独立行政法人都市再生機構 西日本支社/大阪府大阪市

顧客志向の企業経営の実践

寄稿(寄稿日:2023年3月25日)

 

経年賃貸物件で新市場を開拓する

希望をデザインする
団地の資源を使って、本物の集住を引き出す手法開発の挑戦

 

・フェーズ0 懐かしい団地風景との再会

・フェーズ1 自分が何をしているのか 分からない一年目

・フェーズ2 気づきと内省の繰り返し

・フェーズ3 団地が動きだす実感 2年目

・フェーズ4 「本物の集住」を目撃した3年目

・フェーズ5 団地で起きているアウトカムが意味するもの

・フェーズ6 コミュニティ醸成と賃貸経営との融合

・フェーズ7 経年賃貸物件再生が人を成長させる

 


 

フェーズ0

懐かしい団地風景との再会

 私の原風景は子供の頃の団地です。団地の階段室ではいつも母親たちの取り留めのない井戸端会議が繰り広げられ、学校から帰ると「宿題はしたの?」という親の眼差しをかいくぐりながら、団地の至るところに作った秘密基地でワクワクし、広場で思いっきり野球をした、そんな風景でした。

 それから40年近く、当時はいきいきと笑顔や声が行き交う豊かな暮らしが満ちていたはずの団地の風景は影をひそめ、そこに住む人たちだけで活気を生み出すことが年々、困難になっていました。この状況は、孤独な暮らしといった社会課題の増大を引き起こすだけでなく、賃貸経営のハンドリングにも大きな影響を及ぼしています。ところが、私が携わった“デゴイチプロジェクト※1”では、団地や近隣地域の人たちとのコミュニティ活動によって、昔、私が味わったような団地の原風景と時を経て巡り合うことができました。団地と人々が共鳴し、同じ時間と風景を共有した温かな「世界観」がデゴイチには漂っています。

 次第に、私はこの世界観を作るための原理が存在するのではないか、それは私が経験から学んだことをもとに理論化できるのではないか、そして再生手法が構築できれば、同じように変革が求められている団地や地域に再現できるのではないか、と考えるようになりました。デゴイチプロジェクトについてのお話はまた別の機会をいただくことにして、今回取り上げるのは、このプロジェクトを立ち上げる前に取り組んでいた、半世紀以上前に建設された大阪府吹田市にあるUR千里青山台団地の「みんなの庭プロジェクト」です。私が「みんなの庭プロジェクト」でもがいた経験が、再生手法開発の源流となっています。本稿では、その源流となった物語を4つのフェーズに分けて振り返り、このプロジェクトから得た学びと変革を求められる経年賃貸物件の再生方法をご紹介したいと思います。団地で起きている問題は日本が抱えている問題の縮図でもあります。全国各地で経年賃貸物件再生に関わっている皆さんにとって、何かを感じてもらえればありがたく思います。

 

 

フェーズ1

自分が何をしているのか分からない一年目

不安がよぎるスタート

千里青山台団地の集会所と「みんなの庭」

 UR千里青山台団地での「みんなの庭プロジェクト」の取組は8年前の2015年に始まりました。

 「みんなの庭プロジェクト」は、団地の屋外空間の魅力や集会所の居住者参加型リノベーションを通じて、立ち枯れていく団地コミュニティを活性化させることが目的でした。同プロジェクトでは、大家が入居者とともに活動し、小さな丸いレンガの庭を屋外空間に作って、入居者が自分の好きな花を植えて育ててもらいます。庭の場所は入居者との話合いをして決めます。また、庭活動は一人でも家族とでも楽しめます。私はこのプロジェクトの担当者になったのですが、それまでは主に団地の管理や設計・工事を担当していたこともあり、プロジェクトは大家側で庭の配置計画と施工を行い、その後に利用したい入居者を募るといった進め方だと思っていました。

 しかし、与えられたミッションは、庭というツールを使い、コミュニティデザインからのアプローチからコミュニティを活性化させるという何とも漠然としたものでした。

 今までと違う感覚の仕事でしたし、コミュニティデザインとは何かも知らなかったので、不安はありましたが、緑豊かな住環境が自慢の団地でしたので、「みんなの庭」を希望する参加者は殺到するだろうと楽観視していました。しかし、参加を募るチラシを配布してもほとんど反応がなく、なんとか初回のワークショップは実施できたものの、入居者の関心の薄さに不安を感じ、大変な仕事を担当してしまったという焦りが生まれました。

 

今までの仕事の進め方が通用しない現実

 ワークショップを繰り返すことになるのですが、参加者は増えず「本当に庭はできるのだろうか」と不安ばかりが募りました。何より大きな不安は、そもそもこの取組の意義を私自身がわかっていないこと、自分自身が何をしたいのか、そしてどう進めていくのかの羅針盤がないということでした。

 例えるなら、カレーを作ることを決め、必要となる具材を用意し、順番どおりに料理していくような仕事に慣れ親しんだ私にとって、このプロジェクトは、何に使うかわからないジャガイモを渡されただけで、あとは自分で決めなければいけないと言われているようでした。使えるツールは庭のみで、「庭を通じてつながりを」とチラシには書いていましたが、「つながりは住人同士で作ればいい」と本心では思っていたところもあり、この取組の意義を見出すことができませんでした。

 ワークショップに参加された入居者に「何がしたいですか?」と尋ねても前向きな言葉を引き出すこともできず、「この取組で人と人とのつながりを取り戻すお手伝いをします」と投げかけても反応がありませんでした。解決策を考える「とっかかり」がなく、団地から逃げ出したいが逃げることもできず、自分で何とかするしかなかったため本当に孤独でした。

 そんな状況を見るに見かねたのでしょうか。声をかけてくれる入居者もいました。「あんた大変ね。でもこんな仕事、なかなかないよ。がんばり」と。思わぬ寄り添いの言葉に癒されましたが、言葉の意味を理解できませんでした。

 庭をやってみたい人を見つけなければ、そして庭で手入れしている風景を作らなければ、という無言のプレッシャーを感じていたのか、いつしか庭を作ることを目的化している自分がいました。それでもなんとか活動してくださる入居者グループと「ハーブの庭」を作ったものの、入居者たちの気持ちが追い付いていない中で、半ば力任せで庭づくりを進めてしまったこともあり、入居者たちが本当に活動したいのかどうか自信がありませんでした。

 庭の活用状況を見るのが怖く団地を訪れたくなかったのですが、その活用実態を見ざるを得ない状況に置かれていました。今までの私の仕事は、建物や住宅を完成させ引き渡すことばかりで、恥ずかしながらお客様がその後どう使うかということにほとんど意識を向けてこなかったので、この状況は厳しいものでした。

 

考え方を改めないと前に進まない

 これらの経験から突き付けられた現実は次の2つでした。

 1つは、モノや屋外環境の魅力だけでは人の心を動かすことは難しいということ。そしてもう1つは、たとえモノを作ったとしても、使ってくれる人がいなければ成果はないも同然ということ。この取組においては、主導権は完全に入居者側にあるという現実を前に、モノを作って提供する仕事しか経験のない私は、どうしてよいかわからず途方にくれました。

 自分一人の力では何も動かすことができないと痛感しました。「来年同じことをしてもうまくいくはずがない…」と。自分の力不足を嘆くと同時に、「そもそも1年目のようなやり方はこの取組にそぐわないのではないか」と考えるようになりました。

 素人が故の苦しみだったわけですが、結果的にこの体験がテコとなり、後に述べる経年賃貸物件の再生方法に気づくヒントを与えてくれたのです。

 

 

フェーズ2

気づきと内省の繰り返し

運命的な出会いと衝撃的なソトの世界

 この取組の羅針盤を持っていない時、私は甲斐徹郎著の『不動産の価値はコミュニティで決まる』という本に偶然出会いました。正直「コミュニティ」という言葉に懐疑的だった時だけに、衝撃的であり藁をも掴むような気持ちで読みました。

 本を読んで最も腑に落ちたのは、「最初からみんなはない」ということでした。一人一人の思いの表出がまずあって、そこからお互いの共感が相互作用しあい、みんなでいることが自分のためになっていると感じるからそこに集まり、気づくと「みんな」の輪郭が現れてくる、ということでした。どうしたら参加者を集めることができるか、庭を増やせるかばかり気にしていた私にとって、この考え方はコミュニティに対する呪縛から解放されたかのような気がしました。目の前の庭に集中したらいいんだと。

 その後、甲斐さんと意見交換する機会をいただき、そこであるお誘いを受けました。それは、福岡県久留米市で𠮷原住宅(有)の𠮷原勝己社長が所有する経年賃貸団地「コーポ江戸屋敷」で面白い勉強会を行うので参加してみないか、というものでした。少し視界が広がった気持ちになっていたこともあり、兵庫県の自宅から久留米市に通う学びがスタートしました。

 そこでは、賃貸市場から取り残され、思考停止に陥りかけている地方の経年賃貸団地に対し、みんなで知恵を持ち寄り、再生手法を紡ぎ出していこうという「コミュニティデザインカレッジ」が開かれており、まちづくり会社、不動産オーナーなど九州各地から多くの人が集まっていました。

 参加者の皆さん共通の課題認識は、室内のリノベーションにお金をかけても投資回収できない、そこを解決しようとする考え方として、団地の良さを一から考えてみようということでした。そこで注目したのは団地の共用空間であり、コミュニティデザインの手法を活用してステキな団地を目指す勉強会が行われました。千里青山台団地の取組と重なることが多かったのが何よりでした。

 学びの内容もさることながら、私にとって衝撃的だったのは、参加者の皆さんの熱量と楽しむ気持ちでした。単純に同じ悩みや目標を共有できる仲間がいることにうれしさを感じました。しかし、 勉強会に参加する度に、彼らと自分の間に違いがあるように感じました。「まだ未来が見通せていないのに、どうして彼らはポジティブなのか、何がそうさせているのだろう」と。例えば、勉強会で彼らは私にとっては突拍子もないポジティブなアイデアを提案し、私のアイデアはどこか現実的で面白みがない、それは団地を管理する仕事が多か った私の経験がそうさせていたのでしょう。

 この勉強会に足を運ぶたびにコーポ江戸屋敷は確実に何かが動き出していました。そして動く気配のない千里青山台団地とのギャップに苦しむようになりました。「同じ立場にいる者同士なのに何が違うんだろう?」と、ひたすら自分に問いかける日々が続きました。

 この差を考えるうちに気づいたのは、団地に問題があるだけじゃない、団地に向かう自分の姿勢に問題があるのではないか、という自分に向けての問いでした。自分の考えを正当化しようとしていただけではないか?まず変わるべきは自分ではないのだろうか。認めたくない部分を突かれたような気持ちになりました。久留米での一番の学びはこの一点でした。具体的に何をしなければならないかはわかりませんでしたが、団地にちゃんと飛び込んでみようと思いました。

 

 

フェーズ3

団地が動きだす実感 2年目

団地に住む人とていねいに向き合う

きっかけとなった“すみれカフェ”での集まり

 しっかりとしたビジョンはありませんでしたが、全住戸に自分の顔写真と名前を載せ、1年間自分が取組で感じたことを記したチラシを投函していきました。つべこべ言わず、すぐできることから少しずつ変えていこうと思ったのです。すると、ある入居者が、「毎週水曜日に団地集会所で開催されているカフェに行ってみたら?」と声をかけてくれました。団地にお住みの高齢者の入居者たちが自主運営しているカフェでした。私のような立場の人間が顔を出したらどうなるだろうか不安でした。案の定、当初は打ち解けることはできず、 生活上の不具合を聞くようなシーンが続きました。

 決して居心地の良いものではありませんでしたが、諦めるようなことはしませんでした。それどころかこの状況を「ありがたい」と思いました。なぜなら、一番の苦痛は一年目に味わった、入居者との接点を持っていないことだったからです。毎週通い続けていくと、次第に興味を持ってくださるようになり、「何歳なの?」「団地で何してるの?」などの会話ができるようになりました。会話のキャッチボールが進むと、ようやく「みんなの庭」のことを話せる状況が生まれたのです。

 なぜ1年前はこのような状況を作れなかったのか、ようやく気づきました。それは、私自身が弱みを見せないように心のバリアを張っていたからなのだと。まず、自分がオープンマインド、つまり自分をさらけ出して、他人を受け入れる心を持つことが大切だと学びました。

 そうすると不思議なもので、自然にありのままを見せる自分になっていました。そして先入観を持たずに、ありのままの団地を見ることができる自分になっていました。

DIYでレンガの庭を作る家族現る

 入居者も積極的にみんなの庭の話に関わってくださるようになり、「何歳なの?」と声をかけて下さった方々との数カ月のお話合いが進み、団地の入口に庭が生まれました。入居者が名付けた「なでしこの庭」では和気あいあいとお花のお手入れをしている風景が生まれ、今までより団地の入口がなんだか血の通った温かい場所になっていきました。「片岡さん、ありがとうね」という声も頂くようになりました。

 「なでしこの庭」の周りでは入居者同士の立ち話や挨拶が実際に生まれ、通りすがりにその風景を見ていた若いご夫婦が庭づくりにご興味を持たれ「DIYでレンガの庭を作ってみたい」とお話されてきました。実際にDIYを経験されたご夫婦は「団地でこんな体験できるなんて!」と目を輝かせていました。

 1年前、価値を見出せなかった庭がとても価値を持つものに一変しました。庭が変わったのではなく、私の認識が変わったのです。この経験から価値というものは後から振り返ってわかることであり、であるならば、価値を認識できていないものでも、捉え方次第で価値は生み出せるのだと気づいたのです。団地の捉え方が完全に変わった瞬間でした。「団地の使われていない場は、人を幸せにする力に溢れている宝庫だ」と。

 チラシづくりが苦手な私を見かねてチラシを作ってくださる入居者も現れました。自分の時間を持ち出してまで手伝ってくれる入居者は、「URさん、いい取組をしてるので、できる範囲でお手伝いしますね」と仰ってくださいました。

 入居者が他の入居者をお庭づくりに誘うといった当初では想像もしなかった出来事も芽生え出しました。庭に参加する入居者が増えてきたので、吹田市の花と緑の情報センター“はなみど”さん にご相談に伺いました。すると熱意が届いたのか、プロジェクトの理念に共感していただくことができ、団地で園芸講座を開催することになりました。この講座をきっかけに入居者同士の出会いが加速しました。入居者曰く「団地で知り合うはずのない人と庭を通じて顔の見える関係が作れるとは想像もしていなかった」とのことで、入居者のフィードバックを受け、私自身、この取組の意義を肌で感じ取れるようになっていきました。

 偶然の出会いの力も感じるようになりました。私があれこれイベント化するよりも、偶然の出会いによって生まれる物語がこのプロジェクトを加速させていったのです。偶然が重なり合うとそれがその人たちにとって大切な思い出になり、やがて自主的にプロジェクトに関わってくれるようになったからでした。私は次第に偶然の出会いが起こる環境を用意することが自分の役割だと感じるようになりました。

 1年目と2年目の変化を思い返せば次のようなことを心掛けるようにしていたと思います。まず、状況が良い方向に変わるよう、できる範囲の行動を取り、小さな成功と大けがをしない程度の失敗と反省を繰り返しながら、進む方向を定めていったような気がします。また、入居者とのやり取りで団地に根付く過去の背景や文化を学ぼうとしていました。そして未来は待っていても訪れないならば、自ら働きかけることで何かを動かそうとしていました。また、芽生えた人と人とのつながりを目の当たりにして、1年目の自分は「つながりは大事です」と頭で理解させようとしていたのだと気づきました。人は変化することは好みますが、変化させられることに対しては、抵抗するものです。

 

共鳴、共感してくれるパートナーの存在が、取組を前に進める

 全く庭が団地に広がらなかった1年目、そして庭が団地内に拡張しだした2年目。この推進力の違いを生んだのはなんだろうかと考えた時、間違いなくそれは入居者の存在でした。

 入居者は取組の主旨に共鳴してくれ、他の参加者に取組を広めてくれたり、自主的にできる範囲の協力を提供してくれました。入居者だけでなく、「はなみど」さんに代表されるような取組に共感してくれる団体、個人の関わりも取組を大きく推進してくれました。彼らのサポートがなかったら取組を前に動かすことはできなかったという実感から、「ともに団地を良くしていくパートナー」と捉える自分に変わっていきました。「共創」という意味の本質に気づいた私は、積極的に入居者と活動をともにするようになっていきました。

 いつからか私はこのような方々との「共鳴、共感」を大切にし、「関係性」を丁寧に紡いでいくことに注力していくようになりました。

 

ためらう力に気づく

集会所リノベーションのワークショップ

 もう一点、推進力の違いを生み出した原因もわかってきました。それは私自身の振る舞いでした。入居者と話しているとこんなことをよく言われました。「前からこの取組はチラシで知っていたけど、大家さんがどうしたいのか見えなかった」この言葉で気づいたのです。私は彼らの前向きの力を引き出そうと躍起になっていたのですが、彼らに「ためらわせる力」が働いていたことを察知できていなかったのです。

 振り返れば、1年目の私の態度はどこかよそよそしく、どこか偉そうで、心を通わそうという意志がなかったかもしれません。

 入居者の動きを加速させるも減速させるも大家次第。であるならば、大家は前向きな力を引き出すことに躍起になるのではなく、ためらわせている重りを取り除くこと、すなわち大家の温かい眼差しを送り、入居者に「希望」を与えることが仕事なのではないかと、と考えるようになりました。

 今まで団地が動かなかった原因に気づいた時、やるべきこととやるべきでないことがはっきりと見えてきました。探していた取組の目的をやっと手にすることができたとき、未来への不安は軽くなり、やる気が湧いてきました。

 

 

フェーズ4

「本物の集住」を目撃した3年目

自分たちの暮らしは自分たちで創ろうという機運

 私と入居者との間や、入居者同士の間で庭という共有できる基盤ができてきたので、彼らとともに団地の多くの方々にとって安らぎとなる居場所づくりを生み出すことは可能なのではないかと考えるようになりました。そこで、団地の1階にある既存の集会所を共感しあえるパートナーとともに、ステキな居場所にリノベーションすることにチャレンジすることにしました。

 今までの経験から、チャレンジする目的を入居者と共有することが大事だと考えました。そこで「お一人お一人にとってステキと思える居場所を作りましょう」というメッセージを投げかけました。すると、ある入居者が、このような取り組みに興味がありそうなご主人を連れてきてくれたり、取組に共感する入居者たちが集まってくださいました。ワークショップでは改修プランを考えたり、居場所づくりのトレーニングの一環として各人が具材を持ち寄り、集会所で餃子パーティーを開催したりしました。

 「みんなでディスカッションしながらアイデアを実現したり、そのプロセスを共有できたりするのがおもしろい、みんなでリノベーションを進めるのが楽しい」といった入居者の声を聞き、プロセス自体がここでしか味わえない暮らしの物語になることを実感しました。

 ワークショップが進むにつれ、参加者の想いは「私の居場所」から「私たちの居場所」、言い換えれば「私たちの暮らしは私たちで創ろう」という一段上の想いに変わっていることを感じました。

 私も過去のように「何がしたいですか?」と他人事のような質問をすることはなくなりました。「全ての人が安心できる居場所を作りたい」という 私の意志は参加者にも伝わり、参加者全員で実現しようという機運が生まれました。

 ワークショップを重ね、みんなで考え出した集会所のプランを絵にすると、それは私も含めみんなにとって希望に満ちた未来図に映りました。リノベーション完成後の使いこなしへの期待と、「自分たちも参画している」という自覚の両面がリアルなものになっていきました。このようなプロセスを経て生まれたリノベーション後の集会所は、入居者にとって生活領域の一部となり、愛着を持って活用してもらっています。

 1年目のことを思えば、入居者たちとビジョンを重ねることができたのは驚きでした。同時に、3年間の積み重ねのプロセスがあったから3年目に結実したのだという実感もまた事実でした。

 私はこのチャレンジで、「場」ができるまでのプロセスを大切な物語として捉え、そのプロセスをそこに住む人たちとともに歩むこと、ともに汗をかくことが、生きた場であり続けるうえで最も効果的であること、そして参加者の中で共有できる基盤が伴えば何事においても意思決定はスムーズになり、できることは劇的に増えていくということを身をもって学ぶことができました。

 

 

フェーズ5

団地で起きているアウトカムが意味するもの

優しさを受け取り合う暮らしの出現によって、「本物の集住」は再生される

 ある入居者が、「片岡さん、今はもう庭にこだわらなくてもいいのかもね。」と話されていました。この言葉に代表されるように、活動の理念はさまざまな形で受け継がれています。

 例えば地震があったときの助け合い、団地の屋外空間や共用空間を入居者たちがフルに活用した「わくわくシェア」イベント、お庭で育ったミモザを団地にお住いの皆さんとシェアした「スワッグづくり」など、大家の温かい眼差しのもと入居者たちは自分たちの暮らしを自分たちで創っています。不安でしかなかった「ハーブの庭」もありがたいことにゆるりと楽しんでいらっしゃいます。みんなの庭の活動は暮らしの中心である「住戸での生活」とうまく接続され、切り離すことのできない一体として機能し、それを入居者は「青山台暮らし」ととらえています。

 入居者を長年観察し、見えてきたものがあります。それは、入居者は個人で得られる楽しさに加え、自分の周りが安心できる状況にあること。例えば自分のことを分かってくれている隣人がいて、自分を出せる居場所があることなどに、心の平穏を感じているということでした。そんな豊かさを持つ入居者が集まりだすと、まわりがうらやましく思うくらいの心地よい「世界観」が現れるのです。その世界観とは、「競争ではなく協働の原理が優位な環境において、“共感する”というやりとりが盛んになると、人が本来持つ心根の美しさが表にでて、自然と“人にやさしくなれる”心を持ってやりとりするような暮らし」です。それは集合 住宅だからこそ成し得る「本物の集住」の姿です。この世界観こそがオンリーワンの暮らしとなり、そこで暮らす必然性や愛着となっていることが、次のような入居者たちの日常会話からもわかります。「今まではただ団地で暮らすだけでしたが、お庭に参加してゆるく顔の見える関係もできて、何かあったら家族みたいに寄り添ってくれて、あの方どうしてるかなぁって気になる存在がいることは、自分の人生において宝です。大家さんとも近い関係で相談もできるし、団地暮らしにいまだ魅了されて住み続けています。」

 この数値化できない世界観を理解できるようになると、みんなの庭の活動で場が荒れたり、近隣から苦情が出たり、といったことが起こらない理由がわかるのです。この世界観が下地にあると、モノやコトを通して人が人を良き方向へ変えていくのです。これは巡り巡って団地管理に良き影響を与えることにつながります。

 

「本物の集住」が拡張するメカニズム

 普段は目に見えず認識しにくい感性領域を含んでいる「本物の集住」の世界観を生み出すサイクルをここで整理したいと思います。

 まず、入居者の暮らしを豊かにしたいという大家の意志があり、その意志を受けたコミュニティデザイナーの役割が存在していることがベースにあり、そのもとで、「本物の集住」の源となる屋外空間や、集会所など団地の既存の「場」と人が出会う環境設定をします。すると、場の周囲で人と人が共感しあう物語が促されます。共感されることで共感する気持ちが芽生えるといった、心地よい相互作用によって人の意識変容、行動変容が起こります。それが周囲に良い影響を伝播し、やがて優しさを受け取りあうやりとりや思慮深さが誘発され、結果として暮らしのモラルは好ましい状況に落ち着きます。こうした空気感が「場」を満たすことでまた新しい出会いや共感の物語が生まれます。このようなサイクルが至る所で繰り返し回し続けることで、「本物の集住」の世界観は拡張しスパイラルアップしていきます。協働の活動がより活性化し、一人一人にとって心の平穏を感じ取れる状況を手にすることができれば、孤独といった社会課題は自然と薄らいでいきます。

 団地の屋外空間、集会所、その他休眠しているストックは「本物の集住」を生み出す重要なアイテムだということが理解できたとき、「場」は何のためにあるのか、という捉え方は大きく変わります。「場」は「本物の集住」という全体性を生み出すための「関係を紡ぐ場」なのです。場の捉え方をリフレーミングできれば、入居者や地域の人たちと大家にとって、経年賃貸物件は希望にあふれた物件になります。

 このサイクルが停滞してしまうと、「本物の集住」は出現せず、ただ近くに暮らすだけに留まり、結果として孤独といった社会課題が増大していくという負のサイクルが加速することもわかってきました。団地に足を踏み込んだときに感じる「団地が動いている」「団地が止まっている」という感覚は、おそらくこのサイクルが正のスパイラルなのか、負のスパイラルなのかの違いに影響しているのだと感じます。

 

みんなで考えた集会所リノベーション案を前に記念撮影

集会所を中心に皆が集まる場が完成

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

希望を描くプロセスによって、「本物の集住」は再現できる

 知るはずもなかった入居者同士が、最終的には「本物の集住」を生み出すまでになるという信じがたい状況を私は目撃しました。

 このアウトカムは、「誰々さんだからできた」といった属人的な行為で語られるものではないと、今なら断言できます。なぜなら一つ一つ紡いできた足跡がこのアウトカムを生み出していると実感するからです。これには何か原理があるはずと考え、一連の物語から大切なエッセンスを抽出してきました。ここではその詳細は割愛しますが、その一つ一つのエッセンスを紡いだプロセスは「本物の集住」を生み出すための「希望を描くプロセス」になると考えています。

 「希望を描くプロセス」を経て、「本物の集住」というアウトカムを促し、団地を持続的な活性化に導くという流れが見えた時、このプロセス手法は経年賃貸団地で最も強みを発揮するのだろうと思います。そして団地以外にも目をやっても各地の経年賃貸物件が大きな可能性を秘めた宝になり得ると思います。

 その実現において大切な思考態度は、部分だけでなく全体を眺めて問題の本質を捉えようとする姿勢、モノを改善するだけでなく関係を再編集しようとする意志、全体を時間をかけて治癒していくという眼差しではないだろうかと思います。

 

 

フェーズ6

コミュニティ醸成と賃貸経営との融合

みんなの庭のプロセスは、経年賃貸物件再生のスモールサイズ

 ここでは、「みんなの庭プロジェクト」が教えてくれた知見を経年賃貸物件の経営再生手法に重ね合わせたいと思います。この8年間、取組を通じてコミュニティ醸成と賃貸経営の融合を模索し続けようやく理解できたことがあります。それは、思考停止に陥っていた「みんなの庭プロジェクト」が開始当初に抱えていた問題は、賃貸市場から取り残されて思考停止に陥りかけている経年賃貸物件の縮図だったのだということです(表1)。

 どちらも本質的には同じ問題を抱えていますが、理想的なアウトカムを起こした「みんなの庭プロジェクト」の再生手法は同じ問題を抱える経年賃貸物件の再生手法の思考軸として大きなヒントになると考えています。

 

「本物の集住」を生み出すノウハウを獲得し、新市場を開拓する

 今の賃貸市場で求められる価値は、便利さや新しさ、効率性です。投資に制限がかかる経年賃貸物件が活路を見出していくには、その価値観追従ではなく、新しい市場を開拓することが効果的です。そこで注目するのが先ほどご紹介した「本物の集住」を中心に据えた価値訴求です。初期投資を抑えつつ経年賃貸物件の強みを発揮できる価値です。「希望を描くプロセス」のノウハウとその実践力を獲得すれば、経年賃貸物件であってもオンリーワンの物件ブランドの世界観を生み出すことは可能です。コーポ江戸屋敷も、香里団地D51棟も、この世界観を目指しているのです。

 また、「本物の集住」というブランドは時間をかけて熟成することに価値がありますので、団地経営のサスティナブル性を高めていくことにもつながります。「本物の集住」という価値は競争ではなく協働を大切にします。そして本気でSDGsを追い求める企業や団体だけが実践できる価値でもあります。自分が持っている資源を使って、本気でまちを良くしよう、社会課題を解決しようという気概があれば参入できます。この新市場は今後の社会に求められる価値として創出されていくと予想されます。

 

感情という感性領域を賃貸経営に組み込む

 本物の集住の実践力を獲得するためには、従来の建築や不動産、マーケティングの知識だけでは身につけることはできません。今まで目を向けられることのなかった、目に見えない「感情」という領域に対する深い理解が不可欠となります。

 なぜでしょうか。それは、団地やまちが人の集まりであり、人は感情を持つ生き物だからです。集住に焦点を当てた価値訴求では、「感情を持った人の意思決定」の連続にアクセスすることになります。人間社会では多くのバイアスが働きます。従って、いくら良い戦略や仕組みを使っても人間が持っている心の仕組みに対するリテラシーを高めないと、求める結果に対して的を得ないアプローチをとってしまうのです。

 このような考えから、賃貸経営に、望ましい意思決定に導く「感情」の理論領域を融合させた新たな賃貸経営手法へのチャレンジが経年賃貸物件再生に不可欠だと感じています。

 

 

フェーズ7

経年賃貸物件再生が人を成長させる

大家と入居者がともに幸せになる時代へ

 従来の賃貸経営が、大家と入居者は一定の距離感を保つことで維持されていました。

 しかしながら、賃貸市場で取り残される経年賃貸物件は、むしろ大家と入居者との関係を再編集するところに経営改善の活路があるということをお伝えしてきました。今回ご紹介した手法によって生み出される「本物の集住」は、入居者の暮らし満足度を高めますが、それだけに留まりません。関わる大家やその他のパートナーにも好影響を与えます。それは優しさを受け取り合うこの世界観に、関わるみんなが巻き込まれるからです。このような理想的な賃貸経営の在り方は不可能ではなく、むしろ大家と入居者がともに幸せにならなければ経年賃貸物件の経営改善は難しいのです。

団地内にあるBBQテラス「みんなのテーブル」

 

誰にでも実践可能

 今まで紹介してきた取組は、エキスパートでなくても誰でも実践可能です。なぜなら、私自身が、最初は熱意も将来のビジョンも持たない素人同然の人間だったからです。しかし、私は、プロセスを通じて真の豊かさを見つけることができましたし、多くの団地やまちで幸せを広げていこうと大家としての自覚と責任を持つことができました。ご紹介した「希望を描くプロセス」は、人に熱意と意志を高めさせ、ビジョンに向かわせます。

 「みんなの庭プロジェクト」だけでなく、冒頭にも紹介しましたデゴイチプロジェクトでも、URの若い職員たちが団地に通い、何かを感じ取ってくれています。噂を聞いて視察に来る方々も、「温かい気持ちをいただいた」といった感想を話します。プロジェクトの理念を引き続いで多くの方が一歩踏み出してくれたらと願っています。

 

経年賃貸物件に希望はある

 戦後復興の住宅不足解消のために団地を作った当時の先輩方の「使命感」というバトンを現代を生きる私たちが受け継ぎ、これからの社会の要請に叶う団地に衣替えする時期に来ています。その時求められているのは、目に見えるリノベーションに留まらず「本物の集住を紡ぐリノベーション」の眼差しなのだろうと思います。これは団地に限らず、全ての経年賃貸物件でも同じです。その眼差しは賃貸物件の持ち主が以下の認識を持つことで獲得できます。

  • 目に見える領域(建築・不動産)に、目に見えづらい感情領域を融合させた賃貸経営の意志
  • 現在の賃貸市場で求められる価値を保有している物件と、賃貸市場から取り残されている物件とを分けた事業領域を設定し、双方の領域に適した物件の動かし方と人材を整備する意志
  • 経年賃貸物件を使って未来を創り出そうする気概

最後になりますが、小さな丸い庭、『みんなの庭』は私に多くのことを教えてくれました。大家は夢を語り、入居者さんや理念を共有できるパートナーと同じ希望を感じ合う、そして一緒に夢や希望を育て、共に成長していく」と。この学びを胸に、経年賃貸物件を再編集していきたいと思います。経年賃貸物件には社会課題を乗り越えていける「希望」があります。全国各地の経年賃貸物件が真の集住を味わえる物件になっていくことを微力ながらお手伝いできるのなら、これほど嬉しいことはありません。

 

※1 大阪府枚方市にある半世紀以上前に建設されたUR香里団地D51棟における、住民参加型の住棟改修プロジェクト。これをきっかけに集まった住人たちの輪はその後も少しずつ広がり続け、活動もより豊かに育っている。

 

 


 

 

片岡有吾(かたおか ゆうご)氏

1995年、独立行政法人都市再生機構 西日本支社入社。阪神大震災による復興事業、団地の建替事業を経て、団地の維持修繕に関わる業務を担当。2015年より団地のコミュニティ醸成を担当し、千里青山台団地、香里団地にてコミュニティデザインを経験。現在は技術監理部ストック改修課にて団地の不動産価値の創出を目指し、ハード改修にソフトを組み込んだ手法を課員と共に開発中。

 

 

 

 

 

独立行政法人都市再生機構(UR都市機構)

理事長:中島正弘
所在地:西日本支社/大阪市北区梅田一丁目13番1号 大阪梅田ツインタワーズ・サウス21階
電 話:西日本支社/06-4799-1000
H P:https://www.ur-net.go.jp/
業務内容:①都市再生:都市再生事業の企画、実施(市街地再開発、まちづくり支援等)、都市施設の整備、都市公園の受託整備、経営管理等 
②賃貸住宅:UR賃貸住宅の管理(住宅・施設の維持・修繕)、経営管理等UR賃貸住宅に係る団地再生等の企画、実施等 ③災害復興:災害からの復旧に係る地方公共団体への支援等