有限会社仙六屋/東京都大田区

地域を魅力的にする取り組み

<取材日:2021年10月28日>

 

点在する場所、人や想いをまちの価値に
つなげるマイクロデベロップメント

町工場とクリエーターを集めたモノづくりのプラットフォームを創る

 

・建物で価値を作るビジネスモデルを考える

・土壌となるまちの価値を上げることで、家賃という果実を受け取る

・町工場とクリエーターを集め、まちづくりの拠点を創る

・鉄道の高架下に新たなモノづくりのプラットフォームを作る

・蓄積された取り組みを継承し新たな価値を生む

 


 

建物で価値を作るビジネスモデルを考える

─貴社の沿革について教えてください

 当家は江戸時代からこのエリアに住み、4代目となる父の代までは海苔の養殖業をしていました。1960年代中盤頃に空港や高速道路が整備され、このあたりの養殖業は一斉に廃業となりました。廃業にあたって漁業補償が出たので、父は本格的に賃貸業を営むことにしました。

 その後、いわゆるバブル崩壊とともに“建物を建てれば借りたい人がすぐ見つかる時代”は終わり、土地神話が崩壊しつつある状況の中で賃貸業を営むにあたり、市場の様子はあまり気にせず、相続税対策などで、とりあえず賃貸アパートを建てるというやり方を続けていると、いつかは市場からしっぺ返しがくるのではないかと感じていました。

 そこで、一度地元を離れ、売買の現場を見ようと、不良債権処理を専門にしている不動産会社に就職しました。働いて感じたことは、不動産の売買そのものはそれほど難しくはないということと、民法で規定する“不動産”は、土地および土地に定着している物(建物)のことを指しますが、宅建業者は“建物”のことをあまり知らないということでした。確かに宅建業者は不動産取引のプロとして、不動産の目利きや、土地の開発など、流通市場の中で価値を作ることはできますが、建物で価値を作るというビジネスモデルは全く構築されていませんでした。そこでリーマンショックのタイミングで家業に戻り、最初に建物のことについて勉強しようと思いました。

 

─建物から価値を作るきっかけになったのがご実家の改修ですね

 実家がある敷地には、築90年の戦前から建つ母屋が残り、風呂なしの古い4軒アパートと、家族しか使わない駐車場、そして30年以上前に建てたRC造4階建てのエレベーターなしのファミリータイプのマンションがありました。建物のことについて学ぼうと思っていたので、㈱ブルースタジオさんに建築設計を依頼し、アパートと駐車場とマンションをつないで一体的な開発を施しました。

 駐車場をやめて、敷地内にコモンスペースを設けることにより、そこが住人同士の交流の場になり、緩やかなコミュニティが形成されていきました。マンションはオートロックやエレベーターはなしの状態でしたが、住人同士の人間関係が構築されれば、むしろそれがセキュリティー面で有効になるという気づきがありました。また、建物の内覧会をする頃に、父が自ら地域の人たちを招いて餅つきを開きました。すると、そこに居合わせた入居希望者たちは、当家と地域の人とのつながりや、地域の人たちの様子を理解することができ、それをこの地域の魅力と感じ、入居してくれるようになりました。このプロジェクトを通じて、建物の機能というハード面ではなく人のつながりというソフト面で不動産の付加価値を作る方法を学びました。

 

【うめこみち】

「うめこみち」の共用スペースである中庭

 エレベーターもオートロック機能もない築25年のRC造4階建マンションの空室対策として、隣地に所有する古い風呂なしアパートや駐車場を含んだ一体的な計画を行いました。

「うめこみち」の屋上スペース

 アパートは壊さずリノベーションをして2世帯のメゾネット賃貸住宅にし、残った土地に新たに賃貸住宅と戸建ての賃貸住宅を建て、駐車場はマンションの付加価値にもなるよう、住人全体が利用できるコモンガーデンにしました。また、RC造のマンションは、段階的に室内の改修を行うことにする一方で、屋上に投資をして、夏場は子どものプール場として利用できるような、住人が自由に使える共用スペースにしました。

 

 

 

 

 

 

 

土壌となるまちの価値を上げることで、家賃という果実を受け取る

─そこからまちづくりにも取り組まれました

 父は千葉県など他県にも不動産を所有していましたので、それを売却してこのエリアの土地を買い増しするなど、選択と集中を行い、資産の組み換えをしました。賃貸業は長期スパンでビジネスを組み立てなくてはなりません。一方、市場環境は不透明ですし、最終的に相続に備えなくてはならないので、賃料収入以外でもビジネスを考える必要があります。そこで、不動産オーナーは担保力があると金融機関から評価されることから、買取り転売といった短期のビジネスも事業のポートフォリオの中に組み入れていきました。

 自社の資産を見直す過程で、接道されないために再建築不可の物件で、借地権者から買って欲しいと依頼があった建物があります。隣地も所有していたので購入することにし、この建物をどのように生かすかを考えました。その頃ブルースタジオの大島氏に、彼が理事を務めていたNPO法人モクチン企画※1を紹介してもらい、代表の連さんとモクチンレシピを使って改修方法を考えようとしたのですが、結果的に本人を口説いて入居者になってもらいました(笑)。不動産の売買やリノベーションをいくつか行ううちに、どのような投資をすればお客さんがつき、どれくらいの期間で回収できるのかといったことが効率的に解けるようになりました。しかし、あくまで不動産を投資利回りの視点で考えており、そこにまちづくりの視点は全くありませんでした。一方で、大島さんたちからは、「このエリアで土地をいくつも持っているし、家の歴史からするともっとまちのことを考えた方がいい」と言われていました。家賃や地代のことを“法定果実”という言い方をします。天然の果実は土壌に栄養を与えない限り、美味しい果実は実りません。同様に、家賃を得るためには土壌となるまち自体の価値を上げなくてはならないということになります。しかし、当時はこの当たり前のことに対して、概念的にわかっても、具体的にどうすればいいか理解していませんでした。

 そこで、モクチン企画さんが入居してくれた建物の横に所有していたワンルームマンションに、“蝉semi”という独特のデザインの鞄を作る人たちに入居してもらいました。大田区蒲田といえば、やはり町工場のまちです。しかし、そこで作られているのは最終製品ではなく、金属の精密部品です。もう少し“モノづくり”感を感じることができて、デザインやコンセプトに優れている最終製品を作るテナントを集めることで、町工場とも関係性を築き、このエリア独特のモノづくりを、一般の人が身近で感じられるのではないかと考えました。立地的に鞄を売るには厳しい場所だったので、その工房は退去してしまいましたが、これを機に、モノづくりをまちづくりにつなげることによって、他のまちとは違う価値を創り出せるのではないかと考えました。それからは、不動産のプロジェクトを計画するときに、モノづくりということを織り込み、そこにどのような人と関係を持つかということまで考えるようになりました。

 

 

町工場とクリエーターを集め、まちづくりの拠点を創る

─「カマタ_ブリッヂ」におけるモノづくりを文脈にした不動産の生かし方について教えてください

 工房の機械は一棟リノベーションの機会に、私が購入しました。部屋を貸すときは壁はほぼスケルトン状態にし、入居者にクリエーターたちと一緒に部屋を作ってもらうという考え方です。大家さんは物件が古くなり部屋が埋まらなくなるとフリーレントや仲介会社に広告費を出すことで、実質的な値下げをしますが、そのような誰でも思いつく手を打つのではなく、入居者が1階で働く人たちと一緒に機械を使い、壁や床、家具を作ることで、働く人と住む人との間に人間関係が生まれるだけではなく、入居者が入れ替わるたびに、部屋の価値が上がる可能性を生むという新しい戦略を立てました。

 また、道路に面する建物の1階はまちの顔になる部分です。X軸、Y軸、Z軸という言い方をしていますが、1階(X軸)にモノづくりの場所を作り、クリエーターを集めると、上階(Y軸)の入居率向上につながり、この工房をきっかけに町工場の人たちとつながれば、町工場にとっても刺激になるし、まち(Z軸)の価値向上にもつながり、三方良しになるのではないかと考えました。

 さらに、このサービスモデルを他のオーナーに広めたり、この工房で作った家具を販売したいと思っています。

 

─このプロジェクトを契機に、まちづくりを考える「@カマタ」という組織を作ったのですね

 不動産を使って地域の価値を作る方法というのは、既存のまちなみを一掃して、その上に再開発計画を入れるというわかりやすい方式がありますが、それができないまちが大半です。『カマタ_ソーコ』という当社で所有している倉庫を、アートの展示やアートイベントのスペースとして1年間使いました。アートに価値があるということはわかりますが、すぐに金銭的価値にはなりません。それと同様に、大規模な再開発をすることができないまちも、時間の経過とともに価値が形成される方法を実践すればいいのではないかと思いました。

 そこで、このエリアに点在している物件を紐づけ、そこに人とのネットワークやモノづくりの現場などを全て織り込みながら、まちの価値につなげる取り組みを『マイクロデベロップメント』と位置づけました。この方法を推進し、エリアの未来像やビジョンを語る会として、連さんや「カマタ_ブリッヂ」に集まった人たちと「@カマタ」という組織を作りました。そして、「蒲田のまち全体をクリエーターのためのシェアオフィスにしたい」と、当社所有の物件を活用し、町工場やクリエーターなど、モノづくりに携わる人たちと交流を重ねていきました。活動の場所は小さな点に過ぎず、個人という小さな単位の活動ですが、それを「@カマタ」で面でとらえる形にし、まちの将来像やプロジェクトに関与しているメンバーの考え方をそこに示すようにしました。

 

【カマタ_ブリッヂ】

パン屋が入った「カマタ_ブリッヂ」

 自社所有のRC造の4階建てマンションですが、旧耐震の古い物件なので一棟全てをリノベーションすることにしました。その際、1階の3つのスペースに何を入れるかということをモノづくりの文脈で考えました。叔父がやっていた中華料理屋はそのまま入ってもらい、他の2つは、モノづくり特化型のシェアオフィスと、工房にすることにしました。工房には3Dプリンターやレーザーカッターなどのデジタル機器を導入し、しかも、上階の9室に住む入居者は1階のシェアオフィスに入るクリエーターたちと一緒に家具を作ることができるようにしました。つまり、モノづくりの人たちに利用してもらうだけではなく、クリエーターと一緒に自分の部屋に欲しい家具を作る体験を、この物件の付加価値にしたのです。

 

 

 

 

 

鉄道の高架下に新たなモノづくりのプラットフォームを作る

─京急電鉄との取り組みもその延長上のプロジェクトなのでしょうか

 「@カマタ」を始めたタイミングの2012年に京急電鉄本線の平和島駅~六郷土手駅間が高架になりました。皆でまちづくりの活動をする中で、新しくできた高架下が何になるかによってその動きが加速するかどうかが決まる。もし、高架下という公共性の高い場所を効果的に活用することができれば、大きな飛躍になると思いました。しかし、何のアクションも起こさないと駐輪場や駐車場になり、駅に近いところにチェーン店が入るだけだということが容易に推察されます。そこで京急電鉄と何とか接点を持ち、私たちが考えていることの意思表示をしたいと思いました。そのために、連さんたちと一緒に7万円ほどかけて、エリアの現状分析と私たちが考える問題意識、そして町工場が集積するこの地域にクリエーターが流入し新たな可能性が芽生えつつあることをまとめた2冊の本を作りました。

 最初に先方に提案した内容は、こちらが考える現状の課題や事業の可能性の列挙にすぎませんでしたが、次からは京急電鉄からコンサルティング料をいただき、地域の人やクリエーター等にリサーチをし、ビジネスモデルを組み立てました。最終的にシェアオフィスと機械工房のあるインキュベーション創業施設としましたが、「カマタ_ブリッヂ」で小さく生んだものを磨き上げて、ここで大きく展開することができました。

 ただ先方は大手企業ということもあり、私たちに対して「本当にできるのか?」と値踏みされている印象を感じました。私たちもまちづくりは1年や2年では実らないし、計画だけでなくその後の運用が大事だということはわかっていたので、その場所を実際借りることで事業リスクをとり、「同じ船に乗ります」と伝えました。

 日本は農地を宅地化して住宅地を作り、大規模な駅前開発をして、まちづくりをしてきました。ただ、それが長期的に価値を生み続けられるかどうかはわかりません。やはりその中に、小さな単位だけど地域の中で時間とともに積み上げてきたコンテンツを織り込んでいく、『マイクロデベロップメント』という方法が必要なのではないかと思っています。この考え方は先方とも共有し、しかも、地域の価値が上がるか否かは私たちのビジネスに大きな影響を及ぼすので、不動産業者、商店街、行政がビジョンを共有し、長期的なリスクシェアをしましょうと話をしています。

 さらに、沿線価値を長期的に高めるために、「梅森プラットフォーム」の取り組みを京急沿線の中で横展開する提案をしています。高架化された範囲は、町工場の多いモノづくりのエリアなのですが、このような地域リソースを活かす開発の手法とリスクの取り方を他のエリアの各駅で展開することは可能だと思います。

 沿線全体を俯瞰すると、京急沿線は、羽田や横浜、三浦海岸もあり、表情が豊かで多様性があるという特徴があります。この特徴がゆるやかにつながり、全体と見えるようになれば、当エリアもさらに価値が生まれると考えています。

 

【梅森プラットフォーム】

 京急電鉄が京急本線大森町駅~梅屋敷駅間の高架下スペースに、クリエーターと地域の町工場の拠点づくりを目的とした、モノづくり複合施設「梅森プラットフォーム」を2019年4月1日に開業しました。その一角を(有)仙六屋が借り、カフェとイベントスペースを運営しています。さらにもう一角は、『KOCA』というクリエーターと町工場が協働し、モノづくりに取り組めるコワーキング機能を有したインキュベーション施設にすることにしました。梅森プラットフォーム全体のディレクションを、@カマタを法人化した㈱アットカマタが京急電鉄から業務委託料をもらって行うとともに、その一区画を借り上げて事業者としてインキュベーション施設を運営することにしました。

 

京急電鉄にプレゼンしたたった2冊の本

梅森プラットフォーム

工房には購入した機械が設置された

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

蓄積された取り組みを継承し新たな価値を生む

─貴社が借りた場所にはカフェをオープンさせました

 2019年4月にオープンしたとき、有限会社ユウから有限会社仙六屋に社名変更しました。この場所で不動産にサービスを作ることで、まちづくりのスピードを早めたいと思ったからです。モノづくりは長期的には、まちづくりに寄与していきますが、影響の度合いが見えにくいものです。もう少し直接的にまちづくりに寄与するにはカフェのような、無目的に多くの人が訪ねてくれる場所が必要だと思いました。

 ここでは自家製レモネードとクリームモナカを販売しています。地元の人に愛されてきた老舗の甘味処の『福田屋』が閉店すると聞いて、そのまま終わってしまうのはとても惜しい気持ちがして、店舗そのものを引き継ぐことはできないが、違う残し方があるのではないかと考えました。そこで、代表的なメニューの「クリームモナカ」のレシピとアイス製造機器を譲り受け、その味をまちの価値として引き継ぐことにしました。小単位ですが、まちの人の記憶や思いが詰まった商品を残して、カフェという形態と組み合わせることによって、新たな価値として残していけるのではないかと思ったのです。このエリアは大学や、商店街があり、町工場もあります。商店街には既に役割を終えたようなお店がありますが、そこにインキュベーション施設から生まれたテナントが新たに入っていくような関係、KOCAと古くからある商店街や町工場の双方が混じりあい、新たなまちの価値をモノづくりという文脈で生み出していくことが私の仕事だと思っています。

 

─「カマタ_ブリッヂ」も新たな展開をしています

 不動産にサービスを作るということは「カマタ_ブリッヂ」でもバージョン2として展開しています。中華料理店は惜しまれながら閉店し、シェアハウスと工房はKOCAに移ったので、その後には上階の住人にも周辺に住む人にも必要とされるお店を入れ、“小さな商店街”にしようと思いました。そこで、まずここに美味しいパン屋さんがあると喜ばれると考え、パン屋限定でテナント募集をしつつ、入って欲しいと思うパン屋さんを探し、直接交渉に出向き、これはと思うところにはフリーレントや傾斜賃料などを提案しました。この建物の収益の柱は、2階より上の住戸なので1階を安くしても建物の価値を上げるテナントに入ってもらえればいいという考え方です。さらに、その隣2軒もカフェとクラフトビールを出す店に入ってもらうことができました。これで外出したくない休日などは、ここで全て用が足ります(笑)。

 

クリエーターたちの活動の場「KOCA(コーカ)」

モクチン企画の連代表と一緒に(向かって左が茨田氏、右が連氏)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

─オーナーの意識が変わればまちは変わると思います

「福田屋」の看板も掲げられたカフェ

 オーナーの中からまちづくりに取り組んでくれるプレイヤーを探して、育てるというまちづくりにはオーナープレイヤーモデルの話がよく出ます。しかし、それだけでは足りないと思います。私たちのようにまちづくりに全力で関与するような人間ではなく、単にクリームモナカを買いに来てくれる人や、イベント時に立ち寄ってくれたり、時間的に余裕のあるときには労働力を提供してくれる人たちの存在が必要だと感じています。自分たちの暮らしている足元に少し意識を向け、自分たちの小さな行動が間接的、直接的にまちの魅力づくりに影響しているということを感じてもらう、または気分によっては参加してもらう、そのような意識をもってもらうことができる場所としてカフェをやってよかったと思いますし、そんな場所にしたいと思っています。

 幸い「不動産を使ってまちを良くすることができるのか」という課題に生まれながらにしてチャレンジできる環境にいますので、その機会を最大限利用しないと申し訳ないと思っています。まちづくりは、清掃から始めることもできますし、デベロッパーや行政が進めるインフラから作るまちづくりもあり、その方法はひとつではありません。ただ、このエリアで取り組むマイクロデベロップメントの手法や考え方が他のエリアでも成り立つ事例をいくつも作りたいと思っています。

 

 


 

茨田禎之(ばらだ よしゆき) 氏

1972年東京都生まれ。慶應義塾大学文学部フランス文学科卒。不動産会社勤務後、2010年に家業である不動産賃貸業を事業承継。一般的な不動産投資のみならず、街の魅力を上げるコンテンツ事業への投資を通して、大田区を中心にしたエリアマネジメントと事業を展開する。仙六屋/「@カマタ」の実践を通して、個別不動産や場所を長期的かつ戦略的に運用することでエリアマネジメントに資する「マイクロデベロップメント」を考案し、日々の現場で実践。

 

 

 

有限会社仙六屋

代表者:茨田禎之
所在地:東京都大田区大森西6-16-18梅森プラットフォーム内
電 話:03-6404-6908
H P:http://senrokuya.jp/
業務内容:1988年不動産賃貸及び不動産管理業を営む有限会社ユウを設立。2019年有限会社仙六屋へ社名変更。不動産開発とそれに付随する事業開発や不動産仲介を行う。また長期的視点で不動産運用や管理を行い、そのためのイベント企画や運営も行う。さらに継続的に価値を生み出し続ける地域の資産を目指し事業投資を行う、マイクロデベロップメントを推進している。