株式会社吉川美南不動産/埼玉県吉川市
地域を魅力的にする取り組み
<取材日:2022年7月7日>
地域の活動を通じて
不動産の仕事と感謝を得る
まちの魅力を増やすことが顧客への最大のアフターフォロー
自治会長就任をきっかけに独立開業を決断
─会社設立のきっかけを教えてください
19歳のときに不動産会社に就職し、営業として分譲住宅の販売や、売買・賃貸の仲介など幅広い業務に携わってきました。そして結婚を機に、吉川市に家を購入しました。吉川市に住むことにしたのは、当時、私は越谷市にある不動産会社に勤務しており、妻は三郷市の会社で働いていましたので「お互いの会社の中間地点で吉川にしよう」という単純な動機でした。家を買ったばかりで、近所の方との付き合いをしっかりやっていこうというタイミングで、我が家に自治会の順番が回ってきたことから「1年間だけ」というつもりで、月1回の会議はもちろん、運動会やお祭りなども積極的に参加しました。
ようやく任期が終了というときに自治会長が辞めることになり、自治会のメンバーの中から会長を選ばざるを得なくなりました。当然、自治会長には誰もなりたがりません。話し合いをしても「仕事があってできない」と皆が言う中、ある出席者から「そもそも出席できなければ仕方がないので、この1年間最も多く出席してくれた人に会長をお願いしてはどうか」という提案がありました。一生懸命取り組んだ結果、それが結果的に仇となり(笑)、誰よりも出席していた私が“自治会長”に選ばれてしまいました。
ただ、その時はまだ不動産会社に勤務しており、土日はお客様の案内や契約がありましたので、そのままだと自治会長の仕事が疎かになってしまうことになりかねません。また、子どもが生まれたこともあり、家族との時間を少しでも多くつくりたいという想いから、2013年に思い切って独立開業したのです。
─独立当初は苦労があったのではないですか
勤めていた会社は社員研修を手厚く行ってくれる会社で、“人生の目的を持とう”といった動機付けの研修などもあり、漠然と30歳になったら独立したいと考えていました。また、売上目標のためにこちらの都合で契約を当月にねじ込んだりする仕事のやり方に違和感を感じ、お客様とちゃんと向き合いたいという気持ちもありました。
独立するにあたっては、これまで勤務していた会社に後から文句を言われることがないよう担当していたお客様は全員、しっかりと引き継ぎをしました。そのため、地盤も看板もなく、お客様は全くのゼロからのスタートでしたので、開業間もない頃は空き地の謄本を取って、地主さん一軒一軒を回り「売却するときは声を掛けてください」と訪問しました。ただ、地主には当然お抱えの不動産業者がいて、なかなか結果に結びつかず、このままだとまずいかもしれないというところまで追い込まれました。そんなときに宅建協会に入会していたことが役に立ちました。協会で顔見知りの会員業者が増えてくると、それが仕事につながるようになったのです。お互い信頼関係があれば、こちらに購入希望者がいる場合、「お客様がいるから売ってもらえるように話してもらえますか」という話ができますし、当然元付業者も仕事になるので動いてくれます。それに気付いてからは、地主さん回りから不動産業者回りに切り替えました。その後は宅建協会の仲間から「あそこの地主さんに声を掛けてあげるよ」と情報交換もできるようになり、仕事がどんどん回るようになりました。その意味では本当に宅建協会様々です(笑)。
─社名も地域名をつけられています
当社は売買仲介のみを行っていることもあり、開業にあたっては、狭いエリアでシェアNO.1になるというランチェスター戦略を意識しました。そこでまず、家を探す人は地名を必ず入れて検索するだろうから、社名に地名を入れようと考えました。また、この地域は都市計画が進められ、近隣には越谷レイクタウンなどの大型施設があり、都心までのアクセス等を考えると吉川市の中でも吉川美南地区は将来的に必ず良くなると思い、この地区に特化しようと思いました。
ビジネスモデルとしても広告を打つのではなく、紹介によってお客様が集まってくるような仕組みにする方が事業として回っていくと考えました。実際に当社に来られるお客様は、「この辺で探しているのだけどいい物件ありませんか」という方が多く、物件からではなく購入相談から入ることができます。今は客付け仲介が中心ですが、売却の際はやはり名前を知っていて信頼できる業者に任せようという心理が働きます。そこで、結果が出るまでのタイムラグはあるものの、狭いエリアで地域の活動をすることで信頼を得、紹介をもらうというモデルが最も安定的に売上げが上がる仕組みだと考えました。
また、30歳で独立したため、どうしても若造と見られることも多いので、不動産コンサルティングマスターやホームインスペクター、ローンアドバイザーなどの関連資格はもちろんのこと、救命士や減災リーダーなど地域の資格や、風水や天然石の鑑定士、世界遺産検定など、広義の意味で不動産に関わる資格も取得しました。さらに、外国人にも住みやすいまちになるようにと国際友好協会の副会長や、高齢者社会を見据えて社会福祉協議会の理事も引き受けています。
自治会活動を通じて地域課題を解消する
─自治会長の仕事は多岐にわたりますね
吉川市には95の自治会があり、その中に5つの地区連合会があり、さらに、全自治会が加入している吉川市自治連合会があります。自治会長になると、同時に地区連合会の会員にもなり、吉川市自治連合会の会員にもなります。私は、美南1区自治会長を10年、地区連合会会長を5年、吉川市自治連合会会長を4年務めました。
自治会長の仕事は地域の会議に出席するだけではなく、公園の整備や都市計画事業などに関して地域の声を聞くという名目の下に、行政との会議に呼ばれたり、地域防災推進委員といった役職も引き受けることになります。地域活動は、家を購入して家族も住んでいますので簡単には辞められないと思っていましたし、やっていくうちにその大切さがしみじみわかるようになってきました。お祭り一つとっても、月に何回も夜毎に集まり、仕事以外の行事であるにも関わらず、「参加してもらった人に喜んでもらうにはどうすればいいか」「外から来た人にまちの魅力を知ってもらうにはどうすればいいか」ということを真剣に話し合っている姿はとても新鮮でした。「このようなことを裏方でやってくれている人がいたんだ」という発見もあり、どんどん興味がわいてきましたし、皆と一緒に地域の魅力を盛り上げることで、巡り巡って自分の仕事にもプラスになるかもしれないと感じ、この活動をもっと続けたいと感じました。
─自治会活動を維持していくのは大変でしょう
人口が増加している吉川市でも加入者は減少し、自治会を存続させるのが難しくなってきています。私が自治会長に就任したときの自治会の加入率は約30%と低い状況でしたが、一軒一軒個別に自分の足で約420世帯を回り、声をかけると大体入ってくれて約半数の世帯に加入していただきました。減少に歯止めをかける方法としてはこのような活動を継続するしかありませんが、個人だけではずっと続けられるものではありません。
実際に、高齢者からは子供向けのイベントが多いので入る意味がないと言われたり、自治会に入っている人、入っていない人、入っていても強制的に入らされている団地があるなど、自治会があることで分断が起きたりもしています。防災や防犯のネットワーク作りにお金をかけたりしていますが、同じ自治会でも地域によって求められるものが違うので、それを捉えて痒い所に手が届くような運営をしていかなくてはならない状況です。
─防災や防犯の面からも自治会の存在は有効だと思います
大阪府池田小学校事件※1以降、外部の人間は学校に入れないような流れになりましたが、防犯・防災の面から、地域との交流は逆にあって然るべきだと思います。地域の大人と子供が顔見知りになることで、何か違和感があったときに声を掛けられるようにしておけば、犯罪を未然に防ぐことができると思います。地域が目となり、地域のつながりが防犯にもつながると思うので、小学校と積極的にコミュニケーションをとっています。
また、地域のおじいちゃん、おばあちゃんたちで構成されるGB会という組織があり、毎朝子供たちの通学の見守りをしてくれています。毎朝通学路に立ってもらうので親御さんたちは安心です。ここは子供が多い地域ですが高齢者もいますので、自治会活動の一つとしてこのような機会を設けました。
地元の美南小学校は公民館が併設されている全国でも珍しい学校なので、校庭と体育館を借りて、自治会で年に1回“美南祭”を実施しています。小学校の体育館と校庭を借り、中学校の吹奏楽部による演奏発表や、地域の団体の取り組みを発表したり、運動できる場所を提供しています。さらに、商工会の仲間に出店してもらい、飲食も楽しめます。この祭典の目的の一つに、「地域の人に地域のお店を知ってもらい、そのお店を利用してもらうことで地域経済の活性化につなげていく」ことがあります。そのため、お店で使えるクーポンも配布しています。コロナ禍で中止していましたが、それまでは約3,000人の方が来ていました。
地域のつながりの中で生まれた空き家を活用した取り組み
─空き家問題にも取り組まれています
吉川市は全国的に見ると空き家は少ない方ですが、2015年に吉川市空家等対策協議会が立ち上がり、私は協議会の副会長として空き家バンクや空家条例の制定に携わりました。吉川市は江戸川と中川に挟まれた川で栄えたまちで、“早生米”が採れ、そのお米を江戸に運び、江戸からは肥料を持ち帰ることで発展しました。そのため江戸時代から何百年も続く料亭がいくつか残る歴史のある地区があります。そのエリアが上河岸(かみがし)と下河岸(しもがし)というところです。長い歴史があるため、狭い路地や昔ながらの銭湯やお豆腐屋さんがあり、とても風情がある場所です。そこで、100年くらい前から残るこの景色を100年先まで残していきたいという想いから、地元の工務店やデザイナーとタッグを組んでプロジェクトを始めました。
ある時、自治会の活動を通じて知り合った女性に、マンション購入の相談を受けていました。彼女はピアノを弾くとのことで、話を聞いてみると本音では「ピアノ教室をやりたい」ということでした。マンションだと気兼ねして楽器の演奏もできないので、「一軒家をリノベーションして防音室を作り、自分の住まいは2階にしてみたらどうか」という提案をしたところ、ちょうどそのタイミングで空き物件が下河岸に出たので、『シモガシハウス』のプロジェクトがスタートしました。
最終的に、1階2階ともに防音完備にし、1階はピアノが演奏できるホールと生演奏を聴きながら食事ができるカフェを、2階は住むスペースはそんなに広くなくてもいいということだったので、レンタルルームを3部屋作り、個人で楽器の練習のほか会議室やコミュニティスペースとして使える、第3の居場所になるようなスペースにしました。1階のカフェは自治会の仲間に入ってもらい、最近では地元の農家の方が定期的に野菜を販売したり、花屋さんがお花を販売し、地域の人たちが集まる場所になってきています。野菜を買いに来るとか、卵を買いに来るなど、人が集まることで多世代交流にもつながり、新たなまちのにぎわいが少しずつ生まれていることを実感しています。放っておくとすぐに古い建物が壊されて新築アパートが建ってしまうので、『シモガシハウス』以外にもこのような物件をいくつか手掛けていきたいと思っています。
このプロジェクトは、売る人も買う人も運営に関わる人も全て、私が地域の活動をしていなければ出会えない人たちでした。一般の不動産会社のように広告を打ち、来てくれたお客様とだけ商売していればこのような仕事はできなかったと思います。また、この物件をきっかけに、まちづくりのイベントや場の運営を行う『くらしをたのしくする会社ミンラボ』を立ち上げました。
─私設図書館も開設されています
コロナ禍によりステイホームになり、お客様から「本、貸してよ」と言われたのがきっかけで、地域に小さな図書館しかないことから、『美南ライブラリ』という夜だけ開く私設図書館を事務所内に開設しました。
事務所には約3,000冊の本があり、全て自分自身が買って読んだ本ですので自信をもってお勧めできます。ここには漫画もあるし、家族で来てもそれぞれ借りたい本があります。図書館がすぐに仕事につながるとは思いませんが、来られた方が“住まい”について考えることになったときに、当社のことを頭に浮かべてもらえればと思っています。また、最近は店先を貸しており、日中は移動本屋さんにも来てもらっています。
─このように地域活動をしていると逆にやりにくさは感じませんか
人に使われて働いていた頃は、お客様のことを考えるより、利益が多いといった理由で自分たちが売りたいものを売っていたような気がします。独立してからは、お客様が望んでいることをいかに叶えるかという方向に完全にシフトチェンジをしたので、家を買って喜んでもらえるようになり、購入後もその関係性は続いていきます。地域の活動をしていると学校やスーパーで会ったりもしますし、少し仲良くなれば一緒に飲みに行ったりもします。仕事とお客様との付き合いは、昔は壁があったような気がして会いたくないと思った時期もありましたが、今は自然体でシームレスのお付き合いができ、このやり方に心地良さを感じています。
顧客への最大のアフターフォローは、地域の価値を上げること
─自社を『まちづくりをする不動産屋さん』と称されています
自治会の仕事をしてきて感じたのが、「自治会活動は不動産業者が行うのが最適だ」ということです。地域を良くするための取り組みや、皆がやりたがらない面倒くさいことをやると地域の人からとても感謝されます。同時に、地域の人と顔見知りになれるし、地域にも詳しくなれます。不動産業者は顔が広くないと仕事にならないですし、その地域の物件を扱うのに地域のことを知らないのでは説得力がありません。逆に、地域のことを良く知っていて、知り合いがたくさんいれば信頼されますし、この地域に住もうという人に対して細かい話ができます。そう考えると、地域の活動は不動産業者の仕事に直結します。まちのための活動を一生懸命やることが自分たちの仕事につながり、かつ地域の方から感謝されるのであれば、こんなに楽しい仕事はないと思います。そのような気持ちを持ったので、当社のことを『まちづくりをする不動産屋さん』と言っています。
ただ、両輪である不動産の仕事と地域活動をこれ以上大きくするつもりはありません。そうすると経費もかかるし、かえって動きづらくなる可能性もあります。私と同じような考え方の宅建業者が各地域に増えてくれば不動産業者に対するイメージも良くなるでしょうし、お互いが連携することで皆がwin-winの関係になれると思います。
私が考えるお客様への最大のアフターフォローは、「自分の住んでいる地域の魅力がどんどん増えていくこと」だと思います。そして、「このまちに住んでよかった」と思ってもらえるようなところまで責任を持ちたいと考えています。アフターフォローが大事だからと、用もないのに既存顧客の家を訪ねるより、まちの景観を良くしたり、ゴミ拾いをしたり、人が集まれる場所を作ったり、コミュニティを再生したりする活動の方が最終的にお客様のためになるはずです。
最近、フットサルチームが吉川市に立ち上がり、スポンサーとして支援したり、カンボジアで井戸を掘っているNPO法人に寄付をしています。稼いだお金をどのような使い方をしているのかということも、企業選びの視点としてお客様に持ってもらいたいと思います。そして、収益の一部を地域に還元するような会社が増えれば、地域の活動がさらに活発になると思います。これからも地域に根差し、地域とそこに住む方のための“橋渡し”として尽力していくつもりです。
石井亮英(いしい あきひで)氏
1982年、福岡県生まれ。幼少期に埼玉県三郷市に転居後、同県で過ごす。地元の高校を卒業後、千葉工業大学に進学したが中退。19歳で埼玉相互住宅株式会社に入社、営業として分譲住宅の販売や売買・賃貸の仲介など幅広い業務を行う。同社に11年間勤務後、吉川美南不動産を設立。「不動産を通して、美しいまちづくり」をモットーに、不動産業務のほか地域貢献に尽力する。同時に低炭素社会実現に向け、エネルギーパス発行の推進など、付加価値を付けた不動産取引にも力を入れる。
株式会社吉川美南不動産
代表者:石井亮英
所在地:埼玉県吉川市美南5-31-9
電 話:048-940-3730
H P:http://www.yoshikawaminami.co.jp/
業務内容:19歳のときに地元不動産会社に就職。結婚を機に吉川市に引っ越し、美南1区自治会長となったことをきっかけに平成25年に独立開業。地域と地域に住む方たちの顔が見える関係の構築をするべく自治会長として地域活動に積極的に参加する傍ら、宅建業者としてまちづくりに取り組む。