株式会社アンディート/東京都世田谷区

地域の安全性を確保する取り組み

<取材:2019年9月>

 

ひとを先に、モノや構造をあとに
すると、緩やかなつながりが続く

地域の人・モノ・コトを耕し、支え合い、芽を伸ばす

 

・先に使いたい人をみつけて、その人らしい空間をつくる

・地域に開かれた福祉施設をつくる

・コミュニティは作るものではなく、自ずとできていくもの

・未来の子どもたちのためのまちを創る

 


 

先に使いたい人をみつけて、その人らしい空間をつくる

─立地条件の厳しい賃貸アパートを経営されています。

 百貨店でバイヤーの仕事をしていた頃、実家に暮らす祖父が振り込め詐欺に遭いそうになりました。その時、“自分はいったい誰のために仕事をしているのだろう。家族の困りごとも解決できずに、何のために毎日忙しく働いているんだろう”と自分の仕事に疑問をもち、30歳をすぎたタイミングで百貨店を辞めました。もともと実家は世田谷の小さな都市農家で、賃貸アパートを持っていたのですが、小田急線の成城学園駅と田園都市線の二子玉川駅の間にあり、どちらの駅からも遠く、立地条件のよい物件ではないために空室が目立っていました。そこで、旧来から付き合いのある管理会社に「なんとかしたいので相談にのってほしい」と依頼すると、「もし部屋が決まらなかったら申し訳ないので、相談にはのれない」と言われ衝撃を受けました。百貨店のビジネスでは、取引先同士が協力し合って、エンドユーザーにいかによいサービスや商品を提供するかについて考えることは当たり前でした。そこで“そうか、それならまだこの業界でやれることはたくさんある”と思い、これから賃貸経営をするうえで必要な、建築や保険、不動産やマーケティングの言語を話せるようになろうと、まずFPの勉強から始めました。

 同時にリーマンショックの時期も重なり、千歳船橋駅から徒歩5分くらいのところにある不動産をたまたま買うことができたため、自分で一からコミュニティ型の賃貸住宅をつくることにしました。自宅として住むことも決めていましたので、どう広めていくか、運営をどうしていくかなどを考えながら、自分にとって心地いい物件になるようにしていきました。

 実家の賃貸アパートも家族から購入し、法人組織を作って所有することにしました。その中の一つに、駅から遠い場所にある築27年(2020年時点)の軽量鉄骨の物件があったのですが、空きが出た際に不動産会社に入居募集を頼むと、その都度、広告やフリーレントをすすめられ、さらには家賃も下げるといわれて頭を悩ませていました。そんな時、島原万丈さん※1の『愛ある賃貸住宅を求めて』というレポートや、同じく賃貸住宅のあり方に疑問をもっていた青木純さん※2と出会い、居住者たちのパーティを開催したり、部屋をリノベーションする際に“先に人をみつけて、その人らしい空間を作る”ことをしてみたのです。すると古い物件でもたくさんの問い合わせが入るようになり、幸運にも入居者を選ばせてもらえるようになりました。立地が厳しくても、そこで“どういう暮らしをしたいのか”を聞き、その人と一緒に改修をし、その人らしい場所を創っていくと、まったく違うニーズを持つ人が現れることに気付きました。モノを先に作って住む人を募集すると、まず“家賃や設備は?”という話になりますが、先に使いたい人をみつけて、その人にあったモノにすれば、交渉の関係性にならないことがわかりました。はじめの頃は、中途半端にリフォームをしてしまい、それ以上の投資もできずしばらく塩漬けにするなどの失敗もありましたが、今は、自分の事業としてお金の流れもコントロールできるようになり、どこまでやればマインドセットが変わるかという感覚がつかめるようになりました。大家さんとは本来、“人と人との関係性をデザインし、見守って育む仕事”だと思っています。

 

 

地域に開かれた福祉施設をつくる

─所有のアパートを福祉施設にコンバージョンしました。

アパートの外観

 この物件も不人気の物件で、1階が全て空いていました。リフォームもしてみましたがやはり決まらず、建築士にも相談しましたが、なかなかいいアイデアは出ませんでした。一方当時の我が家は、統合失調症の母、認知症になりかけの祖父、生まれたばかりの子ども、そして空き部屋の多い賃貸住宅を抱えた状態。空き家と家族のケアの問題が同時に起こることは決して珍しいことではなく、誰にでも起こり得る問題とは思うのですが、そのときは大変な状況でした。古いアパートは解体して新築アパートをサブリースにし、祖父は施設に託せばいいとなるのでしょうが、建て替えたとしても単に問題を先送りにしているだけのような気がしました。そんなとき、祖父の介護を担ってくださるケアマネージャーから“福祉は住宅に始まり住宅に終わる”という言葉があることを教えてもらい、とても衝撃を受けました。

デイサービスのエントランス裏(カフェコーナーの入り口)

 福祉の充実のためには単に施設をつくればいいというのではなく、高齢者や障がいのある人たちが、地域の中で自分らしく暮らしていくことを実現できるようにすることが大切です。社会福祉法人の場合、大きな施設をつくってケアするだけではなく、小さな拠点を作り、地域に出て行って多様なネットワークを築きながら、困った時に支えていく“アウトリーチ”も大切だということを知りました。そこでアパートの1階を丸ごとひとつの空間に抜いて、デイサービス(通所介護)施設にすることにしたのです。

 

●タガヤセ大蔵

 『タガヤセ大蔵』は、もとは築30年のアパートで、3部屋あった1階部分を全て改装し、要介護の方を対象にした、定員10名の地域密着型デイサービス施設に再生したものです。社会福祉法人大三島育徳会が運営し、高齢者の食事や入浴などの日常生活上の支援や、生活機能向上のための訓練を日帰りで提供しています。この施設の特長は、利用者みずからが調理をして皆で食卓を囲むことと、施設の一部を地域の居場所として開放しており、コミュニティカフェを開催し定期的に地域の人も集まれるようにしたり、私の実家の畑を地域に開放している点です。施設の利用者も野菜の収穫を行い、それを食事に使っています。また安全性とデザイン性の両立を考慮し、床は岡山県西粟倉村の無垢材を使い、家具も福祉用のものだけにこだわらず、木のぬくもりを感じられる施設にしました。

 “タガヤセ”という名称にしたのは、耕すという言葉には、土地や畑、それに人との関係性を耕し、固くなってしまったものを柔らかくするという意味がありますし、“セ”を前にするとセタガヤになります。また英語のcultivate(耕す)は、culture(文化)の語源でもあることから、農業だけでなく複合的な意味を持たせたいと思いました。

 

─デイサービスの事業計画を教えてください。

 外から建物の中の雰囲気がわかり、地域の人が気楽に利用できる、オープンで福祉施設らしくないものにしようと、建築士の天野美紀さん※3と住宅のライターに加わってもらい話し合いを始めました。福祉事業者も当方も資金が潤沢にあるわけではありません。介護事業は収入の一部が介護保険から充てられることから制限も多く、こちらも資金回収をしなくてはならないことから、事業性から逆算した家賃とそれぞれの投資額を当方と先方で話し合い8:2の割合にし、6年程度で回収する計画にしました。またこの事業は、世田谷区の空き家モデル事業の1号案件になり、メディアへの露出効果も期待できました。

 

デイサービスの間取り

デイルームと地域交流スペースの壁がなく見通しのよいつくり

 一緒に取り組んでみてよくわかりましたが、介護事業者の1日はとても忙しいのです。朝利用者を迎えに行き、食事を作りお風呂に入れて自宅に送ったあと、施設に戻ってそこから事務仕事をする、といったルーティンが毎日繰り返されます。そのような状況で、彼らはいったいいつ地域とつながることができるのだろうかと思いました。介護の仕事は給与水準がほかに比べて高いわけではなく、仕事を通じて人脈を広げる機会も少ない、重労働で、必要とされながらも大変な仕事です。だからタガヤセ大蔵は、多様な人たちが支え合って生かし合う関係性がつくれる、地域に開いたデイサービスにしようと思いました。そうすれば、自分の仕事も大事にされ、仕事を通じて友達もでき、おいしいものも食べられます。また、事業者側の投資割合が少なく済んでいるので他の施設より収支がいいはずです。3つのF(fun、friend、food)があると人はつながりやすいと聞いたことがありますが、そのような満足が得られる仕事として、介護の仕事が社会に認知されたら、“福祉の世界であの人みたいに働きたい”という人が増えるのではないかと思います。

 

─福祉事業者との意見の調整は大変でしたか?

畑を守ってくれる地域の人と一緒に

 福祉事業者とは、最初の1年くらいはミスコミュニケーションが続きました。理念としてやりたいことと、具体的に施設の中に実装できることはやはり別で、生まれたアイデアを形にする段階で意見が分かれました。例えば手すりの問題があります。福祉の施設では安全ということが介護家族との約束事になるので転倒事故などあってはならず、手すりはあればあるほどいいということになります。しかし、手すりの費用負担はこちらだし、必ずしも必要ではないところもあるはずだと話をすると、導線などを見直してくれて、最終的には風呂やトイレなど必要最小限のところだけにしてくれました。また、コミュニティカフェも最初は行政からは認められず、作るにしても壁で仕切ってほしいといわれました。介護保険が適用される場所なので、スタッフの時間と必要面積はあくまで施設利用者に向けられるべきだし、施設利用者のプライバシーの保護も必要だという理由からです。それに対して、“カフェに来る地域の人たちは、転倒しそうな人がいたら支える役目をする見守りのボランティアと位置づけられないか”という話を行政にしてやり取りをすると、徐々に垣根が低くなっていき、最終的に認めてもらうことができ、壁も必要ないということになりました。

利用者と地域のボランティアが気軽に交流できる場に

 最初のうちは、相手に考え方を変えてもらうことばかりを求めていましたが、途中から彼らに対して私に何ができるのかを考え、自分ができることを少しずつ持ち寄るようにしました。すると、お互いの考え方が自然に変わってきたのです。

 最近、社会を変えよう、チェンジしていこうということがよくいわれますが、“変化を他人に求めるのではなく、自分たちがまず変わることが必要だ”ということを、彼らとのコミュニケーションを通じて深く学びました。

 

─コミュニティカフェを作る案は安藤さんの提案ですか?

 この案は福祉側にありました。地域包括ケアという考え方があり、高齢者が自分らしい暮らしをするには地域との連携が必要だという指針がありますが、実際には誰と連携していいのかわからず、なかなか実現できていないように感じています。そこに私が関われる価値があると思いました。福祉という言葉を辞書で調べると、最初に出てくる定義は“幸せ”だそうです。介護を必要とする高齢者の周りに、今は介護を必要としない人が集まって助け合うことで、豊かさや幸せを感じる場所にすること。いま“福祉側”と言いましたが、そういう無意識の分断を緩やかに包み込めたらいいなと思います。

 

 

コミュニティは作るものではなく、自ずとできていくもの

─コミュニティの価値が見直されています。どのように進めればいいのでしょうか。

 コミュニティは意図的に作るものではなく、どちらかというと自ずとできるものだと思います。散逸構造※4という考え方がありますが、それは対流していることが大事で、構造は結果ということです。つまり、人と人が何となく楽しそうにしていたり、一緒に美味しいものを食べて幸せにしていることが実質的にはコミュニティになっていて、意図的に人を集めようとか、コミュニティを作る仕掛けをしようというように、構造を先に作ろうとするとうまくいきません。“人が集まるところに市が立つ”という話がありますが、人の対流があればいつでも構造化はできます。先日も天然酵母でパンを作り、住人に配ったところすごく喜んでくれて、いつの間にか、パン教室を開こうということがライン上に立ち上がっていました。このように“コミュニティを作ろう”というアプローチではなく、自分のやりたいことや人が思わずやりたくなることを無理せず増やしていき、人と人のつながりが立体的に組み合わさって一つの形になっていけばいいと思っています。

 以前、ほかの町の行政の方が空き家問題を解決したいと相談に来られたことがありますが、その際は、“構造から考えずに、まず最初にまちの中に面白い人を探しに行くといいと思います”と伝えました。まちに暮らす人々の多様な能力を掘り起こし、育んでいくことがまちの豊かさにつながると思います。

 世田谷区には、“世田谷トラストまちづくり”という中間組織があり、何かをやりたい人たちを上手に集めてその活動を支えています。区長をはじめとして区民も住民主体のまちづくりが盛んで、何かをやりたいと思っている区民が一堂に会す機会を設けたところ、介護や農業、子育て等のネットワークがセクターを越えてつながるようになり、そこからいろいろなプロジェクトが生まれました。

 

 

未来の子どもたちのためのまちを創る

─この地域をこれからどうしていきたいですか。

 実家の土地に、昭和40(1965)年に計画された都市計画道路がいよいよ通ることになりました。これにより土地が分断されてしまうことから、それぞれ長屋タイプの賃貸住宅を作り、1棟は実家とファミリー3世帯が緩くつながって暮らせるようなものにし、道路の反対側の棟は、1階には総菜屋さんのようなまちに必要なスモールビジネスを恊働し、2階にはシェアできてお互いが学びあえる子供部屋を作ろうと思っています。周りの古い団地も建て替わる予定で、そこには新たなファミリー層が来ると思います。そうなったとき必要なのは、安全な食と安心できる緩やかな人のつながりです。またこの地域は、子どもたちの自由な外遊びをすすめる“プレイパーク”が今後計画されていて、まちのいろいろなプレイヤーが緩くつながりはじめています。

 まち全体をどうしていくかという議論を行政や地権者だけでしてしまうと、つい自分の権利を主張してしまいがちです。しかし、緩くつながっていると団地の開発のキーマンや、保育園や地域のお母さんたちともつながることができるので、何かしようとしたとき、すぐにそれができる人たちの顔が浮かびます。特定のリーダーや大きな団体を作って進めるだけではなく、まちとして何が必要なのかということを地域の人たちで考えながら、やりたい人がやれる場所を地域の中に作り、一つ一つ小さな明かりが灯り始め、徐々にまちができていくというように進んでいったらいいなと思っています。それができるのも、地域の人たちの顔が見えるからです。それぞれの人が持っている力を丁寧に観察しながら、そのまちに暮らす人たちの力を最大化することをいかに増やしていけるかということが、地域の価値を高めることにつながるのではないかと思います。

 

─まちづくりのプロセスに無理を感じません。

 先日、出張の帰りに立ち寄った比叡山延暦寺の本堂には、1200年以上も消えない不滅の法燈がありました。それは“一隅を照らす人になりなさい”ということを示しているそうです。つまり、国の宝はお金や財宝ではなく“一隅を照らす人”だということです。一隅というのは社会の片隅のこと、それを照らす人がたくさんいることで社会は変わります。人は大きなランプに火を灯したくなりますが、それができる人はそれほどたくさんいません。一人一人が小さな火を灯していくことが、結果的に社会がよくなることにつながるのではないかと思います。日本人が持っているDNAに近い無理のない生き方、農耕民だけでなく、狩猟民や漁民といった多様な生き方のなかでそれぞれが力を十分に発揮している状態が、社会として一番無理がないのではないか。また、ネイティブアメリカンの言い伝えのなかに、“土地は先祖からの授かりものではなく、未来の子どもからの預かりものである”という言葉があります。まちには道路が通り、建物も建て替えられて変わっていきます。私たちは、変えずに守ることはもうできませんので、変えながら守っていくしかありません。未来の子どもたちから“ありがとう”と言ってもらえるように、できることをしていきたいと思います。

 この辺りも、今は駅から遠く不便なところですが、MaaS※5が整備されると、将来的な価値が利便から暮らしやすさに変わり、駅前と逆転するかもしれません。日本は、右肩上がりの時代には、工業製品を作るための統一の価値観で社会の仕組みを構築してきましたが、時代が変わり、今までとは異なる眼鏡で社会を見ていくと、これからは誰にでも豊かなチャンスがあるように思えます。

 

※1 HOME’S総研所長。研究報告書『愛ある賃貸住宅を求めて』は2010年リクルート住宅総研より発行。

※2 株式会社まめくらし代表(本社:東京都練馬区)

※3 A-MANO DESIGN代表(本社:宮城県石巻市)

※4 熱力学的に平衡でない状態にある開放系構造を指す。例えば内海の渦潮のように、一定の入力のあるときにだけその構造が維持され続けるようなものを指す。(wikipediaより引用編集)

※5 Mobility as a Serviceのこと。情報通信技術を活用することにより全ての交通手段をシームレスにつなぐ新たな『移動』の概念。(wikipediaより)

 


 

安藤勝信(あんどう かつのぶ) 氏

株式会社アンディート代表取締役。古い建物に新しい価値を付けて再生し、住まい手の愛着や地域とのつながりを育む賃貸事業を展開。築30年の木造アパートを福祉とリノベーションで再生した「タガヤセ大蔵プロジェクト」が世田谷区空き家等地域貢献活用モデル事業に選定された。