住まい探しはハトマーク

馬場正尊 氏/株式会社オープン・エー

地域を魅力的にする取り組み

第2回次世代不動産研究会

<講演:2019年10月>

 

公共空間のリノベーションで
エリアの価値を上げる

民間主導行政支援型の公民連携で事業を推進する

 

・R不動産を立ち上げ、今までとは違った視点で不動産を読み解く

・公共不動産に対する関心の芽生え

・公共空間をリノベーションする試み

・公民連携の3つのパターン

・公共空間と民間企業をマッチングする

 


 

R不動産を立ち上げ、今までとは違った視点で不動産を読み解く

 私の活動の母体は2003年に設立した㈱オープン・エー(Open A)という一級建築士事務所です。社名のオープンアーキテクチャーに込めた、“建築を開いていきたい”というモチベーションをもとに、その1つの方向性として不動産の領域に拡張し、住宅の設計やリノベーションをしてきました。また、最近では公共空間や公共施設の再生にも取り組み始めています。

 さらに、独立する前に広告代理店に勤めていたことや、雑誌の編集をしていたこともあり、東京の中の面白い古いビルを活用する文化を作りたいという気持ちがあったことから「東京R不動産」という不動産紹介サイトを立ち上げました。このサイトを立ち上げたきっかけは、2003年に独立する際、ボロボロでもいいので物件を見つけようと不動産会社をまわったのですが、どこへ行っても情報がなく、逆に“あの古いビル使いたいので何とかなりませんか”というと驚かれるなど、コミュニケーションがまったく成り立たなかったことでした。このとき、自分たちが面白いと思う物件を集めた不動産のセレクトショップを作ろうと思ったのです。当初は私個人のブログのようなもので、気になった物件を面白い写真と文章で楽しく紹介していましたが、その後、㈱スペースデザインから林と吉里が参加し、マーケティングの知識と不動産の知識が加わって今の状態になりました。その後、“R不動産”と名のつくサイトは全国で10地域まで広がり、トータルで日に500万ページビューを稼ぐまでになっています。

 このサイトの一番の特長はアイコンで、ユーザーはアイコンを頼りに物件を選びます。それは、物件を今までとは違ったインターフェイスで見せることを通じて、スペック(定量情報)ではなく、定性情報で不動産を読み解こうとする試みでした。その結果、それまで“築50年以上の単に古い物件”扱いされていた、坂倉準三氏が設計した日本初のワンルームマンションがすごい人気になったりするなど、情報をコントロールすることで、同じものでも価値が変わるという現象が生まれました。このような試みを通じて、それまでバラバラだった不動産と建築デザインとメディアプロモーションの3つの世界が1つに融合したのが“R不動産”ではないかと思います。

 

 

公共不動産に対する関心の芽生え

写真1/BOOK STORE CAFÉ

 16、17年前に、新しいビルがたくさん供給されて古いビルが余るという“2003年問題”と呼ばれる現象がありました。そこで、都心の古いビルが余るのであれば、それを変えていくことが次のビジネスになるのではないかと思い、古い建物を再生するためのマニュフェストを作ろうと、仲間たちと『都市をリサイクル』という本を著しました。その取材でアメリカのロスに行った際、公共空間のポテンシャルが何となく体内にしみこんでいくのを感じたのです。例えば、廃墟になった商店街の中の一室をリノベーションしてギャラリーにしたことがきっかけとなり、その辺り一帯が有名なギャラリー街に変化したことを知り、「小さな主体でもまちを変えられる原動力になるんだ」とワクワクしました。また、店主だった夫婦が年をとり、続けられなくて廃業した古本屋を、若者が古本ごと買い取ってブックカフェにしたところ、たくさんの人が集まる場所になるのを見て、まちのストーリーを継承することで、プライベートな場所がまちのパブリックな空間になり、まちが元気になっていくという事実を目の当たりにしました(写真1)。さらに、倒産したデパートをワークショップギャラリーにリノベーションしたところ、親子が集まるまちの中心的な場所になりました。子どもの頃行っていたデパートに、今度は母親となって自分の子どもをギャラリーに連れていくことで、建物やまちの記憶が継承されていく感じがとても素敵だと思いました(写真2)。このようにプライベートな場所でもパブリックな空間にすることができ、 そのためには「人の想いを継承していくことがとても大切なんだ」という感覚を持ったのです。

写真2/ワークショップギャラリー

 その後東京に戻り、勝どきにある倉庫街の倉庫を靴屋さんのオフィスにリノベーションしてカルチャーっぽい空間を作ったところ、人通りのないエリアに人が集まるようになったり、新聞社の工場を複合施設にすると、カフェや写真スタジオ等が入り、結婚式やファッションショーなどが行われ、たくさんの人が集まる場に変わっていきました。

 このような一連の仕事を通じて、外に開いたインパクトのある空間は、エリアの価値を上げることができることを実感しました。そして、その次にリノベーションすべき空間は、まちに開いた公共空間なのではないかという仮説を持ったのです。

 

 

 

 

 

公共空間をリノベーションする試み

写真3/ブライアント・パーク

 公共空間のリノベーションに取り組む決定的な動機になったのが、ニューヨークにあるブライアント・パークを見に行った時の光景です。そこでは、移動図書館やカフェがあったり、夜になると映画が上映されたりと、あらゆるプログラムが公園の中で行われていました(写真3)。しかも、無線LANの協賛はファッションメーカーのZARAが行っており、すごくおしゃれだなと思いました。ちょうどそのとき日本では、 渋谷の宮下公園がNIKEのネーミングライツ※1を受けるかどうかでもめていて、その意識の差に愕然としました。民

間企業も公共空間の使い方にもっとコミットすべきだし、行政もそれに対してブレーキをかけている場合じゃないと強く思いました。実際に日本の公園にはあちこちに看板があり、あらゆるアクティビティが禁止と謳われています。“公園は佇む以外に何もできない”ということが日本の公共空間の現実でした。

 私はこれまで何か問題意識が芽生えた時には、本を出して社会に対して問題提起をし、それに対して共感したり、反応してくれた人たちと仕事をしてきました。そこでまだ何も実績はありませんでしたが、「公共空間のあり方を問い直したい。そしてその先にある公共の概念を揺さぶりたい」という想いで『公共空間のリノベーション』を書きました。

図1/プライベートとパブリックの間にある空間

 その時の問題意識は、日本ではプライベート空間とパブリック空間の間に高い塀があり、強く分けられてしまっていてまったくつながっていないが、実はその間にとても豊かな空間があるのではないかということです。東日本大震災後、石巻に行ったときにとても感動した光景があります。5月だったと思いますが、まだ震災の爪痕が大きく残っているなか、倒れかけたRCの建物の前の道端で、壊れた厨房を利用して料理を作りながらお父さんやお母さんたちが机を並べて皆でビールを飲み、子どもたちはその建物に映像を映して“となりのトトロ”を見ていました。震災という厳しい状況のなかでも、とても幸せで豊かな光景がそこには広がっていました。皆でいろいろ工夫し合って素のままに楽しく過ごしているのを見て、プライベートとパブリックが溶け合ったところにこのように豊かな空間があることを知り、この空間にこそ何か面白いことがあるのではないかと思いました(図1)。昔は軒先に台を出して皆が集まるような光景があったと思いますが、それが現代になり法律などのルールやクレームなどによって排除されていきました。私たちはもう一度、何らかの方法でこの中間的な領域を獲得し直さなければ、もっと生きづらい世の中になっていくと思います。

図2/「公共空間のリノベーション」企画提案

 『公共空間のリノベーション』は、7つの公共空間をリノベーションするという1冊丸ごと企画提案書の内容になっています(図2)。公園のリノベーションでは、近隣公園にカフェを作り、カフェの家賃を安くする代わりにカフェのお姉さんに公園を清掃してもらうようにすれば、行政は家賃を得られるだけでなく、公園の清掃費も節約できます。しかも、そのお姉さんは遊んでいる子どもたちの見守り機能も担保できるので、市民も行政も事業者も皆ハッピーになれる、という提案です。しかし日本には法律の壁があって、そのようなことはできない、といったことを書きました。すると、この本を読んだ国交省の役人から連絡が入り、その方が日本の公園の可能性について熱く語ってくれ、それをきっかけに仲良くなりました。その後、その方が出世し、PARK-PFI※2の公園活用の法律を全部変えてくれたのです。

 

 

⑴ 南池袋公園の取り組み

写真4/南池袋公園

 公共空間を活用するチャンスがやってきたのが「南池袋公園」の取り組みです。ここは、JR池袋駅から徒歩5分くらいのところにあり、昔は暗くて絶対に近づいてはいけないといわれた公園でした。しかし今では芝生が敷かれ、カフェができ、日本でも最も有名な公園に変わりました(写真4)。この公園に関わるようになったきっかけは、豊島区が公募型プロポーザルで、この公園と公園につながる大通りを民間の力で盛り上げてもらおうとするプロジェクトの担い手を募集したことです。「としま会議」という豊島区の未来を考える会議をし続けている仲間たちと一緒に、株式会社nestという公民連携のための民間組織を作り応募したところ請け負うことができました。現在は、公園の賑わいづくりのプロデューサーとして、nest marcheを毎月行うなど、賑わいを日常化するようにしています。そのようなことを続けていると、新しい風景がSNSでどんどん拡散され、ここで結婚式を開きたいというカップルなども現れるようになり、公園にまちの人たちの幸せな笑顔の光景がたくさん生まれてきました。そうすると、リクルートの住みたい街ランキングの順位が上がるなど、池袋の価値が上がっていくという現象が起こり始めてきました。23区内で唯一“消滅可能性都市”といわれ、子育て世代の女性が最も住みたくない街といわれた豊島区が、公共空間の魅力を圧倒的に上げることによって、エリアの価値がドラスチックに上がったのです。

写真5/グリーン大通り

 公共空間の活用がエリアの価値を上げる方法論として有効だと実証されたことによって、都市政策に展開されるようになりました。池袋から公園につながるグリーン大通りが、国家戦略特区に基づく国家戦略道路占用事業計画認定を受けたことで、歩道上におけるオープンカフェやマルシェ等のイベント実施が可能となりました。そこで、豊島区は今度は公園からの賑わいを隣接するグリーン大通りに広げることを目的とした「グリーン大通り等における賑わい創出プロジェクト」を、これも公募型プロポーザルで募集し、私たちが実施者に選ばれました。このプロジェクトでは、新しい日常を作ろうと「IKEBUKURO LIVING LOOP(イケブクロリビングループ」という大きなイベントを毎年1回開催しています(写真5)。やはり道路に椅子を置けば人は座るし、人工芝を敷けばそこで子どもは遊びます。また東急ハンズや無印良品などの企業も企業市民として、同じテントの下で一般の市民と一緒にフラットな関係で参加してくれます。このような新たなパブリック空間の風景を作りながら社会実験をしているところです。今後は、道路自体をリノベーションしようと働きかけていますが、ネックになるのが銀行で、3時にシャッターが閉まってしまうことです。区はこの通りを地区計画で商業誘導したいと考えているようなので、金融機関も新たなファサード作りに挑戦してほしいと思います。

 

⑵ 勾当台公園の取り組み「GREEN LOOP SENDAI」

写真6/勾当台公園

 宮城県庁と仙台市役所の南に位置するところに勾当台公園がありますが、日常的に市民にあまり使われていないことから、仙台市はここを賑わう場所にするためのモデル事業を実施することになりました。このプロポーザルも当社を含む共同企業体が受託することになり、1年間だけ開くポップアップカフェを作りました。東北芸術工科大学の学生にも手伝ってもらいながら、東北の魅力発信拠点にするという趣旨で地元の雑貨や本などを置いたり、定期的にイベントやマルシェを繰り返し実施しました。すると、やはりすごく賑わいのある場所になり、このエリアの価値が再認識されて、この公園を積極的に使って行こうよという機運が高まっている状況です。さらにこの動きは、3つの公園と緑が豊かな定禅寺通りを結んだ「GREEN LOOP SENDAI(グリーンループセンダイ」というマルシェイベントに広がりつつあります(写真6)。

 現在、仙台市庁舎の建て替えという400億円の巨大プロジェクトが計画されています。もし市庁舎と勾当台公園をつなげて一括活用できるようにし、グリーンループともつなげることができれば、ここが新たな都市の中心になり、エリアの価値を上げることができると思います。

 

⑶ 沼津市との取り組み「泊まれる公園 INN THE PARK」

 沼津市の愛鷹公園に1973(昭和48)年に開所した「少年自然の家」が老朽化により廃墟のようになってしまい、その施設を活用してくれる民間事業者の募集がプロポーザル方式でありました。結果的に、応募したのが当社だけだったのでそのまま引き受けることになりました。現地に行ってみると、建物はボロボロでしたが、周りには素晴らしい公園があったので、公園自体を楽しんでもらおうというコンセプトで、建物を宿泊施設にコンバージョンし、「泊まれる公園 INN THE PARK」という名をつけました。

写真7/泊まれる公園 INN THE PARK

 事業運営については、株式会社インザパークという事業会社を作り、オープン・エーが1,000万円を出資、それに民都機構と沼津信金がファンドを組成し2,000万円を出資、資本 金が合計で3,000万円。その上に、沼津信金が3,000万円を融資し、合わせて6,000万円の資金でスタートしました。建物は10年の定期借家で借りて、当社がホテルのオーナーとして運営しています。事業実施のプロセスにおいては、公園法や建築基準法などが関係してくるので、沼津市役所がプロジェクトチームを作り公民で一緒になって進めていきました。森の中に浮かぶ球体型のテントやドームテントに泊まれるということで、この場所が有名になっただけでなく、住民たちが映画祭やいろいろなアクティビティイベントを開くなど、この公園を使いこなし始めました(写真7)。また、市役所の人たちも他の自治体に呼ばれて、このプロジェクトについて講演をすることがあるようですが、“公園の使い方を変えることで、この地域のエリアの価値が上がった”と話しているようです。

 

 

公民連携の3つのパターン

 このような実験的な取り組みを通じて感じたのは、これからは「民間主導行政支援型の公民連携」が必要だということです。さらに、その方法には①プレイヤー型 ②プロデュース型 ③エージェント型の3つのパターンがあり、これらの方法によって公民連携で公共空間を再生することができるようになると思います。

図3/公民連携のパターン(プレイヤー型)

 まず、プレイヤー型は、公共空間を民間事業者が賃貸し、プレイヤーとして公共空間を再生する方法です。インザパークの場合がこの方法で、行政から建物を借りて民間の責任で公共空間を運営します。沼津市もテナントである私たちが倒産してしまっては困るので、私たちの要望も比較的よく聞いてくれますし、お互いがリスクを持ち合うシンプルで強い連携の仕方だと思います(図3)。

 

 次にプロデュース型は、事業主体は行政で、民間企業が業務委託や指定管理者の形で入り、プロデューサーの役割で関わる方法です。南池袋公園の取り組みがそれに当たりますが、実際に豊島区と完全な二人三脚でやれているかというとまったくそんなことはなく、イベントを企画してもそこに企業協賛をもらうことはできないと言われてしまうなど、民間に対する自由度はまだ低く、nestも非常に立場の弱いプロデュース会社として関わっているにすぎません。民間事業者が公共空間をもっとしっかりとプロデュースできる制度が整わないといけないと思いますし、行政の気まぐれに左右されず、一方で民間側のパブリックマインドが担保できるような、新たな契約のあり方が必要だと思います(図4)。

図4/公民連携のパターン(プロデュース型)

図5/公民連携のパターン/エージェント型

 エージェント型は、どちらかというと再開発の事業モデルに似ており、公と民の双方が出資し共にリスクをとりながら事業運営していく形です。岩手県紫波町のオガールプロジェクトがこのパターンです。そこでは、PPP※3のエージェントである岡崎氏がファイナンス手法を駆使しながら運営をしています。アメリカではこの方法が広まっているようですが、日本ではまずプレイヤー型とプロデュース型をもっと洗練するところから公共空間の活用が始まっていくといいと思います(図5)。

 

 

 

公共空間と民間企業をマッチングする

図6/プロデュース、コンサルティング事業の流れ

 “公共空間を使い倒す”というカルチャーを作るべきだと思い、「公共R不動産」というウェブサイトを立ち上げました。東京R不動産は民間の物件と使いたい人をつなぐサイトですが、公共R不動産は、公共空間と民間企業をマッチングするサイトです。このサイトには公共空間の活用の方法や、行政が貸したい・売りたいといった公共空間が並んでいます。当初はこのサイトを通じて生まれる仲介手数料で事業化ができないかと考えていましたが、公共空間は払い下げになるため仲介手数料が発生しません。そこで、マネタイズ方法として、公と民の間に立つコンサルティングというニーズに着目しました。民間の理論や進めるスピード感は行政のものとは違いますし、お互いの言語も違うのでなかなか両者は擦り合いません。そのため、中間組織として両者の間に入り、翻訳しながら、お互いの収益と責任の範囲を線引きし、契約をまとめていく役割が必要になると思いました(図6)。今では公共R不動産は、本業であるメディア業に加え、プロデュース業、コンサルティング業の融合体のような事業者になりつつあります。

 これまでいろいろな事業に関わってきて、公共空間を利活用するためには、活用したい事業者を見つけ、さらにそこに関わるコンサルティング会社や、設計事務所、ゼネコンといったステークホルダーを横串しにし、3年から5年くらいの期間の事業の進捗プロセスをマネジメントする存在が必要だということがわかってきました。しかし、このようなまどろっこしいプロセスがある限り、公共空間の利活用には誰も取り組もうとは思わないでしょう。そこで考えたのが、公共空間の「逆プロポーザル方式」です。

図7/従来の公募のプロセス

 これは、公募のプロセスを従来のものと逆転させるという発想です。今までのプロセスは図7にある項目を全て丁寧に順を追って進めてきましたが、結局は最後の項目であるこの空間を活用したいという事業者が見つかるかどうかが全てを決めるわけです。行政の事業で恐ろしいのは、作ったのはいいけれど結局活用者がいなくて赤字になってしまった、という施設がゴロゴロしていることです。だとすればこのプロセスを逆転させようと発想しました。つまり、まず最初に民間事業者が自治体の人たちに対して自分たちの事業内容をプレゼンし、「私たちはこのコンテンツを持っているが、このコンテンツが欲しい自治体はいるか?」と手を挙げてもらう方式です。ひと昔前にテレビでやっていた「スター誕生」のイメージで、スカウトしたい音楽プロダクションや芸能プロダクションの役割が自治体になります(写真8)。2018年に初めて行ったところ非常に盛り上がり、実際に5つの事業者が活動し始めています。自治体にはぼんやり参加されても意味がないので、具体的に使ってほしい物件を持って参加してくださいとお願いしています。実際に、お城の一部を活用してほしいとか、市民ホールが使われていないので使ってほしいといった案件を持って参加してくれましたし、事業者からは空き物件を宿にしたいとか、通信制の高校の生徒が集まれるリアルな場所にしたい、といったニーズが出てきました(図8)。

 

 最終的には、公共空間を使って“楽しくなる風景をつくるきっかけとなるシステム”、いわば社会のOSを創りたいと思っています。そのためには、リアルな実例としての空間と、それが動くための制度と、それを動かすための組織と、社会に還元されていくためのメディアの4つの柱が揃うことが必要だと思います。このようにして公共空間の活用にチャレンジしているところです。

 

図8/自治体から募集があった施設等

写真8/公共空間の「逆プロポーザル方式」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

[写真および図版は全て株式会社オープン・エー提供]

 

※1 公共施設等に名称を付与する権利(命名権)およびこれに付帯する諸権利等。

※2 特定公園施設等の整備、改修等を一体的に行う者を選定する公募設置管理制度。

※3 官民パートナーシップ(public-private partnership)

 


 

馬場正尊(ばば まさたか) 氏

株式会社オープン・エー代表取締役/建築家/東北芸術工科大学教授。1968年佐賀県生まれ。1994年早稲田大学大学院建築学科修了。博報堂、早稲田大学博士課程、雑誌『A』編集長を経て、2003年オープン・エーを設立。 都市の空き地を発見するサイト「東京R不動産」を運営。東京のイーストサイド、日本橋や神田の空きビルを時限的にギャラリーにするイベント、CET(Central East Tokyo)のディレクターなども務め、建築設計を基軸にしながら、メディアや不動産などを横断しつつ活動している。