有限会社松屋不動産/神奈川県秦野市

地域の安全性を確保する取り組み

<取材:2018年8月>

 

人と人、人と地域をつないで
南相馬の子どもたちを支援する

人を喜ばせる行動が、全てを切り開く!

 

・被災地を支援し続ける

・物件案内は、まずまちのツアーから

・人と人とを紡ぎ、恩を送っていく

 


 

被災地を支援し続ける

─東日本大震災発生時、すぐに被災者の受け入れを始められました。

 2011年3月11日の東日本大震災の日の夕方、テレビをつけると、そこに映し出されたのは宮城県沖の津波の映像でした。直感的に神奈川県にも多くの被災者が来ると確信し、すぐに管理しているオーナーを回りました。敷金・礼金を無しにし、家賃を下げてもらい、仲介手数料も不要にし、その日の夜にはホームページに被災者向け物件として物件情報をアップしました。私はSEO※1対策が得意なので、検索サイトで上位表示させたところ、翌日には仙台から問い合わせが入り、18日にはいわき市の方を受け入れました。最終的には管理物件に29家族が入りましたが、何かあったら自分が責任をとるからと大家を説得し、保証人なしでも契約をしました。

 さらに、実家が被災した東海大学の学生を、アルバイトとして当社で延べ6名雇いました。彼らから直接話を聞くと“これは現地にいかないと駄目だ”と感じ、5月からは宮城県の南三陸町でボランティア活動を始めました。

 

─「南相馬子ども保養プロジェクト」は、どのような経緯で始めたのですか?

 アルバイトとして雇った若者の中に、南相馬市出身で“地元の子どもたちのために会社を立ち上げたい”とサラリーマンを辞めた人がいたので、家賃を下げ住まいを確保してあげました。その後彼は、私からマーケティングを、私の友人の塾の経営者から運営ノウハウを学び、2年後には南相馬で塾を開設しました。今ではキャンセル待ちのいる人気の塾になっていますが、当時は子どもが8割しか地元に戻らなかったため、経営的に厳しい状況でした。そこで、ほかとの差別化のために“塾に入ったら夏休みに神奈川に遊びに行ける”という特典をつけたらどうかと話をしました。するとぜひにということだったので、2015年から被災した南相馬市の子どもたちを秦野市に招待する「南相馬子ども保養プロジェクト」を始めました。

 私個人は2011年からボランティアとして東北に行っていますが、周りの人からは、サラリーマンだから行きたいけど行けない、何から始めていいのかわからない、コンビニの募金は何に使われているかわからないなどと話をされることも多かったので、“それなら僕が子どもたちをこちらに呼ぶよ”という気持ちもありました。

 最初は地元の主婦と3名で立ち上げた「未来キッズプロジェクト」の中の1プロジェクトとして行っていましたが、スピード感や方針の違いから、4年目からは独立し、単独で運営を行っています。プロジェクトは10回実施することにしていますが、今では協力者も増え、協賛企業45社、個人協賛100名強、実行委員約50名を含めお手伝いのボランティアは総勢400名、水や蚊取り線香などの現物協賛品は段ボール箱で20箱以上が集まる規模になり、南相馬市、秦野市の市長や教育委員会の人も参加しています。

 

─プログラムの内容を教えてください。

南相馬と秦野の子どもたち

 2018年で4回目の開催になりました。今回のプロジェクトは3部構成で、第1部が秦野市のハダノ浪漫食堂にて南相馬を舞台にしたドキュメンタリー映画「MARCH」の上映。第2部が南相馬市でAエイブVE※2さんのライブコンサート。第3部は、南相馬の子どもたちを秦野に招待して、7月25日~31日の6泊7日で「山と海で遊ぶ」イベントを行いました。A VE(エイブ)さんは福島の友人から紹介され、東日本大震災応援ソングの「福の歌」を聞いてとても感動したので、直接交渉して2016年からライブをしてもらっています。南相馬市から30名の子どもを招待しましたが、子どもと親の交通費、滞在費、イベント代は全て無料です。2018年は大きなイベントをしたので費用は140万円程度かかりましたが、全て協賛でまかなっています。プロジェクトに「保養」がついているのは、長期間休みが取れるときは、放射線の線量が少ない地域に移動して細胞を休めましょうということ。しかし、その活動は当初の1/4程度にまで減り、なかでも移動費含めて1週間全額無料というのはたった2つで、大手企業の援助なしで運営しているのは当プロジェクトだけです。

 海のイベントでは皆で地引網を引き、山のイベントではログハウスを借り切ってバーべキュー大会をしました。どちらも秦野市の子どもも参加できるようにしており、それぞれ70名、計140名を募集したところ、6日間で定員を超えました。

 

みんなで海遊び

盛り上がった花火大会

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

─被災地の子どもと地元の子どもが交わることができますね。

 プロジェクトの目的は3つあります。1つ目は東北の支援です。被災地の子どもたちと交流することで再度東北のことを思い出してもらい、継続的な支援につなげたいと思います。2つ目は参加した秦野市民同士が交流し、新たなコミュニティを創造することです。そして3つ目が障がい者支援です。現在、発達障がいの子どもたちが増えていますが、学校では特別支援学級に入り、放課後もケアホームに行くため、大人も子どもも障がい者とのコミュニケーションの機会が減り、健常者側が彼らに対して壁を作っている状況があります。南相馬の子どもたちを受け入れることで、障がいの有無や、住んでいる地域、肩書などに関係なく、苦労を共にして仲良くなることを狙いにしています。このプロジェクトを通じて南相馬の子どもたちを応援するだけでなく、地域のつながりも作る。まさに仲介の仕事です。

 

─個人で協賛を集めるのは大変だと思います。そのために何が大事なのでしょうか。

 私はお金を集める時に“お金をください”と言ったことはありません。お金の正体は“信用”です。信用を集めるには“人が喜ぶことや、人がやりたがらないことを継続してやり続ける”ことです。そうすれば感謝が集まりそこに信頼が構築され、その信頼をお金に変えることができます。

サッカー教室

 東北でのボランティア活動のほかにも、2013年からは今まで育ててくれた地域に恩返しをしたいという思いで、元日本代表の木村和司氏を迎えてサッカー教室を始めました。さらに、肺がんと戦っている湘南ベルマーレフットサルクラブの久光重貴選手を招いて“命の尊さを教えよう”と母校でサッカー教室も開きました。

 2016年の熊本地震の際には、アパートに住む熊本出身の学生の家賃を一律5,000円下げ、さらに“地域の大人として彼らのために何ができるのだろう”と考えて、震災の翌月から1年間、熊本出身の学生と当社の前で募金活動をしました。

 また2018年9月からは、同7月の西日本豪雨で被災した岡山県倉敷市真備町で災害ボランティア活動をしています。活動をしながら被災された21の家族とお付き合いをしており、支援物資を送ったり、食事をしたりしています。当初に比べて落ち着いてきたとはいえ、真の復興までにはまだ相当な時間がかかるでしょう。1人でも多くの人が現地へ行き、その目で見て耳で聞いて、肌で感じてほしいと思います。

 その他、毎年市内の幼稚園に絵本を寄付したり、毎朝7時半から、会社の前から大学までの通学路の、ポイ捨てたばこの吸い殻を拾っています。また、南相馬のプロジェクトには自ら10万円寄付しています。さらに退去時の部屋のクリーニングを外注せず、地域の主婦や学生に頼み、そこで生じた外注費との差分も寄付に回しています。

 このような活動を普段からしているので人に伝わるのだと思います。私はSNSに力を入れており、ツイッターのフォロワーは10万人、フェイスブックでは3,000人とつながり、1投稿で1,500くらいの“いいね”がつきます。その結果、“あいつがすることなら間違いがないだろう”と信用してもらえ、多くの方がいろいろな形でサポートしてくれるようになりました。

 プロジェクトでは顧問税理士に依頼して収支計算書を作成し、終了後にはその収支計算書を携えて支援者にお礼参りをします。仕事と一緒で、契約したらそれっきりではありません。信頼を得るにはこのような積み重ねが必要だと思っています。

 

 

物件案内は、まずまちのツアーから

─不動産業に就かれた経緯を教えてください。

 私は二代目です。最終的に家業を継ぐことを決めていましたので、学校卒業後はまず都内の売買専門の仲介会社に就職し、その後、将来を見据えて秦野市で名前を売ろうと大手不動産会社の厚木店に転職。そこでずっとTOP10以内に入る成績を残し、最後に経営の勉強をするために建売会社を経て8年前に家業に入りました。

 

─トップセールスを続けられた秘訣は何ですか?

 売買の仕事をしているときでも“買って下さい”と言ったことは一度もありません。お客様のために時間を使い、買うための判断ができる材料を提供することがプロの仕事だと思っています。例えば女子大生のいる家族には、駅からの夜道をインスタントカメラで何枚も撮影し、地図に張り付けて“夜も安心です”と説明したことがあります。

 賃貸の仕事は当社が初めてでしたが、他社のやり方を見ていると、いきなり物件を見せて“今決めないとなくなる”というようなお客様を煽る営業をしていたり、退去時に法外なクリーニング代を要求したり、防災商品などを売りつけたりして1人のお客様からいかに多くのお金を取るかということをしていて、正直言って“なんだ、この業界は? このような慣習はぶち壊してやろう”と思いました。私は地元で商売をしているので、うそはつけません。いくらお客様が気に入っても自分自身が納得いかなければ“この物件はやめましょう”と断ります。従業員を多く抱えている企業と違い、自分たちが生きていける分だけ稼げればいいのです。常に仕事の基本に立ち、「お客さんが先、利益はあと」ということを実践することが大切だと思います。

 私は「儲ける」という言葉が好きです。「儲」の字を分解すると「信者」になります。自分を信じてくれる人や自分のファンを作れば商売は成り立つということです。その意味で商売の醍醐味は「紹介」です。信頼があるからリピートが生まれるのです。

 

─御社のHPには社長からの情報発信がとても多くみられます。

 この周辺では同業者は20社くらいありますし、FC店も3社あります。生き残るためにはインターネットは必須だと思い、独学で本を読みホームページ作成やSEO対策を学びました。また、お客様が問い合わせをする際、会社や経営者、従業員の様子を見て判断するはずだと思い、ブログを開設し自分のことを徹底的に発信するようにしました。その結果、お客様は私のことを理解して問い合わせをするので、10人来れば9人は成約します。今でも月20冊は本を読みますし、読んでよかったと思うことを必ず実践するようにしています。

 また、ホームページでは8年前から物件の住所末尾まで全て開示し、さらに最近は物件の動画を撮り、隣にどんな建物があるのかなども公開しています。これからは情報はオープンにする時代です。重視されるのは、どの物件を借りるかではなく“誰から借りるか”になってきます。

 当社のメインターゲットは大学生とその親になります。特に地方から来る学生については親の代わりに4年間子どもを預かるという気持ちでいます。そのため入居者からの問い合わせには、午前0時までは直接対応することにしています。夜中に40度の熱が出たとLINEが入り、親の代わりに病院に連れて行ったこともあります。学生の場合は最初の面談の際に、奨学金を受ける予定の有無と、アルバイトの予定の有無を必ず聞き、それに親からの仕送り額を聞いた上で案内する物件を決めます。決して無理はさせません。

 

─大家さんと良い関係を構築するには何が大事ですか。

 東日本大震災の被災者やその地域出身の学生のために賃料を下げてもらえたのも、当社が満室にしてきた実績があるからです。他社で2年間決まらなかった物件を、WEBを使って1週間で満室にした実績があることから、いざというときはこちらの要望も聞いてくれます。私は物件を案内する際は3件まで、人によっては1件しか案内しません。したがって大家さんも私が連れてくる場合はかなり高い確率で成約すると思ってくれます。大家さんとの関係はビジネスパートナーだと思っていますので、お金をかけてリフォームするよりコンセントを増設する方が学生のニーズがあるなど、実際に効果の上がるノウハウをお伝えします。また弁護士、建築家、FPたちと「大家さんのみかた」というチームを組んで、大家さん向け勉強会も開催しています。

 

─「松屋ナイトツアーズ」というとてもユニークな案内をしています。

 入居希望者が来たら、まず1時間かけてまちのツアーをし、スーパーやコンビニ、病院などの場所や評判を伝えます。他社は効率が悪いからといって、物件を案内するだけでまちの案内に時間をかけません。しかし私は効率より効果を求めるべきだと思っています。

 私のブログの中で好評なのが「東海大学1年生の女子学生が引っ越したその夜にその部屋が嫌になったたった1つのミス」というものがあります。つまりその女子学生は、夜道が暗い物件を決めてしまったということです。実際に地方からのお客様は限られた時間で物件を決めなくてはなりません。そこで私は、問い合わせがあった物件はその方のために夜道の様子を撮影し、非公開のサイトにアップして、“夜道でもこれだけ明るいですし、アパートのそばに飛び移れる電柱がないので侵入者などの危険は低いと思います。私としては安心して紹介できるのでご判断下さい”とコメントを添えてURLを送ります。

 「松屋ナイトツアーズ」という試みも始めました。これは、地方からのお客様に前日の夜に来てもらい、ナイトツアーとして夜道などを確認したあと、翌日に物件を見てもらうものです。ツアーの案内には“物件を決めないことを前提に来てください。あくまでまちの紹介です。前日に夜道やまちの様子を確認して翌日に物件を見てください”とうたっています。このようなひと手間をかけるかどうかで信頼面に差がつきます。

 不動産会社が提供すべきサービスは、部屋そのものではなく「引っ越し後の快適な住環境の提供」だと思います。つまり部屋の紹介はあくまで手段で、本当に考えるべきことは、お客様の生活をいかに良いものにするかということです。

 また、当社の入居者には毎月、家賃を事務所に持参してもらいます。そこで本人の顔色を見て、何か困っていそうな様子があれば声をかけます。多くの業者はお客様のことを見ずにお金だけを見ているような気がします。当社はアナログなやり方にこだわっていますし、学生の親が求めているのもその点だと思います。

 

─学生向けにセミナーも開催しています。

 就職活動に備えたコミュニケーションや文章力の向上のためにやっています。今の学生はSNSに慣れているので、電話や直接の面談で自分のことをコンパクトにわかりやすく伝えることができません。それでは社会に出て通用しないので、私が会場を手配し、私の友人の塾の経営者や大学の先生などにボランティアで講師になってもらい、東海大学の学生にセミナーを提供しています。これは当社の入居者だけの特典です。

 

 

人と人とを紡ぎ、恩を送っていく

─多くのプロジェクトを通じて何を伝えていきたいですか?

 最近、小学校や中学校の授業に呼ばれ、話をする機会が増えました。そこでは震災後の東北の様子を伝えるだけではなく、“南相馬のプロジェクトを通じて、お金やモノ、情報や仲間が集まる理由は何だろう?”ということを考えてもらいます。

店内に飾られたお礼状の数々

 ボランティアの仕事については、“働(ハタラ)く意味は人の役に立ってハタの人を(楽)ラクにすること。だから大人の僕は今がとても楽しい”と話します。また、ボランティアが提供しているのは“時間”で、それはお金では買えない貴重なものだということを伝えます。時計が2時45分で止まっている閖上(ゆりあげ)小学校の写真を見せながら、自分の大事な人が津波にのまれるのを校舎の上からみていた子どもたちや、線量が高い福島に住んでいる人たちが今どういう思いで生活しているのかということを考えてもらい、“相手の立場を慮りましょう”と話します。最初は皆から無理と反対されたプロジェクトが“何故実現できたのか?”と問いかけ、それは行動したからで、“行動が全てを切り開く”と伝えます。そして最後が「恩送り」。“恩を受けたらそれを他の人に送ってあげて欲しい。震災の支援は直接できなくても、電車の中でお年寄りに席を譲ったり、道路のゴミを拾うことはできるでしょう”。そして、その行動が巡り巡って情報やお金やモノの形で還ってくることを伝えます。

 話のタイトルは「紡ぐ」です。プロジェクトでは、福島の子どもと秦野の子ども、ボランティアの仲間や福島の友人など、これまでにいろいろな人をつなぐことができました。

 このようにコミュニケーション力を生かしながら、人と人の間に入り、お互いをつないで素敵な社会にしていくこと。まさにこれは不動産業の仕事と一緒だと思います。

 

※1 “Search Engine Optimization” の略。検索エンジン最適化を意味する言葉。

※2 福島県福島市出身・在住のシンガーソングライター。「福の歌」は3rdシングル。

 


 

福嶋秀樹(ふくしま ひでき) 氏

1970年生まれ。大学卒業後、小田急不動産㈱、㈱リマインドを経て父の会社を引き継ぐ。高校2年生と中学1年生の子どもの父親。ライフワークは東北支援。2011年5月以降、宮城県南三陸町へ災害ボランティア活動入りするとともに、受け入れを29家族、被災した学生6人をアルバイト雇用。5年前から福島県南相馬市の子どもたちを神奈川県へチャリティで招待。活動を続けるかたわら、現在は西日本豪雨被災の地、岡山県倉敷市真備町に滞在し、災害ボランティアとして尽力している。

 

 

 

有限会社松屋不動産

代表者:福嶋 秀樹
所在地:神奈川県秦野市南矢名1-13-15
電 話:0463-77-2337/090-2470-8542
H P:https://www.matsuyafudosan.com/
業務内容:神奈川県秦野市・伊勢原市・平塚市エリアで不動産コンサルティング、売買、賃貸仲介・管理を行う。東海大学、神奈川大学の学生向け賃貸アパートの斡旋のほか、外国人、高齢者、生活保護者に対する住宅斡旋も積極的に行っている。