株式会社中村工務店/和歌山県田辺市
地域を魅力的にする取り組み
<講演:2019年11月>
地域の資源×自社の強みで
イノベーションを起こす事業を!
ビジネスを生む人材を育て、足腰の強い地域経済をつくる
これまでの歩み
1985年に田辺市に生まれ、地元の高校を卒業して関東の大学へ行き、卒業後東京で1年間分譲マンションの営業を経験。その後地元に戻り、家業の中村工務店に入社しました。当社は在来工法による木造の建築が主で、個人の住宅から大規模な木造建築の公共工事までを手掛けています。私は男3兄弟の末っ子で、兄たちは既に実家に入っていたので大工として約7年現場で仕事をしました。特に、大切に研いだ鉋(かんな)や鑿(のみ)などの道具を使った手仕事が好きで、ときどき請け負う古民家の改修の仕事は大変興味をもって取り組んでいました。
田辺市の状況
田辺市は人口減少が進んでおり、現在約7万3,000人いる人口も2040年には2万人減少すると推計されています。空き家の数も7,000戸※1を超え、今後10年間で2.2倍に増えるといわれています。特に中心市街地の人口減少は深刻で、しかも高齢者の比率が高まり、田辺市の空き家のうち半分以上は市街地に集中、空き店舗数もここ15年で80店舗も増えました。
一方で変化の兆しもあります。まずここ12年間で市の移住窓口を経由して県外から田辺市に移住してきた人が338人おり、これは和歌山県の市町村の中で一番多い数字です。また、2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録され、2016年には闘鶏神社が追加登録されたことで、田辺というまちが世界的に注目されています。これは半官半民の田辺市熊野ツーリズムビューローが欧米豪の個人旅行者にターゲットを絞った着地型観光に取り組んだことが大きく、2015年には2万人 強だったインバウンドが、2018年には4 万3,000人を超えるまでになりました。それに合わせて紀伊田辺駅舎や田辺市観光センターのリニューアル、さらに市は国土交通省“景観まちづくり刷新事業”の採択を受け、商店街のアーケード設置、道路の石畳工事、駅前活性化施設の建設などを行い、駅前の観光客誘致を進めています。この大きな波に私たちも乗らない手はないと思いましたが、外国の観光客のほとんどは熊野古道目当てで、紀伊田辺駅に到着するとすぐにバスに乗って中辺路や熊野本宮大社へ行ってしまい、旧田辺市内に宿泊する外国人の比率はたったの0.3%と、見事に通過されるだけのまちになっていました。田辺市の歴史を調べたところ、昔は熊野詣の宿場町として栄え、多い時には日に800人以上の人が市の中心地に滞在していたようです。そのようなかつての賑わいを少しでも取り戻せたらなと思っていました。
志を一にする仲間を集める
実家の工務店に戻り7年くらい経ち、古民家の改修が好きになった延長でリノベーションに興味を持ち始めた2016年の6月、空き家として放置されていた細野邸に出合いました。この建物を見た瞬間に私の中で衝撃が走りました。その立地、たたずまい、庭の広さなどどれも魅力的で、「これをなんとかしなくてはいかん」と居ても立ってもいられなくなり、早速協力してくれるメンバーを探し始めました。ちょうどその年の4月に田辺市が主催する“たなべ未来創造塾”という起業塾が始まりました。それは、地元の若手経営者や二代目など10名くらいを対象にした勉強会で、講師として専門家を呼び、“地域の課題と自社の強みを掛け合わせ、地域の強みを生かした持続的で新しいイノベーションを起こす事業を考える”という試みです。私も1期生としてそこに参加しながら「生まれ育った大好きな田辺を守りたい」という志をもった、土地家屋調査士他3名に声をかけ、10月に『LLPタモリ舎』を設立しました。社名は、田辺の家守として“田辺(タ)を守り(まモリ)”“田辺(タ)を盛り(モリ)上げる”という想いを込めました。
さらに、11月には和歌山市で開催されたリノベーションスクールにも参加して、どのように事業計画を組み立て、どのようにプレゼンテーションをするのかということを学びました。人口減少が進めば新築の着工件数も減り、建築業界の仕事も減っていきます。その中で生き残っていくには、リノベーションの技術を使って空き家を活用することが有効だということが腹落ちしました。そこでタモリ舎では、“古き良きものを守りながら、新しいものと融合させ、人が集まる仕組みと心地よい空間づくりを組み合わせることで、新たな価値を創造していく”ということをコンセプトに掲げました。 そして、その年の12月に細野邸の改修工事に着手し、翌年の3月にクラウドファンディングを開始、5月にゲストハウスとシェアハウスを先行オープン、12月にカフェ&バーをオープンというスケジュールで進めました。
古民家を再生して地域住民と観光客が交わる複合施設を作る
この古民家は、紀伊田辺駅の商店街から少し入った路地裏にある、今でも200店以上軒を連ねる“味光路”という飲食店街からほど近い場所にあります。ここで、ヒトとモノとコトの3つが交わる“エンゲージメントハウス”、具体的にはゲストハウスとシェアハウスとレストランの3つの機能を複合した事業を展開したいと考えました。施設の名前は「the CUE(キュー)」です。CUEとは“物事の始まりや、とるべき行動を喚起する合図、信号”といった意味で、ヒトとモノとコトが交わり、新しい始まりやきっかけになるような場所を作りたいと思いました。
物件は敷地面積が約160坪、母屋の建物面積が約50坪あったので、1階をゲストハウス、2階をシェアハウスにしました。当初は全てをゲストハウスにするつもりでしたが、100㎡を超える改修は建築確認申請
が必要なので諦めました。中庭に面した部分に共有スペースを設け、離れは“田辺のまちのリビング”になるような、会話やきっかけが生まれるカフェ&バー、庭は多目的に使える交流スペースにしました。これらを組み合わせることで、増加する観光客や交流人口をゲストハウスに誘致し、定住人口となる移住者や中心市街地外の住民をシェアハウスに誘致し、カフェ&バーを設けて地域資源を料理に生かし、そこに地域住民を誘致します。観光客と移住者と地域資源・地域住民の3つを結び付け(エンゲージメントし)、この地域に賑わいを取り戻すことで、そこに新たなビジネスチャンスが生まれ、空き店舗が埋まることで交流人口や定住人口が増加するという好循環を作りたいと思いました。
改修費用の調達と事業プラン
改修工事にあたっては、日本政策金融公庫から700万円を無担保で融資してもらい、さらに購入型のクラウドファンディングで300万円を集めました。募集のコースは3,000円から30万円までの7種類を設け、それぞれに対してワンドリンクチケット券や宿泊券、企業の場合はホームページ内での企業名の掲載権といったリターンを用意しました。支援してくれたのは183人で、その内9割が地元の方でした。募集コストはクラウドファンディング提供会社への手数料5%とコンサルフィーが5%、それに出資家へのリターンのコストとして10%を見込みました。募集の過程では、地元のつながりが強い商工会議所青年部のメンバーと一緒に市内の企業にチラシをまいたり、市役所の方にも告知協力をしてもらいました。また、着工してからはボランティアを募り、家財の掃除や漆喰塗りのワークショップなどを開催してファンづくりに努めました。
建物はタモリ舎のメンバーの1人が購入して、タモリ舎が月10万円の普通賃貸借契約で借りています。ゲストルームは1泊4,000円×4室、シェアハウスは家賃3万8,000円×3室設け、改修工事として集めた1,000万円は8年で返却する予定です。現在、ゲストルームの利用者は65%が外国人で、しかもほとんどが欧米人です。既に年間1,500人が利用してくれるようになり、大手宿泊予約サイトのBooking.comのクチコミアワードを受賞しました。また、シェアハウスも地元のテレワークの会社が借りてくれ満室です。
人のつながりを広げていく
the CUEの運営はタモリ舎が行いますが、当初はスタッフの確保が課題でした。ゲストハウスで最初にスタッフになってくれたのは栃木県出身の人で、地域の若手事業者たちが取り組んでいた海水浴場でイルカを飼うという事業において、ドルフィントレーナーの経験があり、たまたまそのOB会で出会ったことがきっかけでした。またカフェ&バーで出す料理についても、ストーリー作りが大事だと思い、どのような食材を提供しようか悩んでいた時に、たなべ未来創造塾の同期生で岡本農園の代表が、鳥獣害を自分たちで解決しようと地元の若手農家とともに“森の番人プロジェクト「チームHINATA」”を立ち上げ、シカやイノシシを捕まえて、解体処理場と連携してジビエ肉として販売し始めたので、ぜひ活用したいと考えました。さらに、田辺市出身で長野県のフランス料理店でシェフをしていた人が、最終的に地元でレストランを開きたいと考えているという話を聞いたので、それまでの間、the CUEでシェフをしないかと声をかけたところ、意気投合し、 チームHINATAのジビエ肉を使ってジビエバーガーやロースト、地元のシラスや梅を使ったパスタなどのメニューを開発してもらいました。しかも彼は、Uターン後も積極的に地域貢献に取り組み、小学生にジビエの授業をしたり高校生に食育の授業をしています。その結果、生徒の父兄がレストランに来てくれたり、全国制覇を何度もしている高校の写真部の生徒たちがメニューの写真を撮ってくれたりしたことで、全国雑誌のソトコトのソーシャル&エコマガジンなどに私たちの活動が取り上げられるようになりました。このように、人と人とのつながりが大きな輪になっていき、地域の人たちを少しずつ巻き込みながらthe CUEという場所をどんどん育てあげています。
嬉しいことに、今では旧田辺市内の市街地が、外国人の宿泊者数で中辺路を抜いています。また、この取り組みを通じて今までの仕事の範疇では出会えないような人とのつながりができ、古民家のリノベーションや、飲食店の工事の相談、紀州材を使った内装工事の相談など、本業の仕事にもプラスの効果が出始めています。the CUEをきっかけにして、面白い店舗が周辺にでき、そこから賑わいが生まれエリアの価値が高まり、最終的に自分たちの仕事の創出につながっていけばと思っています。
※1 平成25年度の住宅土地統計調査では、田辺市の空き家数は7,220戸。
ビジネスリーダーの育成を目指す「たなべ未来創造塾」
田辺市役所 企画部
たなべ営業室 価値創造係
係長 鍋屋安則 氏
─「たなべ未来創造塾」の立ち上げについて教えてください。
2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録され、2005年に1市2町2村を合併し現在の田辺市ができました。それから約10年という節目を迎えるにあたり、真砂市長は新しい価値を生み出していこうという方針を打ち出し、役所内に“たなべ営業室”を新設しました。私はそこに配属になりましたが、与えられたミッションは、“世界遺産登録10周年を契機に首都圏に対して田辺市をプロモーションしていく”ということと、“今後の10年を見据えて田辺市として何をしていくべきか方向性を定める”というものでした。
プロモーションについては、それまでも市の主催でイベントなどを行っていましたが、一過性に終わってしまうことが多く、一時的に盛り上がったとしても、結果的に事業者の儲けにつながらないために持続しませんでした。そこで、東京のシンクタンクで勤務されたあと、富山大学に転身された金岡省吾教授に助言や指導を仰ぐことにしました。金岡教授は地域経済の活性化の専門家で、既に高岡市や魚津市で実践しているスクールでは企画した事業プランの70%近くが稼働するという高い実績を出していました。
富山大学には延べ40~50回ほど通いつめました。そこで学んだことは、人口が増えていた時代は、道路を作り、工場を誘致して、大量生産すればよかったが、これからの急激な人口減少時代には方向性を変える必要があり、民間企業がCSV(共通価値の創造)の発想をもち、地域の課題をビジネスで解決し、地域と事業者がwin-winの関係性を構築することを考えるべきだということです。そしてそのビジネスというのは、大きな企業の誘致や大学の誘致に頼るのではなく地域に住む人たちが地域に根ざして小さなビジネスを起こし、それをつないで面にして、足腰の強い地域の経済を生み出していくという考え方です。そのようなビジネスを生むには2つの方法があります。1つは補助金制度を作ること。しかし、それは国や県に任せよう。2つ目は、ビジネスができる人を1人ひとり育てていくことです。田辺市では後者を選択し、“地域の人が地域の資源と本業を生かしてできる新たなビジネスモデルの創出”を推進するために、ビジネスリーダーの育成を目指した「たなべ未来創造塾」を創設することにしました。
─具体的な取り組みについて教えてください。
まず、富山大学地域連携推進機構と「人材育成の連携に関する覚書」を締結し、共同研究員として田辺市から富山大学に職員を派遣し、ノウハウの取得やカリキュラムの構築に取り組むことにしました。さらに、日本政策金融公庫田辺支店と経営者育成に係る連携協定を結び、塾の進捗状況に合わせて個別融資相談などを連動させることで、「産学官金」が一体となった連携体制を構築し、塾生のチャレンジを支援する体制を整えました。
「たなべ未来創造塾」は2016年7月に開校。建設業、農家、飲食店の経営者など多種多様の業種から11名が参加し、基礎知識の取得→ケーススタディ→ビジネスプランの構築(演習)→ビジネスプランの発表(修了式)という流れで、月2回のペースで計14回開催し、講義が半分、ディスカッションが半分という割合で進めていきました。塾のテーマは“地域の課題は自分の本業や強みを生かしてビジネスで解決する”ということなので、“教科書のような答えはない。自分たちで議論しながら自分たちでビジネスを考えるんだ”と伝え、修了式では市長や金融機関など約90人の前で、まとめあげたビジネスプランをプレゼンテーションしてもらいました。
─具体的にどのような成果が出ていますか。
これまで4期が終了し、47名が修了していきましたが、ちょっとしたメニュー開発といったものを含めると事業の稼働率は65.7%(1~3期)にのぼります。その中でも1期の修了生である中村氏のthe CUEはとてもわかりやすい成果でしたので、それが突破口になり、やればできるんだという機運が塾生の中に一気に高まりました。その後、鳥獣害対策として地域の若手農家がチームを組み、鳥獣の捕獲から解体まで取り組む農家と、それを調理してジビエ料理にするフレンチのシェフ、未利用の農作物をジャムにして販売しているイタリアンのシェフ、30種類の柑橘が収穫できる農家とパン屋などがつながり、新しい商品開発を始めました。また、そのパン屋と2人のシェフ、鳥獣害対策に取り組む農家がつながって“ジビエバーガー”といった新名物が生まれたりと、異業種の塾生が集まったおかげで人と人がつながり、新たなビジネスがどんどん生まれています。さらに、そのプロセスを、塾生でもあった地元新聞『紀伊民報』の記者が丁寧にフォローし、地元の人たちにどんどん発信してくれたおかげで、新しいチャレンジが塾生以外にも広がっていくという好循環が生まれました。
中村氏:工務店の仕事だけであれば新聞に取り上げられることはなかったと思いますが、まちづくりとセットであれば記事にしてもらえることがわかりました。実はthe CUEの仕事は、父や兄に言っても絶対に理解してもらえないと思い、会社には内緒で進めました(笑)。しかし最近は、ここがモデルハウスの役割になって、リノベーションや飲食店舗の仕事という本業にもつながってきたので理解を示してくれています。
─今後の展開が非常に楽しみです。
今、塾の修了生たちが地元の小中高や県内外の大学生などにこの取り組みを伝え始めました。それによって、彼らが卒業したあとの選択肢が増え、地元に戻って起業したり、新たな後継者として戻ってくる可能性が生まれてくると思います。また、女性向けの起業塾も開催予定です。
これからも地元の中で輝く人材を育て、それに関わりたいと思う人がどんどん集まり面になって広がっていく─そういう地域づくりを目指しています。田辺の資源は“人”だということを本当に実感しています。
中村文雄(なかむら ふみお) 氏
1985年田辺市生まれ。首都圏での不動産会社勤務を経て、父親の代から続く工務店を3兄弟で継ぐために帰省。地域の課題である空き家、市街地の衰退などを目の当たりにし「大好きな地元は若い世代で守る」を胸に、メンバー5人で田辺を守るタモリ舎を発足。「中心市街地にかつての賑わいを」をコンセプトに 県内随一の繁華街「味光路」の裏にある築80年の古民家をリノベーション。レストラン・ゲストハウス・シェアハウスを複合的に備えた「the CUE」としてオープンした。
株式会社中村工務店
代表者:中村 静男
所在地:和歌山県田辺市下三栖1499-12
電 話:0739-26-5109
H P:http://s-nakamura.co.jp/
業務内容: 和歌山県南部の中心都市「紀伊山地の霊場と表詣道」の世界遺産を有する田辺市にて、建設業、建築物の設計、監理業、不動産業、人材派遣業などを行う。特に木工事におけるものづくりを通じて、安全で安心できる住宅作りに尽力。一級建築士事務所も開設している。