カ所が新たに国登録有形文化財に登録されました。
─NPO法人のメンバーとしても活躍されています。
建物を修復した後、その管理と活用をするために、まちづくり会社を引き継いで「NPO法人滑川宿まちなみ保存と活用の会」が発足しました。NPOの活動は、建物の管理のほかに年中行事を開催しています。3月はひなまつりを行い、市民から提供された明治・大正・昭和のお雛様を20体ほど一堂に展示します。同様に5月には端午の節句や春祭りとして加島町に伝わる伝統的獅子舞を披露します。また、世界遺産があるベトナムのホイアン市と路地の多い瀬羽町の古い街並みが似ているということから、8月に“ベトナムランタンまつり”を開催したところ盛況を博し、今では2日間で8,000人が集まる行事になりました。最近では10月に開催する“酒蔵アート”を始めました。水野利詩恵※2さんという画家の、板戸に絵を描く作風が歴史的な建造物にふさわしいということで、彼女の作品をはじめ地元の芸術家に声をかけて旧宮崎酒造に作品を展示します。その他、建物の雰囲気を生かして音楽ライブや骨董市を行っています。
歴史的な建造物を修復するだけでなく、市民の皆さんに利用されないと意味がないと考え、店舗に用途変更する際に使える補助金制度を作りました。旧宮崎酒造ではその制度を利用して、主屋の2階に「café うみいろぼんぼこさ」が誕生しました。店のカウンターからは海が一望でき、そこから見える夕日は絶景です。
30年かけてまちを復活させる
─空き家を活用したお店がいくつか生まれています。
NPOの活動がどこまで貢献しているかはわかりませんが、ここ5年間で、カフェ、アンティーク家具の店、古本屋、弁当屋、ガラス工房と、若いオーナーの店が5軒新規出店しました。歴史的な街並みが残っていることに加え、トイレがない物件もあるので家賃が1万円~と安いことや、道路は狭くても融雪装置があり、出店しやすい環境がそろっているからかもしれません。アンティーク家具店“スヰヘイ”のオーナーは、旧宮崎酒造があったから富山市内から移転してきたといいますし、オーナーが昨年石川県から移住してきて始めた“hammock café Amaca”は、休日になると県外からも人が来るような人気店になり、駐車場の確保に苦労するほどです。
歩みは遅いかもしれませんが、私は「30年かかってまちが衰退したのであれば、30年かけてまちを再生すればいい」と思っています。
※1 現、山形大学教授。旧土肥家を購入し「伝統文化研究、有隣庵」として保存し、集会所や簡易宿所として市民が利用できる施設になっている。
※2 滑川市在住の画家。市内で絵画教室ピンタールを開く。
久保眞人(くぼ まさと) 氏
1954年富山県滑川市生まれ。1978年4月北海道大学法学部卒業後、富山県に奉職。2010年4月から2013年11月まで滑川市副市長として滑川市政に携わり、その後2014年11月公益社団法人富山県宅地建物取引業協会事務局長に就任し、現在に至っている。その傍ら、NPO法人滑川宿まちなみ保存と活用の会のメンバーとして、国登録有形文化財となった歴史的建造物の保存と活用、北陸街道の宿場町として発展してきた旧市街地の活性化に取り組んでいる。
特定非営利活動法人滑川宿まちなみ保存と活用の会
代表者:金山 彰夫
所在地:富山県滑川市瀬羽町1862
電 話:080-7002-9784
H P:https://www.facebook.com/namerikawa.machinami/
業務内容: 旧滑川宿を中心とした歴史的建築物の保存と活用に関する事業を行い、地域の発展に寄与することを目的に2013年に設立。建物の管理のほかに年中行事やイベントを開催し、地域住民の利用を促進している。