住まい探しはハトマーク

株式会社緑葉社/兵庫県たつの市

地域を魅力的にする取り組み

<取材日:2021年10月4日>

 

100年前の人に喜んでもらい
100年後の人にも感謝されるまちづくり

善意の投資家から資金を集め“一気に”かつ“丁寧に”まちづくりを進める

 

・住民の暮らしと観光との共存を目指す

・6年間で30以上の新規出店を実現

・善意の投資家を集め、スピード感を持って事業を進める

・自らリスクを負い、まちづくりへの覚悟を示す

 


 

住民の暮らしと観光との共存を目指す

─たつの市の城下町が重要伝統的建造物群保存地区(以下、「伝建地区」)に指定されました

伝建地区の町並み

 たつの市の城下町は、全国的に見ても、伝建地区の中で指定面積・指定棟数ともにトップクラスのボリュームを誇ります。昔から指定を受けることが期待されていましたが、合意形成に時間がかかり一時期頓挫しました。しかし、その後やはり「まちを残していくには伝建地区になるしかない」という議論が起こり、まちの皆さんが努力をされて、2019年に伝建地区の指定を受けることができました。

 町並みの特徴としては、倉敷の美観地区や川越の蔵造りの町並みと違い、建物の外観が揃っておらず、看板建築の建物や町家、大正や昭和の時代に改築されてレトロな雰囲気を出している建物などがいろいろ混在しているところにあります。まちの皆さんが一定の生活のコードを守りながら、大切に建物を守り、メンテナンスしてきたことが現れていると思います。

 

─龍野はどのようなまちですか

 伝建地区の城下町川西地区は、世帯数は約1,700で人口は4,000人弱の規模です。また、高齢化率は約28%で、空き家数は200軒程度あるといわれ、5年前と比較すると7割近く増加しています。城下町としては、南北約3km、東西約1.2kmほどの、鶏籠山と揖保川に挟まれた扇形の狭いエリアで、文化庁の調査によると江戸時代に引かれた町割りがほぼ8割以上残っているということです。また、“淡口醬油”の発祥の地としても知られており、発酵文化が根付いてて、今でも自家製味噌を作る家庭があります。

 立地的に見ると、車で30分のところに50万人都市の姫路市があり、60分圏内には加古川市や明石市など合わせて150万人の商圏が広がり、神戸空港からも90分と、1,700万人の京阪神都市圏から日帰りができる距離にあります。伝建地区としては恵まれた立地にあるといえます。

 

─どのような考え方でまちづくりを進めておられるのでしょうか

 町並みを保存したまちづくりというのは決して私たちのアイデアで始めたことではありません。今から約30年前の平成元年に龍野市教育委員会が『生きた城下町博物館都市龍野』※1という冊子を作っており、そこには従来のスクラップ・アンド・ビルド型のまちづくりではなく、「既存のまちの歴史的資産を利用するという視点に立った、過去から未来へとつなぐまちづくりが求められている」ということが書いてありました。私たちが取り組んでいるまちづくりの根幹の思想や考え方がこの中に盛り込まれていて、私たちはその考え方を受け継ぎ、現代版に再編集しているだけです。

 そのようなことから、私が代表を務める“NPO法人ひとまちあーと”の心得、つまり理念として「100年前の人に喜んでもらえるか、100年後の人にも感謝してもらえるか」ということをとても大事にして、毎日の取り組みを進めています。

 

─伝建地区に指定されると観光客の増加が見込まれます

 伝建地区になり、町並みが保全されることで観光客が増えるのはいいことだと多くの人は思うでしょうが、私たちはそのようには考えていません。なぜならまちには住民がたくさん住んでいるからです。観光のために投機目的で業者が参入し、住民の生活を顧みない開発が行われれば、龍野の文化と暮らしが崩壊してしまいます。あくまで住民の暮らしを尊重しながら乱開発を防ぎ、まちの暮らしの質の向上や、楽しみを充実させていくことに主眼を置いて、暮らしと観光を共存させていこうと思っています。

 また、町並み保存活動の大先輩に「見た目だけを昔のように改築・復元すればいいというものではないよ」ということを教えてもらいました。確かに町並みというのは建物の連なりですが、1戸1戸の建物は、その地域の風土や風習、文化の上に成り立ち、その地域に即した外観となっています。その話を聞いて、暮らしと文化が今も引き継がれているからこそ、建物や町並みも一定の秩序を持って引き継がれているのだということに気づきました。私たちがすべき真の“町並み保存”とは、その地域の暮らしや文化を引き継ぎ、生きたまちとして将来につないでいくことだと思います。

 

 

6年間で30以上の新規出店を実現

─まちづくりに関わるようになった経緯について教えてください

5年間の取り組みの実績

 私は中学生の時に、隣町の相生市で、3歳児から80歳代の人まで40人以上が所属する大規模な地域の和太鼓グループに和太鼓奏者として参加しました。高校生になると、若手の中心人物ということで、和太鼓の発表会や地域のイベントを任せてもらい、ご祝儀という地域の善意の志の存在を知ったり、プロの手ほどきを直接受けて、舞台演出や空間プロデュースを経験したりしました。さらに、和太鼓の練習場が使えなくなり困っていると、「お前らみたいな若いやつらが頑張るなら」と、地元の人たちが土地や材料、大工仕事を提供してくれて、山の中に稽古場を作る事ができました。そのような体験から、「やろうと思えば必ずできる」「世の中にとって善いことをし、それに対して私利私欲なしに素直に貢献したいという気持ちがあれば周りに伝わる」ということを実感しました。この体験が私の根幹にあり、「私利私欲に走らない」「生かされ、生きている」という気持ちが半端なく強く、「人のため、従業員のため、善意で投資してくれる人のため」というエネルギーが私を突き動かしてきました。

 その後、2002年頃からたつの市のイベント企画等の活動に参加し、2007年に“NPO法人ひとまちあーと”が設立されると、その副代表理事になりました。しかし、大学を卒業して働いてみると、イベント企画だけでは稼げないことがわかり、商売の仕方を覚えようと、地元の呉服屋や食品会社で働きました。また、地域活動のビジネス化を模索する中で、社長インタビューの仕事を通じて、社会関係資本というべき、地域のことを考え、若い人たちを応援したい経営者が多くいることを知りました。2014年に、導かれるように“ひとまちあーと”の代表理事になり、それと同時に会社員を辞め、覚悟を決めて専業で龍野のまちづくりに取り組むことにしました。

 

─大変なスピードで空き家の活用が進んでいますね

 2015年に株式会社緑葉社の代表を引き継ぎ、不動産事業を始めました。ビジネスモデルとしては、家主から当社が物件を借り上げ、スモールビジネスの事業者や移住者に転貸するモデルですが、2020年までの約6年間で、60軒以上を管理し、約30軒の賃貸借契約をし、約30店舗が新規出店しています。当社だけが物件を供給しているわけではありませんが、短期間でこれだけのお店がオープンしたわけですから、非常にインパクトのある状況が生まれたと思います。

NPO法人ひとまちあーと

 転機となったのは2013年に三軒長屋をリノベーションして、“ひとまちあーと”の事務所として整備したことです。割とおしゃれになった空間が評判を呼び、「こんな店を出したい」といった相談がたくさん来るようになりました。すると、建物の所有者からも「こんな風に活用できるのなら、誰か利用したい人がいれば紹介してほしい」という声が入り始めました。そこで、両者をマッチングしようと、出店を目指す人にお試し営業の場を提供するチャレンジショップや、クリエーターを中心にした人材を誘致するためのコワーキングスペースの機能をそこに持たせました。ただ、建物の所有者は「誰にでも貸したり売ったりはしたくないねん」と言いますし、実際に新たな入居者が、まちの暗黙のルールといったことを理解できず、ご近所トラブルになるような事例もいくつかあり、不用意には紹介できないと思いました。常識の違う人たちが同じまちの中に集うわけですから、目線合わせをしなくてはならないと思い、来訪者や移住者が龍野のまちになじむ仕掛けとして『“サムライコード”が残る町』というテーマメッセージとロゴマークを作り、龍野のまちのブランディングを始めました。

 

─双方がなじむ仕掛けとしてどのようなことをしていますか

 龍野のまちはには、“サムライコード”というべき武士の暮らしの作法が今でも息づいています。例えば、家の前を1日何回も掃いてきれいにするとか、洗濯物を通り沿いに干さないなど、武士が暮らしていたまちだからこそ、失礼があってはならないという恥の文化が現在に引き継がれ、暗黙のルールとしてしっかり根付いています。そこで、伝建地区への出店や移住希望者に対して、「このまちは武士の作法が生き続けている」ということを説明し、賃貸借契約書には自治会への加入と地元商店会への加入を義務付け、それが守れないのであれば契約更新はしない旨の特約を入れています。

ムカシミライ学校の様子

 さらに、新しく入ってきた人たちにはまちの担い手にもなって欲しいという思いから、“ムカシミライ学校”というコミュニティカレッジを運営しています。ここではまちの人に先生役になってもらい、まちの歴史や伝建地区指定の経緯など住民の記憶を語り継いでもらっています。また、“ふるさと”という地元で半世紀近く続いていたコミュニティーバーを承継したり、大正時代に開院した病院をリノベーションした多世代交流カフェの旧中川邸など、外から来た人と、まちの住人との接点の場もいくつか作っています。このように、ソフト面での教育を担う“ムカシミライ学校”と、ハード面で物件を供給する緑葉社の2軸を走らせることで、新たなまちの担い手を増やして育てる取り組みをしています。

 

─店舗についても立地のコントロールをしているのですか

 地元の龍野川西商店会では行政とも連携しながら、商店街活性化プラン策定のために2年にわたりワークショップを開き、皆で作りたいまちを可視化したり、ゾーニング計画を作りました。ゾーニングは、城下町の各地区にあった戦前の士農工商に分かれていた用途地域を現代版にアレンジして再現するという方針に基づき、住人の居住エリアと飲食店など観光客を誘致するエリアに分けるという考え方になっています。観光エリアについては、龍野は醸造町として伝建地区登録をしていますので、北ブロックエリアは、かねゐ醤油の工場跡地をコアとして、醸造を象徴するような体験型空間を整備しつつ、団体観光客を集約する観光動線を設計しています。それに対して南ブロックは、江戸時代から続く味噌蔵の伊勢屋をコアとして、個人向け小型店やまち宿を集積し、個人客がやって来るエリアに整備していく予定です。

 

 

善意の投資家を集め、スピード感を持って事業を進める

─まちづくりを運営する体制について教えてください

 まず、“NPO法人ひとまちあーと”がソーシャルデザインとインキュベーションの役割を持ちます。具体的には龍野でスモールビジネスを始めたいという人に、事業内容を聞き、具体的な事業計画に落とし込む創業のためのサポートをしています。また、イベントは地域共通で行うことが多いのでその運営を行います。

グループ相関図

 ハード面に関しては、㈱緑葉社が遊休不動産の管理をし、エリアマネージメントを行います。さらに、㈱MMD(むかしみらいデベロップメント)が物件を取得し、改修を施して物件開発をします。空き家の相談は、NPO法人GOODSTOCKが、たつの市の空き家バンクと連携して相談センターを運営し、最近は解体した空き家から出る廃材や残置物のアップサイクルの活用の仕組みを検討しています。また、ソフト面を担うグループ企業としては、出荷・生産量とも日本一の醤油、素麺、皮革産業のPRと、地域商社の役割を持ち、“クラテラスたつの”という地産地消のカフェとショップの運営を行う(一社)リバーサイドラボラトリー、古民家ホテルの運営会社として宿泊事業を行うとともに、西播磨全体の地域産業の素材を使い、ファブレスメーカーとして商品企画を行う㈱masumasuや、旧中川邸の運営母体であり企業主導型保育園運営や城下町の作法などの教育事業を行う(一社)はりまのこがあります。

 このように、“ひとまちあーと”と緑葉社を中心に、空き家の相談から、再生・整備、資産保有、その後の物件管理やオペレーションまで、グループ会社で役割分担することで倒産のリスクヘッジをし、総合的に収支がとれるような体制で進めています。

 

─では、緑葉社を引き継いだ経緯について教えてください

 “ひとまちあーと”で不動産の知識があまりないのにマッチングなどを始めてしまったことから、いろいろなトラブルや失敗がありました。特に、まちに唯一残っていた銭湯を私の認識が甘かった故に、取得できず解体されてしまった苦い経験があります。そこで、宅建業免許を取得しようと考えましたが、自分一人がオーナーとして進めるのではなく、まちの皆さんで運営する市民出資方式でやった方がいいと思い、まちの長老たちに出資をお願いしに回りました。すると、緑葉社の初代代表の原田研一氏が「出資はできないが、会社を引き継がないか」と言ってくれました。緑葉社は原田氏がまちを守りたいというロマンを持ってスタートした不動産会社で、友人たちが2/3程出資をしている市民出資に近い内容でした。そして、お話をもらった3カ月後に宅建業免許を持ったまちづくり会社の代表を引き継がせていただきました。

 

─市民出資の形態は運営が難しいのではありませんか

 緑葉社の運営で特徴的なのは市民出資という方式をとり、大株主を作らないという考えをしていることです。代表の私は株式総数の約4%を保有する筆頭株主ですが、私と同じ持ち株比率の株主は10名弱おり、株主総数は30名を超えています。企業経営をする上で難しい選択をしましたが、その理由は、トップが暴走するのを防ぐためです。当社は現在この地域で約60棟の物件を管理していますが、今後空き家の増加に伴い、管理棟数は200を超えると思います。そのような企業のトップがまちの人たちの意向に沿わないことをしてしまうことは認められませんので、まちを皆で守る仕組みとして、大株主を作らず、社長がオーナーにならない市民出資の形態をとったのです。

 

─物件を仕入れてから商品化するまでの流れについて教えてください

 標準的なパターンとしては、MMDが所有者から空き家を買い取り、店舗の場合は居抜きの状態、住居の場合は内装工事を施した状態で緑葉社に賃貸し、緑葉社が店を始めたい人や移住者に転貸します。入居希望者との賃貸借契約は原則2年契約で、以降自動更新。また、仕上げ工事は入居者負担になります。MMDが買い取る資金は当然私たちでは賄えませんので、私たちが進めるまちづくりの考え方に共感してくれる善意の投資家を見つけ出し、スポンサーとして投資・所有してもらいます。

 物件の仕入れに関しては、大きな物件も舞い込んでくるようになったことや、まちづくりのスピードを上げるには数千万円単位の借り入れが必要で、市民出資の会社では対応が難しいことから、緑葉社とは別にMMDを立ち上げ、私が株式の52%を所有するオーナーカンパニーとし、残りを善意の投資家に出資してもらっています。ただ、MMDも暴走できないように緑葉社と覚書を交わし、龍野における物件開発において緑葉社の意向に従うこと、物件の取得時、売却時には必ず緑葉社が仲介で入ること、緑葉社が見つけてきた投資家にしか物件は売らないというルールにし、物件の再生を一気に進めてきました。

 

─家賃設定はどのようにしているのですか

 入居者を募集する際には、大前提として退店リスクが最小限になるように家賃設定は抑え目にしています。立地、店舗規模(飲食業は客席数)、業態などがわかれば、客単価や回転率から1日の売上を想定し、大体3日の売上げが家賃相当額になります。そして、払えそうな家賃から逆算して投資額を決めていきます。既に30店舗以上の新規出店と、既存店の収支状況をある程度把握していますし、商店会の副会長もしていますので、家賃設定のための情報はたくさんあります。また、立地によってカフェや物販店は無理だけど、夜お酒を出す飲食店なら成り立つというマーケットの視点と、夜の飲食店に寛容な地域かどうかという、各地区の地域特性によっても判断していきます。このように、出店ロジックをしっかり組み立てていますので当社が関わって出店したお店で今までに退店したケースは1店舗のみです。また、コロナ禍の状況でも家賃をディスカウントしたケースもありません。

 

─物件の取得と利回り商品として販売する際の、リスク調整はどうしていますか

 家賃設定から投資額を決めて、善意の投資家に大体6~7%の利回り商品として買ってもらいますが、当社がマイナスにならないように調整ポイントをいくつか設けています。まず、建物の傷みが大きく改修工事費が高くなりそうな物件は、想定利率を少し下げて(調整して)購入してもらいます。また、緑葉社が物件を借上げ、転貸する際には、入居希望者には借上げ家賃に対して2〜3割上乗せした家賃で貸し出します。しかし、物件や事業者の業態によっては転貸家賃を微調整します。それは、退店されて空室の期間を作るよりは、転貸益を少なくした方がいいという判断で、既に30以上の賃貸借契約をしていますので、その中で吸収できるようになりました。

 また、MMDは物件の商品化に対し最低15%という粗利率を設定していますし、緑葉社も転貸差益以外に、空き家を販売する際に仲介手数料を得るなど、キャッシュポイントを複数設けています。

 

─善意の投資家はどのように集めるのですか

 緑葉社の前代表は、「人に持ってもらうことでたくさんできる」との考えから、友人等にお金を出してもらって建物を保有してもらい、まちの整備をしてきた背景があります。社会的なインパクトを起こすには、面で一気に変わらなくてはなりません。そのためには不動産を保有する必要があり、お金を眠らせることになりますが、「自分たちのお金を眠らせることはできないが、投資家のお金なら眠らせることができる」という考え方です。

不動産開発の仕組み

 投資家は今まで一般募集したことはなく、全て口コミで参加してもらっています。ただ、龍野高校出身者など、この地域にゆかりのある方が多く、50代までの比較的若い人やリタイアされた方で、今すぐ使う用途のないお金を「まちのために預けておくわ」と投資される方が多いです。金額的には1,500万円くらいまでの物件が多いですが、利回りは二の次で、まちを良くしていくということに価値を感じて投資してもらっています。どのまちにも老舗の企業で内部留保を持っている企業はたくさんあります。そのような企業の経営者に、「自分たちのまちを良くするために地元の物件に投資をし、5%の利回りで10年~20年持ち続けてみないか」と声をかければ、賛同し、投資してくれる人は多くいるはずです。そのため、まちの価値を上げるための肝となる不動産活用スキームを理解し、まちのために何かしたいという気持ちを持つ経営者と、日頃からどれだけ多くのお付き合いができているかが大きなポイントになります。当社を通じて投資してもらった金額は累積で約3億円ですが、都心で事業をしている人から見れば決して大きな金額ではないはずです。

 

─一方、出店希望者はどのようにして見つけるのですか

 そのような質問をよく受けることがありますが、自分のエリアをどのように設定するかを明確にするだけのことだと思います。どんな田舎でも新規出店したい、移住したいという人は必ずいるはずです。東京の移住者フェアに出展し、PRをしている自治体の話を聞いていると、自分のまちにはどのような特徴があり、何が魅力なのかについて客観的なアピールが上手くない気がします。龍野が城下町としてのブランディングとその世界観に憧れる人を育てていこうと努力しているように、日常から地域の価値を高めていくような情報発信と取り組みをし続けることが重要です。

 

 

自らリスクを負い、まちづくりへの覚悟を示す

─醤油工場跡地を取得するという大きな投資もされました

 かねゐ醤油が所有していた800坪ほどある醬油工場を当社で取得しました。かねゐ醤油が廃業することになり、営業権は末廣醤油に譲渡されましたが、土地建物については、伝建地区の真ん中にあり、醸造醤油の象徴ともいえる煙突は城下町のランドマークであることから、まちとして生かすためには公的な目的に使った方がいいとなりました。しかし、肝心の市役所は買わないという結論になり、このままの状態が続くと、解体されてアパートやマンションが建ってしまうことが容易に想像されました。そこで、「何とかしたい」と普段から支えてくれている社長たちに相談したところ、支援していただけることになり、当社で「買います」と宣言しました。資金調達した8,000万円のうち、出資や社債引き受けなど3,000万円を地元の企業に協力を得た一方、残り5,000万円については、私の個人保証を入れて金融機関から融資を受けました。コロナの影響もあり、売買契約後の2年間は眠れない夜を何度か過ごしました(笑)。

 

─どのような活用を計画しているのですか

ゐの劇場

 この建物を“ゐの劇場”と名付け、伝建地区の文化の集積拠点にしたいと思っています。そのために、貸しスタジオや野外ステージを整備し、アーティストによる小規模なワークショップやオンライン配信ができるようにする予定です。また、それだけでは稼げないので、事務所棟を設け、緑葉社の本社を移転し、城下町で既に店舗を構えている店に2店舗目として入ってもらう予定です。立地がいいので賃料は高めに設定し、コインパーキングも設置することで、賃料収入でローンの支払い額を上回ると試算しています。さらに、コロナの状況を見極めながら、2次投資の判断もしていこうと思っています。

 

─アートのイベントも計画しているとお聞きしました

 それまで長らく開催されて、3日間で7万人の集客があった国際的な芸術祭『龍野アートプロジェクト』を引き継ぎ、2021年に『たつのアートシーン』というイベントを11月3日から27日間開催します。テーマを“情緒と彩りの芸術文化祭”と名付け、ゐの劇場をメイン会場にし、単なるアートイベントではなく、このまちの文化、風土、風習が感じられるようなまち歩きのアクティビティなどを計画。また、世界104か国から3,000以上の作品が寄せられた『龍野国際映像祭』を始め、龍野にゆかりのある作家・演出家が多彩な企画を展開します。アートイベントは、出店希望者や移住者の予備軍である観光客に対するまちのブランディングと位置付け、龍野の世界観を発信します。100年後の龍野の人たちが、本当にこれが始まって良かったと感謝してもらえるような芸術文化祭に育てていくつもりです。

 

─今後の展開について教えてください

 伝建地区内には既に更地になった場所がいくつかあります。そこに、古材の廃材を利用して、龍野のまち並みの雰囲気と合うアップサイクルによる新築住宅を提案したいと思います。古い建物では、単純に維持するだけでもかなり費用がかかってしまうものもあり、新築住宅として再生していかなければならない場合もあります。今新築で建てても100年後には古民家になりますので、100年後を見据えて一つ一つ積み上げていきたいと思っています。

 さらに、たつの市の周辺エリアに目を向けると、西播磨にはエリアマネージメントに興味を持って取り組んでいる団体が多くあります。一方、龍野のまちづくりのためのグループ会社は全て機能会社ですので、各地の取り組みに必要に応じて関わることができると思います。そこで、各団体と空き家の整備や運営のノウハウ、機能会社をシェアすることで、お互いの効率を高めるような地域連携網を作っていきたいと考えています。

 

※1 1988年龍野市教育委員会町並み対策室作成

 


 

畑本康介(はたもと こうすけ) 氏

NPO法人ひとまちあーと代表理事/株式会社緑葉社代表取締役 他。中学時代に地元和太鼓団体へ参加したことで地域活動開始。播磨の地域活性化に寄与すべくNPO法人ひとまちあーとを仲間と設立。2014年代表就任と同時に会社員を辞め起業。2015年龍野の古民家を保存・活用するまちづくり会社㈱緑葉社を承継。その他地域産業活性化のための地域商社事業や教育事業などの会社を複数設立し、地域課題解決につながる事業を多角的に展開する。

 

 

 

株式会社緑葉社

代表者:畑本康介
所在地:兵庫県たつの市龍野町下川原29-1
電 話:0791-62-0404
H P: https://ryokuyosha.co.jp/
業務内容:2006年にまちづくりに取り組む有志により立ち上げた、市民出資による不動産会社。龍野城下町を中心に歴史的な建物の売買・仲介・管理及び開発事業を行う。2015年からの6年間で70軒以上を管理し、30軒以上の新規出店を実現している。