都市計画家(株式会社サルトコラボレイティヴ代表)/大阪府大阪市
地域を魅力的にする取り組み
寄稿【寄稿日:2022年2月3日】(大阪府宅建協会エリアリノベーションスクール)
新しい都市計画の考え方 序論
シンプルな法則:「これまで」と「これから」は考え方が逆
日常の自己肯定感が低い日本
自分のまちには「なにもない」。よく聞く言葉。そんな日本が嫌です。
大学卒業後、半年間で、イタリアの大小25都市を放浪した私が、放浪中に必ずしていたことがあります。それは、各都市で「あなたのオススメのお店を教えてください」と聞くことでした。驚いたことに全ての都市で尋ねた全ての人が、熱い想いを持って、自分が好きなお店のことを語ってくれました。なぜ好きなのか、何がおすすめで、そしてなぜ美味しいのかを、事細かく丁寧に教えてくれたのです。中にはご馳走してくれる人までいたほどです。
どうして、こんなにも日本と違うのだろうと不思議でした。イタリアを旅した理由は、陣内秀信先生(現在、法政大学名誉教授)の本を大学のときに読み漁り「21世紀の日本は、イタリアみたいになる!」と勝手に想像していたからです。なぜなら、イタリアは都市国家だった国で、日本も江戸時代三百諸藩が存在した国。多様性がゆるやかに共存した豊かな国でした。そして、第二次世界大戦では同じく敗戦国であることなど、同じような歴史を辿った経緯があった国同士だから、自分の国やまちに対して、同じような意識をもっていてもおかしくないと思っていたからです。
ではなぜ、こんなに自分のまちに対する思いが違うのでしょう。私は都市計画家として活動する中で一つの答えに辿り着きました。日本のまちは「自己肯定感が低い」のです。自分が暮らすまちに自信が無いことや、実は嫌いではないのだけれど、人に紹介できるようなまちではないと。そんな風に暮らしていくより「自分のまちが、国が大好きだ!」と言いながら暮らしていきたいじゃないですか。そんな日本に変えるためには、何から始めたらいいのだろうというのが、都市計画家であり、コム計画研究所代表、立命館大学名誉教授である髙田昇先生に弟子入りした20年以上前から、ずっと持ち続けている問題意識です。一方で、これまで自分自身が都市計画家として多くのまちと関わったからこそ、大声で言えることがあります。それは、当然だけど日本のまちにもたくさんの魅力があって、魅力的な人がたくさんいて、「全然イタリアに負けていない!」ということです。
静岡県沼津市もそのひとつ。私が大好きな人がたくさんいるまちで、今多くの人におすすめしているまちのひとつです。まず、海越しの富士山が見えます。その美しさを見た時は、ものすごいテンションが上がります。なかなか海越しの富士山は見られないと思いますが、沼津の人にとっては見慣れた風景。そして、なんといってもおすすめなのがアジフライ。私は天使のアジフライと命名しているのですが、「アジがふわふわでたまらない!」。でも、これも地元人には「これ普通ですから」と言われてしまいます。それから、沼津発祥のクラフトビール。3つのクラフトビールがあるのですが、私のイチオシは<リパブリュー>。オーナーの畑さんがいい男だし、沼津駅前のブリューパブが最高です。それから、静岡初のクラフトジンもあります。沼津蒸留所の小笹さんと永田さんが作り出す、沼津でしかできないジンがこれまた最高です。でも、そんな素敵な沼津も、まちは衰退傾向にあり人口も減り続けています。
次に、鹿児島県鹿屋市。ここも私が大好きな人がたくさんいるまちです。大隅半島の中心である鹿屋は、海の幸・山の幸が豊富。特に錦江湾で養殖しているカンパチは絶品で、新鮮な時のコリコリした感じも美味しいし、熟成させたカンパチもたまりません。鹿屋は夜の街もなんとか元気で、京町通りにある<おでん黒ぢょか>は、鹿屋に泊まるなら必ず訪れて欲しいお店です。地元の焼酎を前割りした、なんとも言えないまろやかな酒とのマッチングを楽しめます。鹿児島では熱燗というと、日本酒じゃなくて前割り焼酎の燗が出てくると知ったのも鹿屋。地元の焼酎といえば<大海酒造>と<小鹿酒造>で、みなさんのまちの酒屋にも置いている可能性があるので要チェックです。それから地域の定番を2つ紹介すると、ひとつは<小松食堂>。お店を訪れる多くの人が注文するちゃんぽんを、ぜひ味わってもらいたい。もうひとつは<竹亭>のとんかつ。竹亭は鹿児島市内にも支店があるけれど、やっぱり本店で味わうのが最高です。お店に入ると、中央で料理人が手際よく連携し、豚肉をキレイに成形、衣をつけ、大鍋になみなみと入った油の中に投入して揚げていく。豚が香ばしく揚がる音がジュー、パチパチっと響き、食欲をより一層そそります。
長々とおすすめしてきましたが、この2つのまちだけではなく、最近関わっている高知県四万十町、鳥取県智頭町、富山県高岡市、もう20年以上のお付き合いになる兵庫県丹波市と、とにかく上げたらきりがないほど、多くの魅力的なまちが日本にはあります。しかし、多くのまちは衰退傾向から抜け出すことが難しいのです。日本とイタリアでは文化性が違うとか、日本人は奥ゆかしいから自慢をしないんだと言うのは良いけれど、その行く末、日常に満足感や肯定感がなく、まちが衰退したら元も子もないわけです。
大阪の人は京都が嫌い、京都の人は大阪が嫌い
私が関西に来て、聞いた言葉です。なんとなく、お互いを皮肉めいて言っているのでしょうが、私にとっては、とても居心地の良い状況を表しています。お互いに嫌いというその心は、嫌いとは言うけれど、それは伝えやすく表現しているだけで、異なる価値観が今も共存しているという感覚なのだと思います。
私は千葉県千葉市出身なのですが、高校に行って初めて気づき、引っかかった点があります。それは、なぜか千葉県の中でも東京に近い場所に住んでいる人の方が、ステータスが上であるように振る舞う感覚です。千葉県千葉市は県庁所在地なので、地域として仮にそのようなステータスがあるとすれば、千葉市に向かって同心円状にでき上がっているように思うのですが、なぜかみんな東京への近さを意識している。それはそうだなと思うのは、私の周りの大人たちの多くは東京に通勤しているし、しかも、信じられないような乗車率の中、1時間以上かけて行くのです。なんだか、心も体も東京を向いていて、東京に否応なく全てを吸い取られているような感覚です。高校生の私には相当な違和感でした。みんなが同じ方向を向いていることへの嫌悪感であり、抵抗感だったのかもしれませんが、とにかく居心地が悪かったのを覚えています。
そんな思いを持ちながら住みだした関西だったので、それぞれの地域の違いや、歴史の深さが多様であり、いまも残る、違いを受け入れる感覚に本当に救われました。今でも面白いと思うのが、大阪ではエスカレーターは右で待つのですが、京都は関東同様左で待つのです。たまたま旅行者の多い京都だからかもしれないのですが、なんとなく大阪と違うし、その方が京都らしいと京都の人が感じていそうで、微笑ましく感じています。関西と違い、関東は東京が大きすぎて、なんだか多様性に乏しく感じて居心地が悪かったけど、関西に来てその違いへの寛容さにホッとしました。「みんなそれぞれ違って良いやん!」それよりも、「違っている方がおもろいやん!」という感覚が、関東よりも関西にある。その経験が、たまたまではあるけれど、関東から関西に来た私にとって、まちの多様性を守り育てる仕事をする運命に導いてくれたのかなと思ったりもします。
実は私も、師匠である髙田先生に出会うまで、日本の良さに無頓着で、どちらかというと日本が嫌いで日本から抜け出したいと思っていました。私にとっては居心地が良い関西は、それぞれを認め合い尊重して、お互いにさほど干渉せずに、だけど意識しながら暮らしていくことができる場所です。でも多様であるとは、それぞれの個性が際立っている状態。つまり多様性というのは、違う要素同士がぶつかり合う可能性があるわけで、それは実は耐え難いことだと思います。耐え難いものであるにも関わらず、多様であることはこの上ない素晴らしさで、これができるのは関西の歴史の深さが醸し出す文化度の高さだと思います。
しかしそのような多様性は関西だけではなく、三百諸藩あった日本にはそれ以上の多様性があったはずです。それがなくなってしまった日本に、私は寂しさを感じていたのだと思います。関西に来て、師匠と出会って、まだまだ日本に残っているでも消え掛けそうな多様性が守り育てられないと、さらに自分が嫌いな日本になってしまう。自分自身が関われる地域は一生のうちに数知れているけれど、だからこそ都市計画家として、なんとか日本の多様な魅力あるまちに関わる仕事をしたいと思い、今に至ります。
これまでとこれから日本は未体験ゾーンへ
私自身の問題意識の次は、日本が置かれている状況を人口推移で確認しつつ、今後の都市計画やまちづくりについて考えてみたいと思います。
日本の人口は明治時代までは緩やかに増加してきました。異常になるのは、それ以降です。明治維新を超えて、日本は未曾有の人口増加を経験することになり、その人口増加は2010年頃まで続きます。つまり最近まで。明治維新時に3,300万人だった人口は、2010年に3倍程度の1億2,800万人となり、約9,500万人という激増を経験。明治維新が1868年ですから、約150年間、つまり1世紀半の間、急激な人口増加の中、社会が形成されてきたわけです。日本文化のルーツは室町時代にあると言われますが、そこから明治維新まではゆるやかにその文化の延長線上で世の中が動いてきたんだと想像します。しかし、明治維新を経て、日本は<世界の中の日本>をより一層意識、列強諸外国と肩を並べるべく富国強兵から始まる近代から現代への道を歩むことになるのは、多くの人が理解するところです。
つまり日本は、この人口激増の中で、いろんなことを考え、組み立て、社会を形作ってきたという事実があります。55年体制もしかり。しかし一転、2100年までの人口推計に目を移すと、実は増加の時と同じ勢いで人口が減るのです。未曾有の人口増加からの未曾有の人口減少へ。ジェットコースターの絶叫マシンの如く、上がって下がるという前代未聞の出来事が既に始まっています。ただし、人口減少が悪いというわけではありません。ヨーロッパのように人口減少の中でも生活の質を高めて、各都市の良さと産業を守り育てることに早くからチャレンジしている国もあるわけです。
今ここで日本が気づく必要があるのは、これまでのやり方を続けていてはだめだということです。人口が急激に増加した中で作られてきた仕組みや体制、考え方。それらを見直す時が既に来ています。 確かに人 口が減りだしたのは2010年から2012年。人間5年位はぼーっとしていると考えると、2017年位まではなんとなくそのままでも良かった。そう考えると2022年からたった5年前。5年前までは気づいても気づかないふりで通用する時代だったのかもしれません。しかし、日本の地方に目を向けると、もう待ったなしです。これまでとこれから。考え方を変えないと、もう限界を超えて立ち行かない状況が至るところで様々な問題を生み出して、日本の多様な魅力を知らぬ間に失ってしまうのではないかと危惧しています。
地方の衰退傾向は加速しています。それに対応しようとしている地方自治体は自主財源比率がどんどん下がっています。対応するにもリソースが限られている。そんな中、超難問である、さまざまな都市経営課題をどうやって克服していくのか。これまでのやり方ではどうしようも無くなっている状況を打破するにはどうしたらよいのか。日本の各地で、これまでの時代に作られた常識ではなく、常識を疑い、これまでの考え方とは違った思考で現実と向き合い試行錯誤する取り組みがゲリラ的に発生しているように思います。それらの変化は今、まだまだ主流ではないけれど、日本全国のいろんなところで見受けられ、未来の可能性に向けてチャレンジしている仲間がどんどん増えているように感じています。
試行錯誤する上での羅針盤
さて、都市の様々な問題を解決すべくチャレンジする全国の仲間や私自身の事業を俯瞰すると、羅針盤となっているポイントがあることに気が付きました。それは、これまでとこれからでは考え方が真逆になるのではないかという仮説です。もちろん、これまでのことが全て間違っていて、考え方を真逆にしなければいけないということではありません。取り組んでいることが上手く行かないのであれば、一度真逆の考え方を採用してみると結構上手くいくことがあるのではないか。そのような経験則ではありますが、この真逆に考えるというシンプルな法則が、これからの時代に意外とフィットするような気がしています。
ここでは1つ1つ丁寧に詳しくは説明できませんが、それぞれを簡単に説明して、新しい都市計画の序論としたいと思います。まずは箇条書きで示します。ここに列挙した以外でもまだまだあると思いますので、ぜひ一緒に考えてみてください。
・これまで → これから
・建てることが正義 → 建てないことが正義
・機能分化・純化 → 複合・混合・多様
・みんな・多数(マス・大衆) → 自分・少数(パーソナル・ニッチ)
・慎重に計画 → 行動しながら変化
・強い・頑強 → しなやか・反脆さ
・大きい(身銭を切らない) → 小さい(身銭を切る)
・外を意識 → 内を意識
・目に見えるもの → 目に見えないもの
・課題ありき(Issue Driven) → 未来ありき(Playful Driven)
建てないことが正義へ
建てることが正義から建てないことが正義へ。これはとても簡単な話ですが、これだけの空き家・空きビル・空き空間を抱えている日本で、もう建てることは全く正義じゃなくて、建てないことのほうが正義だということです。最新の住宅・土地統計調査を調べると日本の空き家率は13.6%、空き家の数は846万件と過去最高を記録し続けています。そしてこんな時代には、建てるにはそれなりの理由が必要だとも思います。加えて今は事業性があれば建設されてしまう可能性は十分ありますが、その事業性も現時点での事業性であって、実は未来に向けて建てないほうが、事業性が高まるのではないか。または将来においては、建てたことによって現状では計り知れない外部性が生じる可能性があるのではないか、と考えてみることも必要ではないかと思っています。
複合・混合・多様へ
機能分化・純化から複合・混合・多様へ。これまでの都市計画は、住むところ、働くところ、学ぶところ、遊ぶところの機能分化を進めてきました。ニュータウンは最たるもので、所謂ゾーニング手法です。つまり多様で複合的な機能を持っていた都市を解体していったように思います。しかし現在、多発する未曾有の災害とコロナ禍を経験し、様々な問題が浮き彫りになりました。孤立し、いろんなストレスをかかえ、自分が住むまちでのコミュニティもなければ、自分のまち自体を知らない、まちが衰退していて日常を楽しめない。イギリスのシンクタンクであるレガタム研究所による「繁栄指数」では、日本は経済や教育、健康では上位となるのに「社会関係資本」は世界149カ国中99位と情けない状況です。大型店とネットにつながった人生で本当に幸せなのでしょうか?豊かな人生を送る上では「日常」が一番大切だと思っています。そのためには、これまでの機能分化から脱し、LIFULL HOME’S 総研の島原万丈さんが2015年に発表した『官能都市』、ジェーン・ジェイコブスが半世紀以上前に『アメリカ大都市の死と生』で指摘した多様な機能を持つ都市の重要性を認識すべき時代がやっと来たのだと思います。
自分・少数派へ
みんな・多数派(マス・大衆)から自分・少数派(パーソナル・ニッチ)へ。衰退傾向にあるまちはなぜ衰退傾向にあるのか。私なりの明確な答えがあります。それは、多くの人が自分のまちに期待しなくなってしまったからです。ひどい話ですが、多数派にとっては、用のないまちに成り下がってしまっていることが多い。もし仮に、多くの人が自分のまちに期待し、どうにかしたいと思い、行動に移していたら?恐らくまちは衰退しないでしょう。その様な中、都市計画やまちづくりは、大雑把に言うと、その期待してない多くの人を振り向かせようとあの手この手を使ってきました。つまり、「みんな」のためのまちづくりをしてきた。言葉を選ばなければ自分のまちを見限っている多数派に多くのリソースが使われてきたわけです。しかし、『ファンベース』で佐藤尚之さんが指摘するようにこの情報過酷化時代には、多数派とされている、「みんな」は存在せず、そのリソースは無駄になるのです。「みんな」のためにリソースは使うけど、結局「みんな」のためにならない。だから、まちは衰退傾向から脱し得ない。
そんな中、ここで見落としている点があります。そんな多くの人が見放しているまちでも、自分たちのまちを楽しみ面白がっている少数派がいるということです。この少数派には殆ど都市計画やまちづくりのリソースが向けられない。だから、多くの人に波及しづらい。ミルトン・フリードマンが『選択と自由』で指摘したように、一般大衆(多数派)の中に未来はなく、少数派が先頭を切ってリスクを冒し、多くの人に道を作ってやることが社会の発展につながるのです。エベレット・ロジャーズが『イノベーションの普及』で発見したように、物事が普及していくには訳がある。つまり、イノベーターとアーリーアダプターは合わせても16%で2割弱。でも2割弱が動き出せばティッピング・ポイント(閾値)を超えるのです。まちも同様。都市計画が見落としていた少数派にリソースを集中させ、まちに変化を起こす時が来ました。もう「みんな」の意見は聞かないまちづくりが主流となる時代が来ていると考えています。ゴールは「みんな」のためであり、時が全てを浄化し、少数派から始まる動きが、結果「みんな」のためになっていくのです。
行動しながら変化へ
「慎重に計画」から「行動しながら変化」へ。これまでの都市計画では、所謂ウォーターフォールプランニング(滝の流れのように戻れない)が主流でした。調査・分析・計画・実行が時の経過とともに真下に流れていくわけです。具体的に分かりやすく説明すると市街地再開発事業。まずは調査の段階でもちろんですが地権者の意見を聞きます。再開発事業の多くは駅前が多い。であれば駅利用者の意見も聞く必要があるいうことで、アンケートやヒアリングを行う。いろんな意見が集まります。駅前には商店街もあるので、商店街へのヒアリングや影響なども考えると、いろいろな要望が集まります。市街地再開発事業ですから、多くの税金を使うことになる。であれば市民の意見も広く聞く必要があるだろうと言われ、とにかく多くの人の意見を聞く。つまり調査段階で要求される質のレベルが最大値に達します。慎重に完璧に意見を取りまとめて分析し、計画して実行する。結果どうなるか。これからの時代では時間の経過とともに存在した需要が無くなる時代です。つまり、木下斉さんが暴くように地方の再開発事業が墓標化していくわけです。
ではどうしたら良いのか。1980年代からソフトウェア開発では当たり前となっている手法があります。みんなの意見は聞かず、未完成ではあるけれどひとまずプロトタイプをローンチしてみるのです。所謂アジャイル開発です。調査・分析・計画・実行をとにかく早いスピードで回していくことで、時間経過とともに要求される質のレベルを最適化していく。行動しながら変化する時代が都市計画にも訪れています。
しなやか・反脆さへ
強い・頑強からしなやか・反脆さへ。2つ目の羅針盤として都市の機能分化の話を書きました。機能分化することで作りたかったのは、強い都市です。機能を分化することで混沌としていた都市をすっきりとさせ、過ごしやすくしたかったわけです。多様性を叫ぶけれど、多様性とは通常耐え難いことだと思います。人との違いを認め合う必要があるし、違うもの同士が共存しなければならない。だから面倒です。機能を分化・純化すれば、そのような面倒くささ、耐え難い状況から逃れることができます。つまり、分化し純化し、同一化するほうが過ごしやすく強い都市となるという幻想でした。しかし、強い都市づくりをしてきた日本の都市はどうなったのか。頑強につくってきたはずの都市ですが、衰退傾向から抜け出せず、強いはずのまちなのにますます弱まっています。頑強な都市と思っていたのに、実は脆かったのではないかと感じるわけです。
では、どうしたら良いのか。多様性を担保して作り出したいのは頑強さよりもしなやかに生き抜く都市です。多様であれば何か1つが犠牲になっても、他が補ってくれます。人の免疫力も同じですが、日々の中で、様々な菌やストレスを適度に受け入れる素地があることで、体内の複雑な菌の相互作用が担保され、突発的な状況を切り抜ける事ができるのです。『反脆弱性』著者ナシーム・ニコラス・タレブの言葉を借りれば多様性を担保した反脆い都市を形成する必要があるのだと思います。
小さい(身銭を切る)へ
大きい(身銭を切らない)から小さい(身銭を切る)へ。再びナシーム・ニコラス・タレブの著書で恐縮ですが、その名も『身銭を切れ』です。これから経験をしたことがない未曾有の人口減少の中、つまりどうなるか分からない不確実性の中を生き抜く中で、何を信じたら良いのか。タレブは、信じることができるのは身銭を切っている奴だけだと言い放ちます。これまでの時代は何を信じてきたのか。そして、どのような組織や人が、世の中に大きな影響を与えてきたのか。それは大きな企業や組織であり、そこで働く人たちでした。大きな存在の方が信用できたし、信頼されてきた時代です。しかしもう信用できない。大きく、信用できるはずだった存在は、さまざまな問題を起こし、そのようなニュースは枚挙に暇がありません。具体的なことはここでは取り上げませんが、構造的に変化できない大組織の犯罪は後を絶たないし、罪の隠蔽も驚くものばかりです。
都市計画やまちづくりにおける大きな組織も同じです。自分の身銭を切っていない人の判断は、いくら大きな組織であっても、そしてこれまで信用されてきた組織であっても、この不確実性の時代には簡単に信じることができないのではないか。都市計画の分野でいえば、国であり都道府県であり、自治体が大きな組織です。またもっと厄介なのはそこにぶら下がる独立行政法人等の組織です。これまで多くの税金や人材等のリソースが使われているのに、日本の多くの中小都市は衰退傾向から抜け出せずにいます。つまり身銭を切らない人の判断が、多くのリソースを適切にマネジメントできず無駄に使われていたのではないかと思うわけです。しかし一方で、ゲリラ的に小さいながらも身銭を切りながら動きつづける日本各地の仲間の取り組みは、小さな光ではあるけれど、地方都市の未来を変化させる希望の光に思えます。まちづくりでも、信頼するなら小さく身銭を切っている人です。
内を意識へ
外を意識から内を意識へ。日本には、温泉地のように元来外から人が訪れることで生計を成り立たせていたまちもありますが、日本の中小都市の多くは観光地では無かったと思います。新型コロナウイルスの影響もあり落ち着きましたが、それ以前は日本全国インバウンドブームでした。インバウンドだけではなく、とにかく観光地化ブーム。日本全国のまちが地方創生と称して、外から人を呼ぼうと躍起になっていました。もちろんそこに多くの税金が投入されることになります。別にそれが悪いとは言いませんが、限られたリソースの中で、本来優先的に取り組むべきは外に向けたプロモーションなのかということです。すでに多くの日本のまちが衰退傾向にあるなかで、外向けのプロモーションよりも優先度が高いのは、内向けのプロモーションなのではないか。
みなさんが旅行しているとします、日本のどこか小さなまちです。どこで食事がしたいですか?私なら観光客の多い観光客価格のお店ではなく、観光客はほぼ居なくて、地元の人たちに愛されている居酒屋でしっぽりとお客さんの会話を聞きながら飲みたいです。暮らすように旅がしたい。裏を返せば、地元の人が愛してやまないものが多ければ多いほど、多くの人がやってくることになると思います。衰退する日本のまちは、地元の多くの人が期待して無くて、多くの人にとって用のないまちになってしまった結果です。いま意識すべきは外ではなく、内。地元の人が自分たちのまちで楽しく豊かに、まちを面白がっていけば、結果外の人はこちらを意識します。論語の中にこんな言葉があります。「近き者説び(よろこび)、遠き者来る(きたる)」。孔子が弟子に語ったのは2500年前。実は昔々から優先順位は決まっているのだと思います。
目に見えないものへ
これまでの時代は<建てる>ことが正義でした。足りないものをつくることで、道路や公園、建物等目に見える何かが出来上がり成果となるわけです。つまり目に見えないことは成果になりにくい時代。目に見えないものは、認識出来ないので何も変わっていなくて、何も結果が出ていないように捉えられてしまいます。目に見えるものは成果がとても分かりやすいので、本来目に見えないものが変わっていくことが重要な場合でも、あまりそこに重点が置かれていなかったように思います。都市計画、まちづくりの分野では、目に見える何かが出来上がることが一番の成果のように捉えられることが多いです。確かに、目に見えると分かりやすくて、多くの人がその出来上がったものを認識することとなり、たとえば税金を投入する上で評価しやすいわけです。
ただし、都市計画やまちづくりは、そこに暮らす人の生活の質が向上していくための手段です。まちが見た目として大きく変わらなくても、そこに暮らす人の気持ちが変わっていくことで、生活の質が向上したり、それがきっかけでまちが変わっていたりすることが多いと思っています。加えて、人の気持ちが変わり、その結果目に見えるハードへの投資に意味が出てくることもあると思います。また建てないことが正義な時代は、昔から言われているハードからソフトへの時代です。ハードは見えますが、ソフトは見えません。ソフトが無いとハードが成り立たない時代では、目に見えるより、目に見えないものに価値がありそうです。
未来ありき(Playful Driven)へ
課題ありき(Issue Driven)から未来ありき(Playful Driven)へ。この言葉は、村づくりを民主化する!というメッセージのもと、共創型コミュニティプラットフォーム「Share Village」を運営するシェアビレッジ株式会社の丑田さんたちが自分たちのあり方について語っていて知ったものです。丑田さんはこう言います。「僕らはイシュードリブン(すでに顕在化している課題に対して、それを解決していくための思考法)よりもプレイフルドリブン(楽しみ、遊び、ひらめきを大切にした思考法)のDNAを持っている。」確かにこれまでの都市計画やまちづくりは、課題ありきのイシュードリブンでした。衰退する地域という課題、高齢化という課題、コミュニティの希薄化という課題。空き家問題に、過疎化問題。つまり、それらを解決するための仕組みを念頭に、課題ありきで考えてきたと言えます。問題や課題の設定がまずは大切という考え方です。
でも、そのような課題ありきだけで社会課題を解決してきたのかというと、それだけでもないような気がするのです。私自身のことを考えても、もちろん都市計画家として、日本のまちの課題を解決していきたいとは思っていますが、まずありきは、自分が未来どう暮らしたいのか、どのような日本であって欲しいのか、といった未来ありき、理想や未来のワクワク、遊び心がまずあると気づきます。もちろん課題解決は大切だけど、未来をどうしたいのか?というワクワクした遊び心が、課題をも凌駕して、いつのまにか課題を解決していたりすると思うのです。また、そのようなプレイフルドリブンだからこそ、多くの人がそこに何の違和感もなく集まってくるというのも、イシュードリブンとは違う良さだと思います。なんとなく、眉間に皺を寄せて考えている集団には近づきにくいけど、笑顔で楽しく一生懸命遊んでいることが、結果多く人を巻き込み、課題解決の糸口を見つけていくような感覚です。遊び心がまちを変えるのだと思います。
新しい都市計画
「都市計画の新しい手法」ではなく「新しい都市計画の手法」というタイトルにしたことには大きな意味があります。
これまでの日本は、人口増加・経済成長期を長く経験してきました。またその時期は日本が欧米諸国と肩を並べ、先進国に仲間入りしていく時代でもあります。大きな変化を成し遂げた時代であり、大きな意味とプライドが形作られ、日本にとって揺るぎない自信と威厳が確立された時代であるといえます。同様に都市計画も、その揺るぎない自信と威厳の中で制度が確立されていくことになります。しかし時代が再び大きな変化を必要としている今、「揺るぎない自信と威厳」が大きな足かせになり、硬直状態から抜け出せていないように感じます。「都市計画」の分野でも、足かせから自由になり、これまでの「都市計画」から「新しい都市計画」に変化することが求められていると考えています。
そもそも都市計画は時代の要請で作られてきた処方箋。つまり時代によって変化が必要な仕組みです。たとえば19世紀。パリのまちは人口集中の結果建物が密集し、道路には汚物が溢れ、新鮮な空気も太陽の光も届かないような状態の中、コレラ等の疫病が蔓延します。そのような時代の要請を受け、生活環境改善として都市計画は道を広げ、街区をしっかりと区切るオスマンのパリ改造が始まります。20世紀初頭の日本。人口が集中する都市部では木造建物が密集していました。大阪や東京等の都市では不燃化の動きが急務となり、都市計画もそこに対応します。また、その後高度経済成長期、日本全体での人口増に加え、仕事を求めて地方から都市部への人口移動が激化、その中で都市の高度利用、ニュータウン造成や都市の機能分化を進める都市計画制度がつくられることになります。今の日本は、時代ががらりと変化しているにも関わらず、これまでの時代の要請を受けて作られた都市計画制度が既に制度疲労を通り越し、時代に合わないものになっています。そして時代に合わないものだから、いくらリソースを投入しても成果が出にくい。そしてそろそろそのリソースにも限度が見えてきた。地方自治体の自主財源比率が急激に縮小してきたわけです。つまり、これまで書いてきた新しい都市計画の序論を羅針盤にしながら、現在の制度をゼロベースで見直して新しい都市計画のあり方にチャレンジする時が来たと思いますし、すでにその兆しが日本各地で動き出しています。
21世紀の都市計画はどうあるべきなのか。日本各地でプレイフルドリブンによって動き出している少数派のチャレンジを官民共に応援し、いつのまにか多くの人のまちの自己肯定感が高まる仕組みに変革していくことが求められています。一般大衆の中に未来は無く、未来は少数派の中に。
加藤寛之(かとう ひろゆき) 氏
都市計画家である髙田昇に師事。1999年兵庫県氷上郡柏原町(現・丹波市)に移住。歴史建築を活用したイタリア料理店立ち上げ・運営、店舗誘致に携わり帰阪。2007年大阪府枚方市で地元有志と「五六市」をスタート。まちに変革を起こす青空市(定期マーケット)を全国に先駆けて展開。2008年㈱サルトコラボレイティヴ設立。関わる地域では法人設立等によりエリア再生に主体的に取り組む。また、住まいのある大阪阿倍野にて良き商いを守り育てるBuy local、自ら経営するSTAY local(宿)とTHE MARKET(ベーカリーカフェ・レストラン・グロッサリー)等まちの期待値を高めるムーブメントをライフワークとして取り組む。
株式会社サルトコラボレイティヴ代表
代表者:加藤寛之
所在地:大阪府大阪市阿倍野区晴明通7番20号
問い合わせ: hello@sarto.bz
業務内容:まちの期待値を高めるエリア戦略策定、公共空間・不動産活用支援、メディア及び定期マーケットの企画制作・プロデュース・運営。各地域での会社経営(丹波・鹿屋・北九州・沼津)。直営店THE MARKET(ベーカーカフェ・レストラン・グロッサリー)経営。「サルト」はイタリア語で「服の仕立て屋」という意味を持つ。